『いってらっしゃい』(掌編小説)
ふとした瞬間に訪れる疑問というのは、なかなかに厄介なものであることが多い。
それは多くの場合、日々感じていた潜在的な疑問、不安、嫉妬。そういうごちゃごちゃしたものがむくりと姿を現す瞬間だからだ。
さて、世界中とは言わないが、日本全国に住む青少年の一体どれくらいが家族へのなり方を知っているのだろう。
僕たち子どもーーとは言っても僕は既に22歳ではあるがーーは生まれた瞬間から大抵の場合家族に囲まれている。
お父さんやお母さん。時にはどちらかだけであったり、お父さんが2人だったりするかもしれないが、それでも親がいて、兄弟がいて、犬もいるかもしれないし、祖父母と一緒に暮らしているかもしれない。
どちらにせよ、それらは皆んな家族だ。
「着替えたよ」
眠気が未だ絡んでちょっと間抜けな彼女の声が聞こえてきた。返事をして僕は部屋に入る。
化粧を終えて外行きの服に着替えた彼女がベッドの前にちょこんと、起き上がり小法師のように鎮座していた。
僕はというと着替えをして、髭は剃ったものの髪をセットしていない。今日は彼女を駅まで送り届けたあと、ゆっくりと昼寝をするつもりだからだ。同棲を始めてもう随分と経つから、そんな僕の姿を見ても彼女は何も言わない。
お互いがお互いに、僕らは素の姿をもう知っている。それは付き合った当初からしてみれば想像もしていなかったことで、あの頃はいつも、精一杯のおめかしをしてデートに出かけていた。それが近所のカフェに行くだけでも、TSUTAYAで借りたDVDを家で観るだけでも。
それが同じ家で暮らし始めた瞬間に突然変わる。
この変化はでも、表面的なものだ。
僕らの気持ちは。少なくとも僕の気持ちは変わっていない。
僕らはまだ学生だけれど、来年再来年とずっと一緒に暮らし続けて結婚をしたとして。その瞬間に俄かに家族になるのだろうか。薄っぺらい紙1枚に何かを書いただけで、そんなことが可能なのだろうか。
僕は、家族をやめる方法は知っている。親の離婚によってそれを学んだ。
だけれど家族になる方法は知らない。僕が知っているのは、いつの間にか家族になっていた過去の記憶だけだからだ。
「じゃあ」
そう言って立ち上がった彼女を抱きしめる。キスをして、靴を履いて。駅まで手を繋いで歩いてその後は、彼女を改札の向こうに見送る。アルバイトの時間が3時間ばかりズレている僕らの日課だった。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
そういえば、「いってらっしゃい」なんて言葉を口にするのはいつ以来のことだろうか。
実家を出て以来一度もその言葉を発していないことに気がついた僕は、何かがすとんと胸に落ちたのを感じた。
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