『むきだしのポメラニアン』(掌編小説)
電車で端っこの席に座れた。今日はツイている。
わたしはいつもツイていない。散歩に出かければ苦手な犬が飼い主の手から逃げてわたしの所に飛びついてくるし、親切のつもりで電車で席を譲ったら「まだそんな歳じゃない」と逆に怒られたりする。この前なんか、就活のグループ面接でわたし以外の全員が有名大学出身で惚れ惚れするような活動をしてきた人だった。
もちろん、その面接の結果は順当なものだった。
電車の席に座れたのは、あの怒られた時以来で1ヶ月ぶり。ほとんど毎日電車に乗っているというのにこれだけの間座れていなかったのだから、わたしはやっぱりツイていないのだろう。
だから今日は、ラッキーな日だ。
いつもは吊革で片手が塞がっていても操作ができるスマートフォンを見ているが、今日は本を読むことにした。
丁度いい場面で読むのをやめていた小説を開く。わたしはすぐに物語の中にのめり込んでいく。
気づくとガラガラだった車内に人が増えていた。
わたしの座る列も、殆どが人で埋まっている。隣に座る人は大きめの荷物を膝の上に乗せていた。
物語はまだまだ佳境だ。席に空きはまだあるから、老人に席を譲る必要もない。
安堵してわたしはまた小説を読み始めた。
と、視界の隅で隣の人が膝の上に乗せている荷物が動いたように見えた。
見間違いかと思っていたが、やはり視界の隅では荷物がもぞもぞしている。
気になり始めたらもうダメだ。小説がもう文字の羅列にしか見えない。
わたしは思い切って隣の人の膝上を横目で見てみた。
「ひっ」
隣の人がわたしの声に驚く。だけれどわたしは、それ以上に驚いていた。
わたしが荷物だと思っていたそれは、茶色い毛の犬だった。多分ポメラニアン。わたしは犬が苦手だから、これが本当にポメラニアンかは分からないけれど。
「あら、ごめんなさい。ワンちゃん苦手でした? すぐにどけますね」
ポメラニアンを膝の上に乗せた、優しげなおばあちゃんがわたしにそう言う。
「あ、いえ、ビックリしちゃっただけなので、大丈夫です」
「そう? ありがとうね。
ここに居てもいいってよ、ランちゃん」
ポメラニアンはランちゃんと言うらしい。
ランちゃんは言葉を理解したかのように、おばあちゃんの方を見上げた。
「ワンちゃんはね、自分のことを好きな人と、素敵な人の所に引き寄せられちゃうの。ランちゃんったら電車に乗ったらずっとあなたのことを見てたのよ。
きっと、あなたは素敵な人なんでしょうねぇ」
「いえ、そんな、とんでもないです」
わたしは就活が上手くいっていないくだらない人間だし、何より犬が嫌いだ。
おばあちゃんはきっと、適当なことを言っているのだろう。
そう思ったがしかし、よく見てみるとランちゃんはわたしが抱いていた犬のそれとは違ってとても愛くるしい瞳をしていた。
きっと、ランちゃんがお出かけ用の鞄に入れられておばあちゃんの膝の上にいたら、わたしはランちゃんの瞳の愛くるしさに気がつけなかっただろう。むきだしのまま、わたしのことを見つめてくれていなかったら。
やっぱり今日はいい日だ。
わたしはそれから目的地まで、その席に座ったままおばあちゃんと、そしてポメラニアンではなくチワワだったらしいランちゃんと話続けた。
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