宇多田ヒカルへの愛を語りたい ~ ヘッドホンで私の曲を聴いているいつかの誰かのために
1年前の番組の感想だけど。
私にとって、たった4年後に宇多田ヒカルが生まれてくれて、これまで(休止期間含めて)20年も活動してくれている幸せは言葉にできないほど。昔からずっと変わらず、いやもっと大好きだ!
今さらだけど、相次いで放送された『SONGSスペシャル』、『プロフェッショナル仕事の流儀』の宇多田ヒカルの回は、昨年のNHKドキュメンタリーのベストの1つ(2つかw)だと思う。
彼女の詞について、小田和正は
“ 降りやまない真夏の通り雨 ” という矛盾した語の鮮やかさに触れ
「昔のみずみずしさを全く失うことなく、感性はむしろ圧倒的に深さを増している」
と。
いきものがかりの水野良樹は、
「孤独あふれる詞。彼女の孤独にたくさんの人が共感している」
と、絶賛する。
そして宇多田ヒカルは、自分の音楽についてこう説明する。
「曲をリリースすれば、大勢の人に聞かれることはもちろん意識している。けれど、【社会】のような、大きなグループを想定したことがない。
あくまで、【私と誰か】という関係性。
私に想像できるのは、1人のリスナーが、部屋でヘッドホンをつけて私の曲を聴いている姿。
今のこの瞬間の誰かが。あるいは、50年後の誰かが。」
なんてすてきな、そして彼女らしいコメントなんだ!
みんなで踊って騒ぐのも楽しいけれど、
ひとりきりの胸に沁みる音楽もほしい。
どちらも必要なんじゃないかと思う。
自由奔放な両親のもとで育ち、日米を頻繁に行き来して、「どこに行っても異邦人だった」という宇多田ヒカル。
日本の歌を聞いた経験はほとんどなく、日本語で触れたものは、マンガや小説だった。
「子どものころ、外の世界に自由はなかった。
思い通りになるものは何もない。
だから物語の世界にいたかった、そこで生きていたかった」
そんな彼女は、詞や曲はもちろん、音のアレンジメントもすべて自分で手がける。とはいえ一人で作る音楽ではない。ロンドンのスタジオでのレコーディング風景はとても印象的だった。
彼女はクリエイター兼プロデューサーといったふうで、現地のミュージシャンたちの中心に立っている。
「ピアノはいろいろ探っているところだから、まだ何も言わない。でもドラムにはちょっと言うことがあるな」
「ちょっとズレた感じがむしろ曲にハマっていいね」
「もう少しシンプルに」
「これは、20代になった彼が少年時代を思い返している曲だから、若くても、ほろ苦いノスタルジーなサウンドにしたいの」
「失恋してから『これが初恋だったんだ』と気づく。恋の始まりと恋の終わり、その両方の意味を含む歌なの」
ミュージシャンやエンジニアたちと交わす豊かなコミュニケーションの言葉がすばらしい。話す声も深くてすてきだ。(もちろん、すべて英語だ!)
どのテイクを採用するかしないかはすべて彼女の決断による。
場合によっては、さんざん弾かせておいて、
「決めた。この曲ではティンパニを使うことにする。
試してくれてありがとう(=Thank you for trying)」
と言って、ミュージシャンを帰してしまうこともある。
(ごめんね、と謝りはしなかった。さすが欧米社会!)
一方で、ずっと悩んでいた曲『夕凪』のアレンジについては、ミュージシャンたちから出てきた演奏を受け入れ、
「3年も悩んできたのに、みんなに相談するだけでよかったなんて」
と感に堪えていた。
その『夕凪』はすごいよ。
ぜひ、寄せては返す悠久のメロディ・アレンジとともに、
絶望とも希望ともつかぬ深遠の世界に身をゆだねてみてほしい。
すべてが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも変わらず
真に分け隔てなく
誰しもが
変わらぬ法則に
急がずとも必ず
音楽を作ることは冒険だ、と言っていた。
「できることをやっても意味がない。
できるのかどうか、やってどうなるかわからないことをやらなければ。
レコーディングを共にする人々は、一緒に探検してくれる仲間」
お決まりの質問、『プロフェッショナルとは?』に対しては
「正直であること」
と答えていた。
人はすぐ自分に嘘をついてしまうから。
私は自分の音楽に対して、自分の聖域を守る、と。
たぶん、これまでもこれからもずっと孤独な人。
その孤独に多くの人が救われているという構図は残酷かもしれないけれど、自分の音楽をヘッドホンで聴いている【誰か】を想像するとき、孤独が通わす仄かなあたたかさに、宇多田ヒカル自身もほんの少し救われていたらいいなと願う。
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