玉野井芳郎「生産と生命の論理」『生命系のエコノミー』pp.135-143 新評論、1982

 1960年代後半から1970年代にかけて、産業公害、食品公害、農業生産の基礎をなす地力の減衰など、経済学の既成の対象の前提枠からはみ出るような諸事象が台頭した。経済学は、これらの新たな課題の出現を前にして、改めて生産力とは何かを問い直し、産出のネガ、生産力のネガの概念を問題としないわけにはいかなくなってきた。

 今日の工業化過程に内蔵されている現代技術の特性は、技術の集中的システムとなっていて、一方では、大量生産・大量消費、他方では大量廃棄が生じている。玉野井は、原料から製品をつくるポジの生産に対して、その生産過程において不可欠のネガの生産である、廃熱や廃物に注目し、そこに経済学がこれまで扱ってこなかったエントロピーの概念を導入した。

 エントロピーとは、簡潔にいえば、乱雑さを表す熱力学における物理量であり、熱量/絶対温度で表される。例えば、熱湯を放置すれば次第にさめていく。これをエントロピーで表した場合、低エントロピーから高エントロピーへと移行した状態と表現される。また、熱力学の第2法則によれば、エントロピーは不可逆的に増大していくとされる。

 生産においては、増え続けるエントロピーを処理し、低エントロピー状態を保持しなければ生産を続けられない。そのために生産の過程において生じる廃棄物や廃物の処理を適切に行わなければならない。

 物理学においては、19世紀前半に時間の不可逆性を理論的に定式化し、エネルギー概念とともにエントロピー概念を確立したのに対して、経済学ではこのような問題意識をその理論に定着させていない。玉野井は、「経済学では、物が商品になる市場経済を前提に、投入と産出のくり返し、均衡から均衡のくり返し、さらに再生産を述べているにすぎない」とし、その工程の背後にあるはずの時間の不可逆性や熱力学の第2法則の存在を無視していることを指摘している 。

 こうして玉野井は、従来のポジの生産工程を水平軸にとり、ネガの工程をエントロピーの縦軸として、「生産プロセスの基本型」を示した 。この「基本型」では、低エントロピー源の投入が高エントロピーの廃熱・廃物へと変換するネガの表現が条件となって、ポジの生産が成り立つことになる。

 また、玉野井はエントロピーの考え方を生物体に対して展開した。熱力学の第2法則は、生物に対しても適用されるものである。玉野井は、物理学者であるシュレディンガーによる生命の定義に注目した。シュレディンガーは、エントロピー最大の状態である死に近づいていく傾向のある生物が、生きていくための方法として、余分なエントロピーを処分していると主張する。

 このシュレディンガーの主張を受けて、玉野井は「生命とは、生きていることによって生ずる余分なエネルギーを捨てることによって定常状態を保持している系、と定義」し、また「生命とは、主体的・積極的な働きを意味し、その原理的な内容は、エントロピーを捨てる」ことにあると考えた 。

 このことから、玉野井はさらに「物質代謝」についての考えを展開し、これまでの質量の交換から、インプットよりもネガのアウトプット、すなわち高エントロピーをいかに処理するかが「物質代謝」の本質であるととらえた。こうして生命系とは、「系内で生じるエントロピーを系外に捨てることによって生命活動を維持している系」であると定義した 。

 玉野井は、環境中に捨てられたネガの生産物である廃熱や廃物を処理する水と土に注目した。土と水は、人間が生きていくために欠かせないものであり、水と土を根本的に再認識して、生命系を大切にしなければならない。そしてそのことは、現代の産業構造に対する見方をとらえなおすことにつながる。

 近代社会は非生命系である第2次産業を出発点として工業化してきた。また工業化の過程で第一次産業は人口や所得の面で縮小させられてきた。経済進化のパターンとしては、第一次産業から第二次産業、そして第三次産業へと発達していくものとされるが、そうした見方では、第一次産業の意義が見落とされてしまう。

 農業・林業・牧畜・漁業といった第一次産業は、どれも生きているものにかかわる産業であり、人間の生命を維持する活動である。その点において、他の第二次産業や第三次産業とは区別されなければならない。こうしてわれわれは、エコロジーまたはエコシステムを踏まえながら、生きている系を社会システムの根底におくことによって、非生命系の世界に生命系の人間世界を対置させることができる。

 玉野井によるエントロピーの視点による経済学の議論は、21世紀の現在においても示唆に富んだものであり、持続可能性を考える際に重要なものであると考えられる。経済活動が環境に与える影響を抑える方法としては、環境破壊によって生じる損失を、コストとして経済活動のなかに組み込む方法が知られている。しかし、その方法によって環境への影響は減らすことはできても、経済活動の枠組みは変わらないため、根本的な解決は難しいと考えられる。

 それに対して玉野井は、経済ではなく環境や生命を根底にすえたシステムを提案し、「広義の経済学」や「生命系の経済学」の構築を目指すようになる。彼の関心は、市場中心の経済ではなく、等身大の生活世界に生きる生活者を中心として、市場や工業を人間本来の仕事をサポートし、生態系を維持するための手段として位置づけなおすことにある。

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