空白日記 2023.2.7



昨日テレビで杉谷を見た。元気にタレントをやっていた。

 昔伊集院光がラジオで日ハム(プロ野球日本ハムファイターズ)の杉谷選手の正月特番の扱われ方を受けて、
「この先で杉谷選手がプロ野球選手ではなく芸人枠としてポジションを取った時に、めちゃくちゃ面白い野球選手から中の下くらいのお笑い芸人というランクダウン現象が起こるけど大丈夫かな」みたいな話をしていた。

 昨日見た杉谷はまさにこんな感じで、芸人やタレントに囲まれたロケはどこか萎縮しているように見えた。ただその中で必死に自分のすべきことを模索しているようだったので、頑張ってほしい。頑張れと思っている。

 髪をセットするのが苦手だ。今日髪いいね、と言われるのは大体シャワーを浴びて乾かした後に会ったり、徹夜して脂でまとまってたりする時で、いっそ言われたことがないなら開き直れるのだがちゃんとセットした時に言われないのはそういうことだろう。
 ただちゃんとセットというのも語弊があり、たまに美容院で髪を切ると美容師がこの髪はこんなふうにセットして〜と教えてくれるのだが、私はマジでそれを覚えられない。
 いや、言われて数日はなんとか行けるところもあるのだが明らかに自分の中で時間と共にその意識が薄れていくのを感じる時がある。


 書いていた日記が消えた。公開ボタンを押しても閉じるボタンを押してもうんともすんとも言わないので、一度タスクを切ったら1,000文字弱消えてしまった。
 現行のバージョンのダークモードだと見えないのだが、↑の区切り線の中が残っていたデータだ。

 軽く目を通してもらえれば分かるのだが、書いてることは愚にもつかない内容でこの後も何を書いていたか思い出せない程度の内容だった。
 ただそれでも自分が労力をかけたものが消えるというのは落ち込むものがある。思い出せない時点であれらはもう完全に消えてしまったのだから、寂寥とした物悲しさがある。
 けれどそれと同時に、私たちの残せるものなんてこんな風にポンっと、もしくは年月をかけて簡単に消えてしまうものなんだなと思うと気が楽になるところもある。
 消える時間が来る、ということを考えるのが好きだ。貴賤も属性も所業も関係なくそれはある瞬間に突然来る。ある瞬間の今とある瞬間の今の見えないほど薄い間でそれが明滅するのは、信じられないくらい素敵に感じる。

 私たちが毎日そうやって消し去りどこかへやってしまっているのが歳月、それを私たちの経験という点で見るなら記憶だ。
 日記なんてものはまさにそんな人と共に消えてしまうものを無理やり固定しようとする試みで、私はそれが嫌だ。
 日記に別の意味を持たせることができるのをつい一年前に知った。心の整理や世界を見直す要素は、日記を際立たせて美しく見せるもので、消え去った今を甦らせて活動写真を撮るようにフィルムに収められる。私にとって日記はある瞬間に一度消え去り、また新たな意味を付加されて明滅した。
 そんな風に日記を使いたい。

 今のところできた日は少ない。でもそれでいいんだと思う。

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