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英語教育・英語学習に関する独り言20 - DXと言語教育について③

前回記事の続き。次に国立国語研究所の助教、宮川創先生の「生成AIを活用した言語教育」について。

ひとつ前の仁科先生の話は、割と一般的だったが、以後の講演者の話はどれもかなり専門的。教育学、言語学、情報科学を専攻した学部卒レベルでないと十全に理解するのは難しいと感じた。つまり、宗教学専攻のCJは「刺激的」だとは感じたが、批判的に捉えることができたとまでは思っていない。ここで言う批判とは、新しい視座から見ようとする営為であって、ネガティブに批評しようというわけではない。念のため。アカデミアにおける Critical Thinking とは、ある議論に新しい可能性を付与しようとする思考そのものを指す。

さて、まず冒頭で宮川先生がはっきりと言明したのは、AI=道具であるということ。道具であるからには製作者がいるわけで、それはもちろん人間である。そして道具であるからには誰かが使うわけで、それももちろん人間である。その製作者・使用者たる人間こそが主体者であり、AIが主体であるわけではない。このことをまずはっきりさせていたのが印象的だった。

確かに、ハイデガー哲学を援用して説明するならば、道具とは自分(現存在)を世界に関わらせるものである。その道具をいかに使うかによって、自分と世界の関わりが決まる。つまり世界内存在としての自分が規定される。火であっても金づちであってもスマホであってもAIであっても、ことの本質は同じである。

最近、多くの大学が生成系AIの使用について慎重になるように学生に呼び掛けたり、あるいは完全に禁止するといった大学(上智大学など)も出ている(ちなみに上智大学のこの決定は、次に話をされた原島先生に思いっきりディスられていた)。

では、ChatGPTとはどのように我々は関わればよいのか。そこで重要になるのがプロンプトエンジニアリングガイドである。

Prompt Engineering Guide

つまりは ChatGPT を正しく道具として使用するには、GPTに与える適切なプロンプトを駆使せよ、ということだ。Google検索エンジンを正しく使用するために、「AND」検索、「OR」検索、ワイルドカード検索、サイト内検索などをちゃんと使いましょう、というのと似ている。プロンプトエンジニアリングについては、それこそググればいくらでも情報が出てくる。もしくはChatGPT自身に「ChatGPTを上手に使うために必要とされるプロンプトエンジニアリングについて教えてください」と尋ねてみてもいいだろう。

生成系AIはまさに百花斉放の感がある。

生成系AI

これらの道具の使い方についても、まさに百家争鳴の感がある。書籍、ウェブサイト、YouTube動画など、日々新たな解説が出てきており、道具そのものも文字通りに日進月歩しているようだ。個人的には梅田望夫氏あたりに、人工知能とウェブ、そして教育が今後どのような相互作用を起こしていくのかを解説あるいは予言する本を書いてほしいと思っている。いずれにせよ、宮川先生の言葉を借りるなら、2018年は50年後あるいは100年後に「奇跡の年」と見なされるのだろう。

奇跡の年

本講演の最後は「宮川2世」によって締め括られた。すなわち、宮川先生の顔が宮川先生の声で喋るのだが、それがすべて動画および音声生成AIで作られていた。またBGMもおそらくAI生成だったはず。さらには映し出されていたスライドもAI生成。『 インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 』のエンジニア総出での一コマ一コマのデジタル・ディエイジング作業は、もはやハリウッドでは笑い話にしたくてもできないだろう。もはや大学生がアイデアの骨子を箇条書きにする、あるいは数百語程度のサマリーを最初に作って、それをAIに膨らませてエッセイ・ドラフト、あるいはプレゼン・ドラフトにする。それをさらに校正する、あるいはモデル動画にして、人間がそれを参照しながらプレゼン練習したりする日も遠くないはず。The future is coming, but you're not in it. で生き残れるのは、『 トップガン マーヴェリック 』のピート・ミッチェル大佐並みに突き抜けた実力者だけだろう。まさに時代が『 君たちはどう生きるか 』と問いかけてきているようだ。

ちなみにシンポジウム後に宮川先生とは名刺交換し、個人的に2つほど質問させてもらった。それについてはこちらのブログ記事で触れているので、興味のある方は一読されたい。

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