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【小説 喫茶店シリーズ】 Ⅰ. 純喫茶「風車」 (vol.9)

話し終えると、見計らったかのように響子さんの叔母さんとお姉さんがやって来た。

「こんにちは、響子がお世話になっているそうで、ありがとう」と叔母さん。そして、お姉さんは、静かに会釈をして座った。

叔母さんは、思ったとおりの、やり手風の快活なイメージだったが、お姉さんの方は、響子さんともちょっと違う、もの静かな人だった。窓辺に置いた一輪挿しの白百合のように。
動と静、対照的な二人ではあったけれど、どちらも、清楚で品のある人たちだった。

それなのに、響子さんは、二人が座るや否や単刀直入に
「わたし出来ちゃったみたい。いや、出来た。三ヶ月だって。おととい病院に行って来たの」
と機関銃のように言い放つ。
隣で僕は、椅子から滑り落ちそうになった。
(僕が挨拶をする前なんだ。どのように挨拶するべきか、まだ想いを巡らせながらお二人の前で鯱張っているんだから、早すぎるよ響子さん。)
と思って、呆れて横顔を見ると、気付いたか
「この人、話した博くん」「高校3年の受験生、それは話したわね。今その演習を兼ねて、わたしに文学講義をしているところ。割と大したもんよ」「あ、大体の状況は説明してあるから大丈夫」「ふたりは初めてだけど、全然気にしなくていいから」と、また立て続けに僕の紹介をした。
誰の話をしているんだか、当の本人はそっちのけだ。

「まぁ、響ちゃんったら、博くんにも話させなさいよ」と叔母さんが察して、笑った。
「ふふふ」とお姉さんも小さく笑った。
叔母さんはともかく、硬い殻に覆われていたお姉さんの、その緊張が解けるのが見えたので、僕は調子に乗って「すみません。姉がせっかちで」
と笑いを取り、場を和ます弟の役割を果たすことが出来た。

叔母さんの名前は「寿子さん」、お姉さんは「道子さん」という。
一通りの挨拶は済み、お姉さんがみんなに紅茶を淹れてくれた。
その間、お二人が交互に短く話した。
既に、今朝早くから二人で話し合っていたという。
多分、響子は妊娠したのだ。それは仕方ないとして、その相手との関係をどうするか、もう彼のことは当たりがついていた。短大の時から、仄めかしていたあの人だと。そして、反対されていたのも、自ら別れて帰って来たことも、二人の間では、察しがついていた。

「この子は、昔からこうなの。静かでおとなしくしているかと思うと、いきなり突飛なことをするの。危なっかしくて、いつもハラハラしながら見ていたのよ。だから、私の手元に置いておこうと思って、ここを預けたのよ」
そう言うと、叔母さんのトーンが少し変わった。
「それに、母親の一番の心残りだった響子。生前、いつも私に響子のことを頼んだのよ」
「私とこの子の母親は、二人姉妹で、姉は私の誇りだった。勉強でも、習い事でもなんでも良く出来て、その上、綺麗でやさしくて、みんなの憧れだった。私は、そんな姉が好きで好きで、一生姉から離れないって抱きついてみんなを困らせた。響子も、母親が大好きで抱きついて離れないのを見ていて、私は自分の幼い頃を見ているようで、胸が締め付けられた。無理にでも引きはがして、その母親を連れて病院に行かなければならない時、私は車の中で姉以上に泣いたわ。そんな時でも、姉は、昔のようにやさしく私を抱きしめて、『寿子さん。そんな悲しまないで、お姉ちゃんがいるからね』って言う。私は、その姉を病院に置いてこなければならないのに」
話しながら、気丈な叔母さんも静かに涙を浮かべていた。

つられて、僕もジーンとしてきた。
そうして横を見ると、響子さんの方が固まってしまっていた。初めのあの単刀直入な勢いは、きっと、大きな不安を抱えてこその反動で、こうして落ち着いて話そうとしていると、改めて事の重大さに押し潰されそうになり、必死に堪えているのだ。

僕は、普段の頼りなさは何処へやら、自ら議事の進行役を買って出た。ここは、僕のような都合の良い部外者が感情を抜きにして進めなければ、という気がした。「え〜と。僕がどうしてこの場に居るのか疑問もあるかと思いますが、いや僕自身が一番かも。ま、僕のことはともかくとして、今は、響子さんのこれからを考えなければいけません」
そうして、黙りこくっている当の本人、響子さんを尻目に、今後の対応策を協議した。
とは言っても、僕はどうしたらいいのかなんて分からないので、ただ叔母さんとお姉さんの意見を交互に調整、集約しただけだが、それは、驚くべき結論にたどり着いた。

「産ませる」
そして、「私たちが責任を持って育てる」というものだった。
あの、もの静かだと思っていたお姉さんの道子さんは、「私はもう結婚しないと決めているから、私の子供として育ててもいい。その方が、響子の将来にもいいと思う」とまで言った。
叔母さんは、「私が彼の家に行って、直接話をしてくる」「母親代わりだから」と言った。決意が感じられた。
僕は、この大人の密談に加わることで、興奮し、何だか体の中から力が沸いてくるような気がしていた。
「よし。僕は、お兄ちゃんになるぞ」と内心思った。
もう、響子さんの弟分でも、産まれてくる子の兄貴分でも何でもいい、ともかく僕は力になるぞ!と思った。
こんな僕にも、早くもこの世の役割が与えられたことを、それが嬉しくて、光栄にさえ思え、大人への階段を一歩登ったような気がした。

響子さんは、隣で聞いているのか、眠っているのか、うつむいたきりで静かに座っている。
多分、物心ついてからずっとこうして、ひとり自分の身の成り行きを、どこか客観的に、黙って受け入れてきたのだろう。
それが可哀想でならなかった。

不肖、神さまから使われし者、僕がついているからな!
と心の中で叫んだ。

(つづく)

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