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一奥という人間、カリスマみこちゃんとの出会いについて

THE NEW COOL NOTERの事務局長の一奥です。
応援いただいている皆様、いつもありがとうございます。

今日は、一奥という人間について、お話をさせていただきます。

一奥は、いわゆる「エリート」人生を歩んできました。
高校受験勉強で、偏差値75の私立に合格。
早稲田大学に受かり、東大の大学院へ合格。

ですが、疑いを持たず猛烈に勉強する受験戦士だったわけではありませんし、順風満帆に生きてきたわけでもありませんでした。

高校受験では、第一志望であった国立高校は落ちました。
大学受験でも、さんざん逃げたあげく一浪。
大学院でも、一年留年と、回り道をしてきました。

同級生や同期は、官僚になったり大企業に行ったりしています。

気がついてみれば中央省庁に挫折し、職を得たのはある巨大な役人組織の中――その間、何が自分の原動力であったのだろうか。
そして自分は今、どうしてこういうことをしているのだろうか。
そんなことを思います。

一つには、特殊な出身(日本国籍ですが、出自は日本ではありません)によって、公立小中学校時代に排斥されていたことがあったのかもしれません。
生まれという、個人の努力ではどうしようもない部分で揶揄され、そこに意固地で夢想家な性格から理解と共感を得られず、自分の世界に閉じこもっていった。

一奥が好きな作品や乱読歴については、以下の個人アカウントの方で、書かせていただいております。

そんな中で、自分が支えとしたのは――支えと<してしまった>のは、ある意味での「頭の回転の速さ」でした。
自分は道を歩いていても、常に思考が止まらず、何かをしゃべったりする時も、言葉よりも思考が加速して常に渦巻いています。

時には「しゃべる」行為は、そして今こうして「文字を打つ」行為すらも、一奥にとっては、「自分が何を考えているのか知る」行為です。
そういうある意味での頭の良さはあったため、勉強に打ち込むことはできました。
……空回りする性質の頭なので「ケアレスミス」だらけの、100点は取れないタイプでしたが。

それでもそういう性質だったので、受験勉強には向いていた。
馴染めない公立学校の中で、ある種、「勉強ができる自分」を支えにしてきました。
それがたまたま奇跡的に、その年の受験問題において、得意科目と苦手科目のバランスがかち合って(苦手科目が異様に難しい年度であり、差がつかなかった)、高橋是清が校長でもあった開成高等学校に入学しました。

――でも。
そこで一奥は糸が切れました。

ずるずると勉強への情熱は落ち、ライトノベルや漫画に関心が傾き、しかし「裏百傑」となるほど突き抜けるわけでもない。(noteにもひょっとしたら縁者がいらっしゃるでしょう。縁者ならわかる、内輪の言葉ですね)
いわゆるオタクとして尊敬される人間にもなれなかった。

勉強なんて大嫌いでした。
そんなものよりも、自分の世界観を構築していくことの方が、ずっと大切だった。自分の世界が無く、必死に世界観を求めただけで、勉強なんてしないですむのなら、1秒だって参考書なんて開いていたくなかった。


――一奥が求めていたものは、誰かと何かをすることだった。


開成の受験では、勉強それ自体よりも、その時同じ塾にいた、自分よりも頭の良い親友(東大に現役医学部で合格し、今医者として頑張っています)と、その他数名の「仲間」と一緒に「○○高校受かるぞーーー!」と。

あの空気感がとても好きだった。
運動音痴で運動が大嫌いだった自分ですが、でも、まるで、一緒に甲子園を目指す高校球児のような気持ちになれたのが嬉しかった。

受験当日の朝の。
それまで、苦しい受験勉強を一緒に戦ってきた、塾の先生達の激励の言葉が。あの熱気が。仲間達とともに、己を「試される」場へ赴く高揚それ自体が、楽しかった。

だから、開成に入って。
自学自習、文武両道。自己鍛錬を以て、独り、高みを目指す――という類の勉学には、関心が持てなかった。

……唯一、あそこの「運動会」は、擬似的にではあっても「みんなで何かを成し遂げる」という目標があったのですが、それはまた別の話。

一奥にとっては開成とは、甲子園への切符のようなものでした。
だからこそ、開成高校伝統の「運動会」にこだわったのかもしれません。勉強ではなく。

しかし、運動会でも誰かを仕切る立場には至れませんでした。
今でも開成高校の卒業裏文集的なもの(「他己紹介」というやつ)には、年度と運動会で務めた役職がが掲載されており、それが、一種のステイタスとなっています。

――自分はそれも手に入れることができなかった。

そんなもんだから、一浪して。
しかし勉強に力を入れられず、なんとか「センター試験の点数だけで合否が決まる」場所を選んで(二次試験で論文はありましたが)、早稲田に入りました。

そしてそこで「仲間」を得た。
今は亡き、心から信頼できる先輩を得た。
今でも忘れません。
その先輩と、新入生歓迎会の時に、スーツを着ていたので(就活帰りだったようです)新入生仲間と勘違いしてなれなれしく話しかけ――先輩とわかってからも、その日一晩中、語り明かした先輩。

そのままその先輩のいるサークルに入った、そんな先輩。
就職氷河期で内定取り消しに合い、大学に舞い戻ってきたのが、嬉しかった先輩。

――今は亡き、事故死した先輩。
自分の人生は、心の底から求めたものが全部かなわない人生なのかもしれない。そういう人生なのだろう、と思いました。

後悔も多いですが、それでも、早稲田という場所は自分にとって「生涯の友」を得る場所でした。

――然れど、後輩から自らもまた先輩と変わっていくことは避けられず。
自らもまた将来を考える時に、一奥は一時、国家公務員試験に向かいました。

そこで、予備校へ通って。
単なる就活ではなくて、国家公務員を目指す、それなりにいろいろな想いを持った者たちの集団でしたから。
その中で、高校受験の時のような「仲間」とともにという感覚を得て。

――然れど、実力が足りずに、彼らの歩みについていくことはできず、そのまま置き去りにされ。
(厚生労働省、国土交通省、外務省へ行った彼らが今も我が国を支えていることを誇ります)

一奥は再び「仲間」を求めて、東大に入ったのでした。

この記事をお読みになっている方に、東大現役の方がいらっしゃったらば、
「何を甘ったれたこと言ってんだこいつは」
と呆れられることでしょう。

何も知らないで、これまた「論文だけで合格できる」大学院の学部がありまして、そこにたまたま得意分野に関するヤマが当たって、一奥は東大「院」に入ってしまった。

しかし、東大は、まして「院」は、人生においてこういうことを成したい、こういう領域でこんなことを突き詰めたいという目的意識を持った人たちが集まる場所です。
「仲間と一緒に何かをやりたい、そんな高揚感を味わいたい」というような、ふわっふわっふわっとした、そんなおぼろげなものしか持っていなかった自分にとっては、あまりにも厳しく冷たい空間でした。

結果、勉学から逃げ。
よくわからないNPOに参加してみたりして単位を落として一年留年。

苦心の思いで、地元の役所を受け。
合格できなければ――早稲田生の頃からずっと続けてきていた、塾講師に、そのままなるつもりでした。

塾講師。
そうです。
かつて自分が、開成に受かった時に、仲間達とそして一緒に苦闘を乗り越えた当時の先生達との、あの高揚感がずっと忘れられなかったのです。
一奥自身は学生ではなくなってしまったけれども、それでも、今度は先生という教える立場であの高揚感を共有したかった。

……でも勉強が死ぬほど嫌いなので、教員免許は取りませんでしたが。

思えば、そんな風に、自分のこれまでの半生は「何かを求め続ける」ことそのものでした。
自分に無いものに憧れて、そして中途半端な、本当に中途半端な才覚はあったので、中途半端な袋小路に自ら入り込んでいった。

そんな中で、それなりの役人の職を得て。
――しかし、かつて轡を並べた仲間達への未練みたいなものもあって。

みこちゃんと出会ったのです。

彼女に最初自分は、東大院のことを「学歴ロンダリング」と自嘲して言いました。
でもそれが自嘲などではなく、精一杯のから強がりであり、自己欺瞞であることを、3秒で見抜かれて、叱られました。

「かっこつけんなボケ」
と、初対面に近いのに、いきなり言われました。

上に書いた様々な懊悩。
人生で積み重ねてきた様々な欺瞞。
話がそれまくるのでこの記事では端折っている、数々の、傷ついて立ち上がるたびに自分で自分の身の回りに作り上げてきた、歪んだ分厚い氷の鎧。

――その全てを木っ端微塵に打ち砕かれました。

「ヘドロの底で泥をすすっている」
と、未練を捨てられず未練に恋々と、見苦しくもがき続けながら、そのくせ世捨て人を気取っていた自分に。
みこちゃんは、仏教の教えを引き合いに出して、
「泥の底から蓮の花が咲くんだよ」
と言ってくれたのです。

誰かに深く帰依することを、その時知りました。
きっと、そういう経験を人生で得る機会は、何度か生まれ変わらねば無いことなのかもしれません。

全幅の信頼を誰かに寄せること。
その信じた誰かについていくこと。
己の身を放擲して、その人のために、何かをすること。

――大学時代の、今は亡き先輩の細い目を思い出しました。

そんな、一奥にとって恩人とも言えるみこちゃんが。
大きな構想を抱いている。
大きな流れを生み出そうとしている。
命を賭けてでも、成そうとしていることがある。

一奥が今ここで、こうしているのは、それが理由です。

いいえ。
――過去の、ヘドロをすすることを気取っていた中での経験すらもが。
過去の様々な出来事で、その出来事により構築されてきた己の人格や、そして能力が。
ある時、一点に凝集する瞬間というものがある。

「歴史」とはある時、一人の人間にその身を凝集させる、というのは誰の言葉だったでしょうか。ユリウス・カエサルを評した塩野七生の言葉だったのか、それとも別の誰かだったか。

ちっぽけな才覚も。
ちっぽけな吹けば飛ぶような能力も。
そして様々心底辛かった経験さえもが、全て、総て、統べて、この時のためにあったのだ。

みこちゃんという稀有な人間を――それしかすがるものしかなかった――いわゆる「エリート」であった一奥は、これまでの人生でまるで知りません。
みこちゃんが持つ才能は、数えればキリが無いほどですが、およそ、世の中の誰もが「たった一つでもほしい」と思うものを、当たり前のように、たくさん彼女は持っていました。

天は二物を与えず、どころか、彼女は信じられないほど多くのものを持っていました。
いわゆる「才能」だけではなく、勉学だけでもなく、普通であれば両立しないと思えるようなものを兼ね備え、さらには、完全に人の心の機微をも、同時に知り尽くしている。

そんな彼女と一緒に、なにかをしたい、と心から思いました。

そんな彼女が生み出したのが『THE NEW COOL NOTER』グループです。

想いの大小はあるかもしれません。
しかし、『THE NEW COOL NOTER』グループは、私のような想いを抱いて、みこちゃんを支えたいなと思う人々から成り立っていると思います。

――誰かと、ともに何かを成すこと。
かつて「ふわっふわっ」と、雲の上にすら昇り、常に浮かび漂っていた自分が、求め続けていたものが、今ここにある。

これが、一奥が『THE NEW COOL NOTER』を全力で支える原動力です。

お読みいただき、ありがとうございました。
どうぞ、これからも『THE NEW COOL NOTER』をよろしくお願い致します。

*このnoteは【共同マガジン】これが私のイチオシだ! 寄稿作品です。
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