ロリショタに理解があった友人をなくした話

はじめに、このnoteを使うにあたって
あくまでもこのnoteの目的は個人的な訣別として
ログを残す事を目的としたものです
メディアとは違うアプローチとして、
第三者の方々に伝えることを最優先しますが
何分、自身のアカウント都合上、このような情報を発信をすると、
凍結する可能性もあり得ます、しかし、凄惨な事件を忘れない為、
なるべく理解のある方々に対してこの書簡をnoteで公開し残したいと思います

そしてこれはもちろんですが、同僚の方やご親族のことを鑑み、
具体的な事件、団体、組織をあえて公表いたしません

7月中旬、僕は友人を亡くした

ラインの既読もつかない、アカウントももう削除されてる…結局この一ヶ月友人の連絡を待っていたが、結局何も連絡がつつかないまま、今日を迎えている…
僕は中高大と、美術系に興味があり学生時分から技術を習得してきた…友人と出会ったのはそんな時だった、いつも休み時間に文学作品や漫画の話を共有していて
友人は夏目漱石の「こころ」は「お嬢さん」って呼ばれている「男性」を奪い合う話だったとか、方や山月記の李朝をプライドが高いツンデレ ネコ耳萌えキャラだとか言ってキャラ化して、今期のアニメに対してゲヘゲヘと下卑た笑いをお互いにしながら、ノートに思い思いのイラストを描きあい妄想を膨らませていた
当初から芸術や美術とアニメを交互にして描くことが多く、そのせいか友人は半端なく絵がうまかった
絵具の扱い方や色彩感覚には目を張るものがあったし、ありえない筆致と色を置いても俯瞰で見れば調和がとれているサムネマジックに魅せられることも多々あったし自分としても負けじとお互いその当時から画像投稿サイトに絵を投函して、
僕も友人もこぞってネット神絵師の技術に惹かれお互いにマネして盗んで自分の絵の肥やしにした

しかし一方、アートとか画壇とかそういう旧来からある大文字の権威性とは全く無縁の人で、根っからの職人気質の人間ゆえに教諭や講師とは常にソリが合わなかった、
こだわりが強く妥協すれば良いものを一点集中で…半面、生真面目で物怖じしないけど話せば柔和に返してくれる人だった
はっきりと自分の意見を言うがゆえに、そのせいか先生からその才能を疎まれているようにも見えた

お互い、権威とか言われてる画壇や御囲に対してはイマイチ、ピンとこなかったし、絵画や芸術に対しての政治的なものに対して常日頃からおかしいなと疑問を抱いていた…
いつか、そう言う面倒臭いしがらみや関係から離れて自分の技術も上げることができる、
見る人も楽しめるwinwinの関係性が作れる現場で活躍できればいいと、そういう淡い希望を持っていた

かたや僕は初っ端から、救えないただのペドフェリアだし中学生のころからロリショタ漫画を描いてはニヤニヤしていた気持ち悪いやつだったから
選択肢はいろいろとあったのかもしれないが結局、他の職業は多分自分を受け入れてくれる素地は整っていないだろうなという漠然とした絶望があった、
話しても引かれるか、怪訝な目をされるのがオチだったし、社会的に見れば「異常者」として排除されるだろうと、その理由も痛いほどわかっていた

けど友人は気持ち悪げに茶化す反面、さっきのネコ耳に関してもそうだったけど、どこかそういう面で割り切って理解があった人で…
個人的な過去のトラウマとか、自分自身のセクシャリティの悩みとかの言及も結構しっかり耳を傾けてくれていた(というか今思えば多分実体験を同人のダシに使われた)
お互いに試験が終わりコンテンツ産業に携わることが決まり就職活動が終わると、社会人になっても
たまに飲みに行ったり消し炭みたいな焼肉を食べながら、お互いに携わった作品の箇所とか、直接的にスケベな描写があると、
「ここの描写は誘い受けであって、襲い受けはいかにもって感じだからあざとい」とか「この幼女同士のカプは尊いから、海外でも絶好の好奇の目で見られいてmemeにもなったりしてる」とか


監督の性癖が相してこの箇所は確信犯だったとか、そういう裏の事情や設定を聞くのがすごく作る上で養分になっていたし…救われる部分でもあり
作品が及ぼした影響やその状況をお互いに褒めあったりする恥ずかしい飲み会をたまにしていた、
一般の人から見るとただ気持ち悪い奴がゲヘゲヘとアニメキャラの猥談を語ってるようにみえていただろう、けれど学生時代と何も変わらない友人との関係が続いているというそれだけでとてもうれしかったし、お互いにそれなりの闇を抱えていたけどそれを作品という形で昇華し、みんなを喜ばせることで、何とか自分たちの境遇を笑えるようにするためにいつも飲み会をすると不思議と生きている実感がわいてきた、春には、哲学の道の桜を見に歩いたりもしていた
そんな友人から先月

「やばい殺される、助けて」

という、ラインの通知が来た
普段は寡黙で、平日の朝一でこんなことを言うなんて今思えば不自然な内容だった
最初はタチの悪い冗談だと思っていた…第一そんなことをいう人じゃなかったから
けれど正直どうすることもできなかったので、その時はふざけて

「嘘松乙」

という返信をしてしまった、ついに激務が祟ったのか?と最初に案じた、お互いエンタメに携わる身の上なのでこういうブラック自慢のようなメールは同業者のほかの友人との会話でもよくあることだったから
僕自身、度重なるタスクに追われる日々だったしお互い思いつめるタイプだったので…次第によっては職場も比較的近いのでまた仕事の相談に乗れるだろうという甘い考えをしていた

その日は雨が降っていた、実はこの時、僕自身事故に見舞われていて死角から右折する車両に車道を超えて吹っ飛ばされていた


幸いにも大事には至らなかったが病院での警察の取り調べと事情聴取と加害者との対応に追われラインのメッセージのことなんて正直構っている余裕がなかった

しかしその後、このことは僕が予想する範疇を超えた形として現実になった

僕はその時、対物事故の為、病院のMRIに搬送されていた、比較的軽度の裂傷だったが脳梗塞などに陥る危険性があると指摘されていたので検査が必要だと脳波のCTとレントゲンを撮ていたちょうどその時…


ツイッターのTLを見ているとその記事が目に入った、放火のニュースだ
しかも友人が務めている場所…悪寒が走り咄嗟にさっきの意味深なラインのメッセージが浮かんだ
まさかと思っていた、冗談だと思っていた、でも、記事がそこにある…事故のせいか頭もはっきりと回らない…何度もラインに返信して安否を確認した
「大丈夫か?」

「マジで返事しろ!」

「ふざけんなよマジで!!」

怒号のように送信したが、一向に既読がつかない、既読がついているのはさっき送った文章だけ…
確認しようともう一度、同じ職場に務めている高校時代からの友人に直ぐ連絡をし生存確認をした
病院から飛び出して、学生時代から使っているグループラインを起動した
「〇〇!大丈夫か!?」
最悪のケースも考えられた、なぜなら二人とも被害にあってる可能性が大だったから、それにいつもそんなに連絡を頻繁にとっていないし
近況報告として年末とか年に一度の恒例の時期にしか、このグループラインは起動しない嫌でもよぎる、最悪の偶然の一致、二人ともが美術を担当していた…

そう思っている時、グループラインに既読がついた、生きていた…幸いにも違うスタジオだったみたいだ
無事だったというのが本当に、安心した取り急ぎ久闊と生存をグループライン上で喜んだ
しかし、一方別窓で送った友人の安否が確認できない、彼女と友人とは接点がなく未だ確認ができない



何度もその後ラインを送ったが、最初にふざけて返信した文章にしか既読がついていない
最悪だった、もしかしたら友人は本当に助けて欲しかったかもしれないのに、当時の僕は正直ネタだと思っていた、
でも、その後も嘘みたいにニュースが延々と流れていて…何もしなくてもその事件とさっきの意味深なラインが繋がってしまう

病院を出たそのあと、電車で友人の勤務先に速攻向かった
その道中、twitterにはそれをネタにする投稿や言葉遊びがTL上で散見された、たとえネタでも人の生死にかかわることをネタにするな!と正直品性を疑っていたが…けれど自分自身ついさっきまで冗談かネタだと思っていた、友人のラインには既読がつかない僕自身が、猜疑心にさいなまれ始めていた

駅に着くその前に、電車の車内から煙が見えた…その瞬間ツイッターの情報は本物だったのかと絶望した
煙が立ち込めている、電車駅の上からもはっきりとわかるほどの大きさだった
ホームをおりて全速力で反対道路に飛び出て現場まで向かった、走っている時の煙はなるべく見ないようにしていた、実際、本当は信じたくなかったし、自分自身あまり実感がなかったままにしておきたかったから、今でも卑怯なことをしていたと思う

現場には重々しい服装をした消防員の方々やずぶ濡れの警官、そして辺りには光も通さないほどの黒色の濃煙が立ち込めていた
火元は一階のようだったが明らかに煙の量のほうが火よりも多い、木が燃えているなら白い煙が出ているはずだ、しかし
ただ炎々と黒煙が建物を覆っていた、一瞬見たときに寒気と悪寒が止まらなくなり血液中の何かが一気に冷え切った
この中に友人がいる、そんな最悪の可能性が頭をよぎった、足には震えが発していて止めようと思っても制御できないし止まらない
いても立っても居られなず反動的に近くにいた警察の方に安否を聞いた
「友人が働いているんです!〇〇という人です」
「中の人たちは大丈夫なんですか?」
「ちゃんと逃げたんですよね!?」
警官は、ただわからない、何とも言えないとずっとその調子だった、何度も何度も同じこと伝えた、友人が中にいること、助かっていてほしいということ、いつわかるんだということ、身勝手な希望をただその場にいた警官に打ち明けるしかできなかったのかもしれない
やがて消防員の増援が到着し現場があわただしくなったところ、邪魔になるからという理由で現場周辺の野次馬払いが始まった
失礼になるんだろうと思い僕はその場を後にした、ほんとはそこに留まっていなければいけないという気持ちが強かったが、
警察の方の反応を見るにつけ、事実を突き詰められるのが本当に怖く「きっと大丈夫だ」という心の余裕を
どこかにもってないと今の現実が耐えられなかった、今この目の前で起きている光景から少しでも目を背けていたかった
今思えばそういう現実逃避にちかい感覚だ、正直卑怯だと今ででも思っているしなぜ留まらなかったのか今でも後悔している

その後、別スタジオで働いていた友人にコンタクトを取った
「生きている」っていう一文字だけでよかった。でも、一向に返ってはこない

午後から仕事に戻り必死で忘れようと仕事に打ち込もうとしたが、しかし脳裏には友人のことしか浮かばない一人また一人と犠牲者の方々が増えていくと同時に…自分の希望が薄れていくのを感じていた

「やばい殺される、助けて」というメッセージ、どうしてあの時、友人の話をまともに聞かなかったんだろう…どうして助けに行かなかったんだろう、燃え盛る黒煙の中、友人は必死でメッセージを送っていたのに…そう気づいたその時に雪崩のような涙が出てきた、良い年こいた社会人が多目的トイレで嗚咽を漏らしていた、今となっては仕方ない事だったんだと、後悔と自戒を抱くことしかできない、何かしらの理由を見つけて生きることを正当化することしかできない

ここからの一ヶ月まさに地獄が続いた、職場では全く仕事に手がつかず、友人を無くしたことを職場でも言えず、ただただ振り上げた拳の宛先を探すような日々…

不幸なニュースばかり目につきそれを追ってしまっている自分がいる
そのほとんどのメディアが、金を稼ぎたいだけで、本当の意味での当事者の意見を蔑ろにして侮蔑し、そんな社会に絶望した…

しかし、ここで一つの、気づきがあったオススメの欄にはそういった「不幸なニュース」のみが蓄積されていく
今まで、被害者数や犯人の素性をYouTubeやニュースサイトで探していたがその情報の履歴や足取りが蓄積していくと、本来広告を表示する為のに使われるトランザクション処理が任意的に自分の見ているニュース記事のおススメ欄を更新していくことを発見した

その時、ハッとした…本当は事件をめぐる状況と今後の対策を考えなければならないのに、気づかぬ間にこういった「不幸なニュース」を自主的に追っている自分がいる
本当は訃報なんて見たくもないし、冷静な目で今後先のことを考えて策を講じなければならないのに、そんな侮蔑を含んだメディアを視聴することで一時的でもメディアの情報に加担している
直感的に僕は理解した、不幸になりたいがためにセルフネガティブキャンペーンを打って嫌なニュースに自主的に目を向けてしまってることに…

NHK職員の会社訪問と犯人との接点の話
あいちトリエンナーレの模倣犯じみた殺人予告、
それに対する運営側の取り下げ、アーティストや

そのほかの無責任な発言…

これらは全て、今の自分にとって間違いなくなんの学びにもならない情報だ、ただ人の感情や遺族の気持ちをなじり、逆なでして訃報を利用してアフィをアジる情報…こう言うゴシップめいた記事を見るとオススメ欄にまたそれと似通った情報が蓄積されてしまう「もうこういう情報には乗らない…」
そう、心に誓った
その時から冷静に一旦、メタ的に時事ニュースを追っていくとyourubeやニュース記事のオススメ欄が徐々に更新されて行った…訃報やゴシップを避けて情報を追っていたからかもしれない

犯人の素性に関する情報だ…
過去、精神科に通っていたという情報…反社会的になる素地が明らかになってきたこと、そしてここで一つの疑念が浮かんだ
大前提として、精神病と鬱はそもそも毛色が違うということ、間違った処方・対処をした場合に突破的な攻撃性の助長や希死念慮を抱く副作用があるといういうこと、SSRIや精神薬の効用とその危険性に関して
それに付随した過去の犯罪・症例情報と、問題点…そして対策も従来のメディア外で散見されてきた
これは後日取り上げようと思うが、薬物処方の副作用に関しては医薬品のガイドラインなどに記載している、またこれに対するインフォームドコンセントがなさらないまま、対処療法として処方されたまま放置された可能性がある、脳に直接作用する薬に関する情報だ、事件と関係がないとは言えない
遺族の情報公開も結構だが、処方していた薬物と症状に関する情報の方が自分にとって情報のウェイトが高く、社会的背景や因果関係を知るすべに人文学や倫理界隈や哲学はマンガやアニメの主題になることも多かったので心身的に落ち着かせ納得できるのに一役買ってくれた、その中で個人的に起こり得る限りの可能性を考えるきっかけになった
冷静になり今後のことを鑑みて、これを機会にしてこのような事件を二度と起こらないようにまたこういう社会的な状況や環境に対して、自分が知り得る範囲内でなるべく正確な情報をいずれ提示・言及できればと思う…

思えば、学生時代から友人と僕は、今の今までアニメ、ゲーム、漫画は、この世の中で居場所がない人たちを包摂できると信じていた、そして現実に相対した時に考えるきっかけを与えてくれていた、なのにそれが当の弱者に壊され奪われてしまったことが、クリエイターとして破滅的な事実を突き付けられた瞬間だった
在学時から表現の力で人を救えると信じて今まで作ってきたし、その自負はどこかにあった、けれどこの事件はそんな僅かな夢もぶち壊してしまった、
結局作品は、何も包摂できなかったし何も救えなかった…結局はただの自己満でしかなかったということを思い知らされた、それもたった一人の手によって

罪を憎んで人を憎まずと言う心境には流石になれない、犯人の犯行は極めてエゴイスティックなもので擁護できる点は微塵もないしそれが許されるものでもない、しかし犯人が辿った境遇を追っていくと…親からも、兄妹からも、最後の社会福祉からも包摂されることがなかった人間だったということが次第にわかってきた
現実から逃れ、社会から脱してしまったが故に日に日に憎むべき象徴が増えていき、唯一の救いの対象であり唯一の社会との接点だったアニメでさえも憎むべき対象になってしまったということ…
犯人自身、余裕がないと近隣の住人に怒鳴り散らして言葉もかけられる様子ではなかったと近隣住民の苦情があったこと…
何故そうなってしまったのか?何故、言葉も交わさなくなるまで追い込まれ家族からそして社会から放置されていたのか?
社会から「異常者」の烙印を押され、排除された対象であると同時にそういう意味においては、僕もこの壊れた社会の中にあって、犯人の境遇を他人事とは思えなくなっていることに気付かされた、なぜなら僕自身も今年に鬱を患い、twitterや他のサービスから排除され「烙印」を押された反社会的なペドフィリアの一人だったから、


ペドフェリアは社会的に言えば「異常者」だ、処罰されるべき対象なのは重々理解している、大人という立場上、実際社会から「異常者」扱いされるのは受け入れている
けれど僕が「異常者」のまま、今まで誰も傷つけることなく平気でいれたのは、たまたま、守ってくれる人がいたから、友人が相談に乗ってくれていたから、同じ夢を持って話せる人がいたからネットで沢山のフォロアーの方がいてくれたから

鬱に関してもそう…若者に対しての労働過剰で困窮した現在の状況で、いつどこで精神が病むかもわからない…将来を考えるだけでも絶望感に苛まれる中、この状態でいつまで自分が「正常」だといい続ける確証があるのか?
ただ、唯一犯人と違った点は、いつも辛い時や差別されたり、凍結したりした時には必ず側に友人がいたことだった…
いつ、情報に扇動されて冷静に物事が見えなくなり気づかぬうちに弱者になり世間から厄介にされるか本当にわからない
そういう意味においては犯人と僕を分け隔てたのはほんの些細な違いでしかなかったのかもしれない

あの日、虫の知らせのようにたまたま衝突事故が起き…自分だけが生き残った、もしかしたら本当は死んでいたのは僕だったかもしれない、僕の代わりに友人が助かっていたのかもしれない、けどなぜ同じ日に起こったのか、何か意味があった、そう思うことにしています

この世の中が、もう少し弱者にやさしい世界であれば、家族がいれば、友達がいれば
現実に目を向けて救いの手を差し伸べる人がいれば、こんな事件にはならなかった、いや、もしかしたら
誰もが不安を覚えるこんな苦しい暮らしにはならなかったのではと、それ以上に、ひょっとしてもう既にこの社会自体が精神分裂症に陥っているのかも

考えれば考えるほど先が見えません

世界が広がれば広がるほど多様化すればするほど、その中で溢れていく人たちがいるのはわかっています、
そして関係性を紡ぎ選び取るのも自己責任だと分かりきっています、けれど依然この世には救われない人々、忘れ去られた人たちがいます
そんな中で表現者として表現すること、こんなペドフィリアでも「異常者」であっても、コンテンツやメディアの力で「他者」を包摂できるという前提を以前と変わらず持ち続けることを忘れてはいけない、それを信じなければ、今まで彼らが、そして僕たちがしてきたことが無駄になり、それを信じなければ絶望しか待っていない…それに、未来にも繋げない。
確かに、人の祈りを無下にする人間はいる、それを利用する人間も大勢いる、しかし一方で人を包摂できると信じて作り続けている人も大勢います…
だから、せめてその人たちの祈りを無駄にしないためにも作り続けること諦めてはいけないと思った

職場に戻っても全く集中できない、気づいたら精神薬に手を伸ばしている自分がいる、それでも代わりできることがないかと、日々生にしがみつき生き恥をさらしている

「異常者」だと決めつけずに話に乗ってくれた友人がいたということ、
誰からも理解されずにいたときボッチにならように側にいてくれたこと、日々、死にたいと思った時に立ち上がることの大切さを教えてくれたこと、そういう人がいたということを、ただ伝えたかった