眼鏡を外せば、ぼやけるから
汚いなあ。汚らわしいなあ…
見たくないニュースばかり
見たくない広告ばかり
欲しくない商品ばかり
聞きたくない情報ばかり
押し付けないでほしい
こっちで選ばせてほしい
「ね?ね?君にはこれが必要でしょ?これがあればすごく便利だよ?ね?欲しいよね?ね?」「ね?だからお金払って?ね?」
うるさいなあ
見て見ぬフリもできないけど、直視はしたくない
こんなだから大人になれないのか。なりきれないのか。中途半端なのか…
年齢的には成人してても、中身はいつまでも幼稚なのか
これでいいんだろうか。でも、こういうことすら感じられなくなったらダメな気がするなあ…
よく仕事の帰り道、疲れていて駅中で人ごみや周りの騒ぎ声にうんざりすると、見たくない。聞きたくない。その気持ちから、眼鏡を外して視界をぼやけさせるんですよ。歩くのに困らない程度には見えるので。そしてイヤホンも耳に挿して音量上げて。
人ごみに多少同化しつつも、最低限の自分のフィールドというか。それを確保しつつ余計な情報を一時的に遮断する。なんとなく落ち着ける気がします。
遮断したがるくせに、寂しがりでもあるから、結局どこかで繋がりは求めるんですけどね。
ただ、押しつけがましいのは粋じゃないよなあ
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