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クーポンに想いを馳せて

僕はクーポン券やポイントカード、スタンプカードの類いが苦手です。

その商品にしか、あるいはその店でしか使えない「汎用性の無い紙くず」が財布の中に入っている状態が美しくないし、根が貧乏性の僕は買い物の度に漏れなく使おうと考えてしまう訳ですが、その都度ムダ無く使うにはどうすればよいか考えを巡らせる運用コストが割りに合わないと感じていました。

何より、
「とてもほしいモノ」

「クーポンで10円20円安くなる普通にほしいモノ」
をいちいち天秤にかける作業がこの上なく嫌だったのです。

まるでクーポン券に行動を左右されているみたいで。

しかし、そこでふと思いました。

何かに左右されるって本当に嫌な事なのか?




ここでスケールを思っきり広げます。
お得意の誇大空想です。

そもそものそもそも…
太古の昔から人類は様々な事象に左右されて来ました。

天候に行動を左右され、
食事はその日に取れる木の実や動物に左右され…
生きると言うことは環境に合わせるという事で、そこに「自分」はありません。


僕がここ数年で一番面白かった本、世界的大ベストセラー「サピエンス全史」によれば、それでも人類は自由気ままに生活していたそうです。

1日の大半を寝て過ごし、狩猟(労働)に割く時間はほんの僅か。
ウサギが取れればウサギを食べ、木の実が落ちていれば木の実を食べ、何もなければ体力を使わないよう寝たり、何かある土地に移動したり…
所謂「その日暮らし」です。
「自分」は無くとも「自由」であったと言えます。


労働という概念が生まれたのは人類が農耕を始めてからになります。

食事が安定的に手に入る代償に「その日暮らし」という自由を失いました。

明日が恐くなったのです。

今のうちに畑を耕しておかないと…
暑くても頑張らないと…
来年の分を残して置かないと…

僕たちが「未来に備えて頑張る事」を当たり前のように「美徳」と思っているのは、こういう理由からです。

共通の「美徳」は大きくなった社会を動かす原動力になります。

文明が発達したのも農耕革命のおかけで
遂には夜をも克服し、安心して眠れるという恩恵に預かっています。

その反面、コントロール出来ない時にストレスを感じるようになりました。

何でも思い通りになると思っているから腹が立ったり裏切られたと思うのです。

思い通りにならない事を前提に生きていれば、それほど辛いことなんて起こりません。


話を元に戻すと、つまり黙っていてもコントロール出来る日常にほんの少しの不確定要素を混ぜる「遊び」をやってみても面白いのでは?と考える事にしたのです。

財布の中の紙くずであるクーポン券=不確定要素に身を任せ、すべてがコントロールされた日常にその「日暮らし」の要素を混ぜる訳です。

例えば
コンビニで「牛乳◯円引き」のクーポンが手に入ったとします。僕は普段は牛乳は飲みませんが、敢えて買ってみるのです。

牛乳を柱にして考えます。

牛乳に合う食べ物は何だ?

アンパンはどうだろう?

近くに美味しいパン屋があったな…

せっかくだからそこに行ってみよう。

…といった感じにです。

そこに木の実があるから拾う太古の人類のように。違うのは「敢えて」の部分。この「敢えて」の部分が「遊び」です。

損得感情で考えるから割りに合わないなどと思うのです。

それ事態は悪い事ではありませんが面白いものでもありません。

僕は「遊び」が大好きです。

「遊び」は油断していると簡単に通りすぎてしまいます。

今まで問答無用でクーポン券を紙くず呼ばわりしていた僕の側を、幾ばくかの「遊び」が通りすぎて行ったのかも知れません。

不確定要素に身を任せ、太古の先輩方のその日暮らしの片鱗を味わう遊び。

今日の食事は何にしようかな?となった時にクーポンに左右されるサイコロの目のような「その日暮らし」も面白いのではないか…
そんなことを思う今日この頃。

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