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漫才の定義を巡る不毛な論戦

今年も家族そろって、敗者復活戦からM-1グランプリをテレビで観戦した。うちは妻がマヂカルラブリーの大ファンで始まる前からずっと、

どうせマヂカルラブリーは漫才ではない!とか言われて、点数低くて絶対優勝なんかできないんだ。。。

とかつぶやいていて、いざマヂカルラブリーが優勝すると涙を流して喜んでいた。(その前のネタの時点で涙を流して笑っていたのだが)

だから、というわけではないが、当然のように巻き起こったマヂカルラブリーは漫才であるか、どうか?議論は全くの不毛で時間の無駄だと感じている。

自分で書こうかと思っていたら正解が書いてあったので、そちらを引用する

(前略)毎年のように『あれは漫才か!?』みたいな話題があがります。僕らの漫才もよく『コントじゃん』という方もいます」と続け、Wikipediaでは「漫才」について「ネタ中に『何をやっても許される』自由な演芸形式となっている」と記載されていることや、M-1グランプリの参加規定、審査基準が「とにかく面白い漫才」とされていることを紹介した上で、「主催者側が漫才じゃないと判断したら失格にすればいい(後略)」

これが全てである。大会のルールは大会が決める。出場資格も審査基準も大会主催者が決める。それ以上でもそれ以下でもない。

例えばM-1の出場資格は以下である(抜粋)。人数もピンはダメだが、6人までなら参加できる。これまで結果として勝ち上がっていないだけなのだろうが、6人組だって優勝できる可能性がある。

出場資格
結成15年以内
・プロ・アマ、所属事務所の有無は問いません。
・ 2人以上6人以下の漫才師に限ります。(1名(ピン)での出場は不可。)
・ プロとしての活動休止期間は、結成年数から除きます。

参加規定
“とにかくおもしろい漫才”

ネタ時間 1回戦は「2分」/2回戦は「3分」/準々決勝・準決勝・敗者復活戦・決勝は「4分」

審査基準
とにかくおもしろい漫才(審査員の採点で決定)

~敗者復活戦~
M-1グランプリ2020・準決勝敗退者にのみ、敗者復活戦の出場権が与えられる。全ネタが生中継され、最も面白かった1組が決勝戦に復活します。

これがNHK上方漫才コンテストになると、出場資格は「結成10年未満の漫才コンビと芸歴10年未満のお笑い芸人が対象」(正確な定義が載っているサイトが発見できず。。)となる。M-1はプロ、アマ問わないのに対して、NHK上方漫才コンテストはプロ限定で、時間は8分である。2019年にはピン芸人のゆりやんレトリィバァが優勝している。漫才コンテストなのに。

おそらくであるが、今回M-1グランプリで準優勝となった”おいでやすこが”はユニットであるからNHK上方漫才コンテストには参加はできないのであろう(もちろん芸歴が長いのでそもそも出られないが。そもそも大会ルールの変更で、R-1に出れなくなり、M-1に参戦したのが”おいでやすこが”なのであるが)

なので、その大会の出場資格、採点条件は一番初めの大会ルールで定義されているので、優勝が決まってから、あれは漫才だ、漫才ではないだはそもそも、ちょっと何を言っているのかわからいんですけど状態なのだ。

M-1は”とにかく面白い漫才”をする(自称)漫才師が漫才をする大会なのであるから、それが全てなのである。(プロアマ問わない時点で漫才師の定義なんてできるわけがない)。

麻雀をしない人には例えがわかりにくいかもしれないが、三麻赤有割れ目有のアリアリ東風荘ルールの大会なのに、正統派の麻雀とは4人で赤無割れ目無のナシナシの東南荘だ!!と叫んだところで意味がないのである。

またこの手の話を面倒くさくしているものに、去年の誰より面白いか面白くないか問題がある。更に不毛だ。例えば、こういうものだ。

 12月20日、漫才日本一を決める『M-1グランプリ2020』の決勝が行われた。私は決勝前に書いた記事の中で、今年の大会は「和牛のいないM-1」であると述べた。

和牛が決勝に出ているときの『M-1』は、しゃべりの技術が高い正統派の漫才師が評価される傾向にあった。いわば、漫才という伝統芸能の正統な後継者の座をめぐる争いだった。2019年にはミルクボーイという現代漫才の完成形のようなコンビが堂々たる優勝を果たした。

出だしから何を言っているのかよくわからない。私は大会1回目から見ているが、「和牛が決勝に出ているときの『M-1』は、しゃべりの技術が高い正統派の漫才師が評価される傾向にあった。いわば、漫才という伝統芸能の正統な後継者の座をめぐる争いだった。」なんて思ったこともなし、それでは和牛が決勝にでていない時は『正統派』は評価されなかったのだろうか?さらに、そもそも和牛は『漫才という伝統芸能の正統な後継者』なのだろうか?そもそも正統派とは誰なのであろうか?

M-1の冒頭の審査員紹介でダウンタウン松本は「彼の前と彼の後」で漫才は変わっていると紹介される。つまり彼は漫才を変えたのだ。(何を?と言われて誰か明確に答えられるとも思えないが)では、彼は正当な後継者なのだろうか?
またミルクボーイは去年は完全なるダークホースで、誰も彼らを優勝候補として挙げていなかったし、彼らはそもそもテレビ初出場だった。しかも、誰もミルクボーイの漫才を現代漫才の完成形なんて思っていない。あれが完成形であれば、他の漫才師はあの形を目指すのでは?でも、そんなことをする人はいない。

今年、和牛は出場していない。出場していたら決勝にでていたかもしれないが、でていなかったかもしれない。本当に決勝まで勝ち上がれたかは別の問題であるし、今年の大会を、去年の大会の出場者を思い浮かべて比較するのも全くのナンセンスである。

例えば、夏の甲子園の優勝校に対して、去年の優勝校の方が強かったよね!って言ったところで、場末のスナックの酔っぱらいの与太話程度のものだ。そもそも年が違う、出場しているチームが違うから同じようにトーナメントを勝ち上がれたかはわからないし、そもそも地方予選を通過できたかもわからない。

もちろん、その年によって強さは違う。豊作の年もあれば不作の年もある。タイムを競う競技では、優勝者のタイムが毎年常に歴代最高タイムということはない。世界記録でも、日本記録でもそんなに頻繁にでるものではない。特に客観的なタイムや飛距離、高さを競う競技ではなく、審査員の主観で点数をつける競技では、それは更に難しくなる。フィギュアスケートなどは特に点数のつけ方のルールが毎年のように変わるから、そのルールによって点数が大きく変わる選手がいる。体操競技などは、技の難易度の設定により点数が違う。かつて‘ウルトラC‘といえば凄い技だったという記憶があるが、今やI難度まで存在しており、かつてのC難度は比較的点数の低いものとなっている。

話をM-1に戻す。M-1は審査員が独自の判断基準で面白いかどうかで点数をつける方式で明確な基準(技能点、芸術点)はなく、審査員が独自で採点している大会である。その明確な客観的な基準がないため、審査員たちは独自で基準をつくり、第一組目をベンチマークにして点数をつける傾向がある。第1組目をベンチマークにするために、第1組目は点数が付きにくく、後半組になると点数が出やすい傾向がある。(第1大会の優勝の中川家が唯一、第1組目で優勝しているのは、最初の大会で誰もそういう点数のつけ方をしなかったから)

つまりM-1には明確に出演順に有利不利が存在する。おそらく、それの不公平を無くすために、笑み籤が登場したのであろう。また、点数は前後の出演者、その出演者がする漫才によっても左右される。会場の熱や余韻、その漫才のインパクトによって、審査員の気持ちを揺れ動いているためである。

優勝したマヂカルラブリーの野田は優勝後のインタビューで、ぎりぎりまで演目を迷ったと答えているのはそれを狙ってのこと。来年は、演目選びの戦略も優勝のためには必要になってくる。

つまり、今年の大会に〇〇がでていたら優勝していたはず!という言説は、その前提条件の不安定さから、言う意味がないのである。もちろん、管を巻きつつ言うのは人の自由だし、そういうのも楽しいのはわかる。しかし、それは宴席の与太話であって、何かを語るには意味をなさないのである。繰り返しになるがファンが引退した選手を思い出して、この時に〇〇がいたら!と思うのは自由にすればいい。

カッコ悪いのは、単に自分の好き嫌いなどの主観を、主語を大きくして一般化していうことなのである。

最後にサンドイッチマンの富澤氏の答えから引用して締めたいと思う。

「変化と進化を止めないからM-1は、漫才は面白い。今後、M-1で見る漫才について話すなら『漫才かどうか』ではなく『好きな漫才かどうか』が正解なのかもしれません」

今年はM-1 に関して何も書く気がなかったんだけどなー。

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