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線香花火上から見るか、下から見るか。または自分のマーケティングの視点はどこにあるのか?

岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』が放映されたのは1993年で、奥菜恵の魅力にノックアウトされたのを覚えています。2017年にはアニメ映画化されたみたいですね。
打ち上げ花火はどこから見ても’球’(昨今は球ではない花火もありますが)というのが答えですが、線香花火はどこから見るかで見え方が違ってきます。これはみんなわかりますよね。全体像が見えるから一目瞭然です。

しかし、打ち上げ花火は大きいので全体を見ることができず、見る場所が違うと見え方が違うのではないか?という疑問からはじまる作品が『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』でした。

予め予防線を張っておきますが、これは私個人の考えであり、どの組織、団体を代表するものではなく、しかもマガジンのタイトル通り窓際で生きる「中堅以上老害以下」のサラリーマンの独り言です。


Agenda noteという媒体があり、そこで掲載されいる記事を読ませていただき、色々と思うことがありましたので感想を書かせてもらいます。

記事は前後半がありますが、予めお読みなってから以下をご覧ください。(前半、後半、話の流れに関係なく引用等させてもらいます。)


大企業の担当者の中には広告だけに頼り、「広告が効かなくなった」と嘆いている人もまだいるようです。しかし今の時代は製品がすばらしければ、広告に頼らなくてもCASHのように話題になったり、予算がなくても映画『カメラを止めるな!』のように大ヒットしたりすることも不可能ではありません。

徳力さんはインタビューの中で上記のように仰ります。また、FBで記事の紹介するとき、以下のコメントをされています。

日本の大企業はとかく、リスクを回避することを最重要視しがちな印象がありますが、リスクを定義してリサーチコストと思ってしまう、というのは極論に見えて実は結構正しい選択肢な気がしてます。
失敗の方が学びがあるのは分かっていても、失敗すると人事評価にマイナスがつく、というのが大企業の人事制度の最大のジレンマだと思っていた自分としては、光本さんの発言にたくさんヒントをいただきました。

1つのキーワードは日本の大企業ということでしょうか。では、何故大企業の人は「広告が効かなくなった」と嘆くのでしょうか?確かに映画『カメラを止めるな!』の大ヒットは記憶に新しいところです。では、同じようにソーシャルで話題になった作品は『カメラを止めるな!』の後で現れたでしょうか?では、それ以前では?2017年のアニメ映画「この世界の片隅に」は近いのかもしれません。

確かに大ヒットは不可能ではないかもしれません。でも、その確率はどのくらいなのでしょうか?1/10?1/100?では、大ヒットの定義は、観客動員数?興行成績?どれでしょうか?

企業の成功を簡略化して考えると、

売り上げ > 原価+マーケティングコスト+販管費

です。どれだけ売り上げ金額を積み上げても「原価+マーケティングコスト+販管費」を超えなければ赤字です。ベンチャーと大企業を比較すると圧倒的に違うのが販管費です。会社の規模が違うので当然ですが、その販管費を超えて利益を出すためには、ベンチャーと大企業では成功の定義が変わってきます。

昔、Twitterがマーケティングとして大注目を浴びたていた時、あちこちで「Twitterで売り上げが120%、130%UP!」「顧客数が3倍!」とかの数字がメディアにバンバンでていました。私のところにもあちこちの企業さんが売り込みに来ていました。そこで私は質問しました。

「うちのAブランドは売り上げが300億ありますが、Twitterをやれば350億になりますか?はい、といってくれれば直ぐにやります」

そうすると、どの会社も「はい」って言ってくれませんでした。まあ、意地悪な質問ですけどね。

また確率も大事になります。私はよく言うのですが、

0か1で言えば、0じゃない。でも、1%か100%で言えばどうなの?

あるか、ないかで言えばあるけれど、それがどれだけ生まれるのか?と言えば、そんなに確率は高くないことは世の中にたくさんあります。映画業界全体で言えば、『カメラを止めるな!』の大ヒットは確かにあります。0か1で言えば1です。しかし、1年間に1000本以上公開されている中で『カメラを止めるな!』的な大ヒットは何本生まれるのでしょうか?1本か、2本ですよね。そうなると確率は1/1000ですよね。では、そんな確率のマーケティングは怖くてできない。ある意味、博打ですからね。そんな確率は。

なので、成功条件と成功確率から大きな企業は「広告」を使うことになります。そして、広告の効きを嘆くことになります。自分たちの成功確率が下がっていることを自覚しているので。

また以下はアンバサダーサミット2019でのさとなおさんのお話のスライドですが、ソーシャルで話題になるのは限定的で、やはりそこだけではダメですよね。会社の規模によってはマーケティングのやり方は違ってきます。

後気になったのは、今の時代は、商品がどれだけ素晴らしくても、高性能でも、それだけは売れない時代ではなかったでしたっけ?それが良いモノ作れば売れるという日本のモノづくりの失敗という世の中の流れだったような気がします。


「オフィスグリコ」なんですよ。オフィスグリコは商品の棚が置かれている横に貯金箱があるだけなので、お金を入れなくても商品が取れてしまいます。でも、お金を入れてくれるだろうと信じることで成り立っている。感覚的には、それと同じです。

光本さんが「オフィスグリコ」を例にとりますが、「オフィスグリコ」は商品の減りと貯金箱の金額が合わないと会社(部署)が差額分を補てんしているので、グリコはとりっぱぐれがありません。なので、完全に性善説というわけではないですね。その後、会社から数百円の差額があった!ちゃんと金入れろ!とかお小言を言われて悲しい気分になったりします。

自動改札機には1台何百万というお金がかかります。大きな駅であればそれが何十台とあり、さらに全国には何万の駅があるため、鉄道会社がそこにかけているコストは莫大です。もちろん、仮に改札をすべてなくせば、キセル乗車をする人は絶対に現れます。しかし、もしキセル乗車によって被る損害よりも全国に自動改札機を導入するコストの方が高ければ、導入しない方がいいと思うんです。

また光本さんは、その前の性善説の話とて上記の例を話されます。確かに導入コストは大きいと思います。在来線用は800万円、新幹線用は1500万円くらいするらしいですね。

電鉄会社の自動改札導入は確かにキセル防止もあるでしょうが、実際には人件費の削減と乗降時間の短縮が主たる目的です。もう覚えていない人もいるかもしれませんが、昔は改札は人が切符を切っていました。一人ひとり。今よりずっと改札通過の時間はかかっていましたが、今は一人1秒もかからず改札を通り抜けています。そして、今や東京の鉄道は相互乗り入れの嵐です。例えば、鳩ケ谷から埼玉高速鉄道で乗って、小田急で箱根駅で降りることも可能です。では、その区間の運賃の計算を短時間で人がするのは可能でしょうか?

もちろん、光本さんはそういう話をしたいわけではなく、性善説の例としてたまたま自動改札の例を出しだだけでしょう。自動改札800万と人一人生涯雇用する人件費4億円(生涯賃金+会社負担の諸費用)を比べたいとは思いません。

だからすごくリスクがあると思われても、自分たちで最悪どうなるかを明確に想像、あるいは定義できていれば、実はそんなにリスクは大きくないことが多いんです。

最終的はリスクの話、ワーストケースの話になっていくのですが、こう考えたことはないですか?

会社でソーシャルメディアの利用を禁止している会社はワーストケースのリスクを想定してる

会社が大きくなればなるほど、ステークホルダーも多くなり、影響の範囲も拡大していきます。例えば、例は悪いですが、同じ景表法違反している企業や労働基準法違反をしている企業があれば、より大きな企業が見せしめとして摘発、やり玉にあげられます。報道でもより大きな企業が名前を連呼され、さらされることになります。もちろん、違反しているので、そこに弁解の余地はないのですが、より懲罰が重くなるのは大企業であったりします。

最近、ある上場企業の社長さんがソーシャルでの活動を一時休止しましたが、あれなどいい例で、自社の株価にも多大な影響を与えました。株価が下がるというのは、株主に対する裏切りになるのでかなり大変な事態です。

何をもってリスクと考えるのかやそのリスクの範囲がどこまで及ぶのかは、それぞれの企業の規模や業態によって違います。自分たちの想像の及ぶ範囲で考えるというは当たり前かもしれませんが、その想像力の範囲外のことも数多く存在しうることも想定した方がいいのかな?と常に思っています。

同じ会社の人間でも、フロントの営業やバックオフィス、マーケティングの人間、役員などそれぞれの立場で見えている環境や問題、視座は全く違います。

「リスク」と一言で括ってしまえば同じことですが、そのリスクの大きさと対応の可能性は慎重に見極めれられる人がやらなければなりません。そして、リスクは確率論だけでは済まされない事態も想定されます。

発生確率が1/1000だとしても、人命にかかわることだったり、それにあった人の一生に残る負のイメージを持たせる事態だとしたら、それはコスト的に対応しない方がよかったとしても対応するべきと考えます。

繰り返しになりますが、徳力さんも光本さんもそんな問題を想定せず、

実験には失敗が付きものです。実験は失敗して得られたものも成果になるため、もちろん成功も、そして失敗も、どちらに転んでも正解なわけです。僕は、成功するよりも失敗したときの方が得られる経験や学べる知識は多いと考えています。

失敗を恐れず、どんどん挑戦しよう!というポジティブなメッセージを伝えたいだけだと思います。私もそう思います。ただ、そういうことは理解しつつも、そういうポジティブなメッセージを言う場合は、大企業はサンドバックとして使ってもいいという前提があるような気がしてもやもやとして書いてしまいました。

皆、自分が見えているものが全てだと思っています。打ち上げ花火のように大きなものは、今の自分の視点から別の視点から見ると別の形に見えるかも!と思うことはできますが、線香花火程度の大きさのものなら全体が見えていると思ってしまいがちです。でも、それって思い込みだと思うんですよ。

だって、線香花火を本当に真下から見たことないでしょう?


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