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会社を辞めて、起業して、2年が経って、いま考えること。

2015年の7月に博報堂を退職して起業した。そこからちょうど2年がたったので、いちど今の状態を文章にしておこうと思いました。会社を辞めるか悩んでいる人たちの、あくまでひとつのケースとして、少しでも参考になれば。

1.文鳥社の設立

二年前に文鳥社という会社をつくった。なけなしの貯金を使って、文鳥文庫というちょっと変わった「本」を製造し、発売をはじめた。16ページ以内におさまる文学を集めた文庫シリーズで、走れメロスから乙一さんの書き下ろしまで、合計で24タイトルを販売している。

代官山蔦屋書店をはじめ、無印良品や、東急ハンズなど、合計200ほどの店舗で取り扱いしていただき、一年間で5万冊ほどを出荷した。ゼロからスタートして、それなりに売れているとも思う。だけど一枚150円なので大した収益にはならない。何よりも、自分が作ったプロダクトをたくさんの人が手にとってくれて、TwitterやInstagramでアップしてくれるというのは心底うれしく、ものづくりの楽しさを改めて知ることができた。尊敬する村上春樹さんの作品も二つほど販売させてもらっている。

いろいろな人に支援をしてもらいながらも、会社はほとんどひとりでスタートした。その時にこんなブログを書いている。ここに書いていることを何一つ成し遂げている気がしないから、恥ずかしくて今はとても読むことができない。  
失敗はたくさんした。オフィス選びを間違えて1年で2回も引っ越しをした(100万円くらい損した)。デザイナーの採用ができなかった(採用がこれほど難しいものだと思ってもいなかった)。普段は仕事が少なく、突発的に仕事が増えてもそれを回すキャパシティもない。半年ほどギリギリひとりで会社を動かしてから、ひとりふたりと雇用をはじめた。

社員が増えると今度は給料の支払いのことで頭がいっぱいになる。毎月引き落とされる金額が跳ね上がり、きちんと支払えるのかが不安になる。仕事も重なり、体調を壊して、首から下が動かなくなったりもした。

シンプルに言えば「会社をつくる」ということを舐めていたのだと思う。それなりに頑張っている自負はあったが、このまま独りでやっていたらダメだと思うようになった。独りでいると、組織も個人も成長が鈍化するのだと思い知った。


2. エードットとの出会い カラスの設立

そんなタイミングで、エードットの伊達と出会った。伊達は同い年で、僕より3年ほど早く起業していた。セールス・プロモーションを事業の主軸として、トップ営業と泥臭い現場仕事を堅実に積み重ね、社員は20名ほどになっていた。ベンチャーとしては今時めずらしい、愚直なビジネスをつくっていた。

自分たちの世代で「電通や博報堂と戦えるようなクリエイティブ・カンパニーをつくりたい」、という共通の志のもと、一緒に働くことに決めた。それが一年前の8月ほどのこと。エードットの子会社として「株式会社カラス」という怪しげな名前の会社をつくった。文鳥社とカラスを合わせて「バードグループ」と呼んでいる。そこから怒涛のような日々がはじまった。

エードットの伊達は営業の天才だ。同じ32歳でありながら、あらゆる日本の大企業の社長や役員とつながりビジネスをつくることができる。僕にとって、間違いなく人生を変えた出会いのひとつとなった。

伊達が仕事の入口をつくり、自分が出口(企画・デザイン)をつくる。次から次へと伊達が持ってくる仕事の企画を考え、デザインを考え、プレゼンをし、実行する。持っているプロジェクトの数は、博報堂時代の5倍ほどもあり、圧倒的に忙しい日々を送っている。しかしながら「仲間とする仕事」がこれほど楽しいものだとは思わなかった。

会社は50人ほどになり、渋谷の宮益坂上にオフィスをうつした。僕は親会社のエードットの役員でもあり、責任も増えた。上場という目標があり、それはとても現実的・具体的なものとして今僕の目の前にぶらさっている。人参をちらつかされた馬のように止まることはできない。博報堂を辞めた理由の一つに「新しい大企業をつくること」があったから、その会社づくりのど真ん中にいられることをとても誇らしく思っている。


3. それで結局のところいま思うこと

総じて言えば、たくさんの失敗とたくさんの出会いがあった2年間だった。もっとよく出来たような気もするし、これが今の僕のベストだとも思える。

来月から最高のデザイナーもチームにジョインしてくれることになった。仲間が増え、会社も仕事も広がった。手付かずの未来を思って希望に胸を躍らせることもあるし、「自分が人生で何も成し遂げられないかもしれない」という不安と絶望に襲われる日もある。しかし結局のところ、何かを創りつづけることでしか、物事は解決しない。

ちなみに給料は博報堂時代よりもはるかに少なくしている。赤坂ビズタワーでキラキラした社員を見ると、少し羨ましくなる日もある。それでも辞めたことに後悔はほとんどない。2年前に戻ったとしても、自分は必ず会社を辞めるだろう。まだまだ先は見えないけれど、一歩ずつ歩いている実感と、その方向が間違っていないという自負がある。

2年前に会社を辞めたときには、今の自分の姿は想像していなかった。辞めな ければ出会えなかっただろう素晴らしい仲間や機会があった。

Dropboxを作ったDrew houstonがスピーチでこんなことを言っている。

「人生が物語だとしたら、僕はその物語をアドベンチャーにしたい」

そういったメタファーで人生を捉えれば、我々に訪れる苦境だって、不可欠なストーリーだと思えてくる。ピンチが訪れないアドベンチャーに、面白みがあるだろうか? 先が読めてしまうような展開にドキドキを感じるだろうか? この先が楽しみでページをめくる手が止めれらない。そんな人生を送りたいと、心から願う。そう思ったとしたら、挑戦する以外に道はない。

「生きることに意味があるのか」という問いをよく見かけるけど、「生きることに意味をつけるのが人生なのだ」と、よく思う。そしてそれは結局のところ、すべて自分次第でしかない。当たり前だけど。考えつづけ、あがきつづけ、挑戦し、創りつづけるしかないのだ。と、

それが2年が経った今の、実感としての学びです。

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