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広告は、ブランド・ジャーナリズムへ。(続・広告がなくなる日)

先日、「広告がなくなる日」という記事を書いたら、想像以上にたくさんの反響をいただきました。デザイン・広告業界は、その代理性ゆえなのか、発信する人が少ない印象があります。この業界のことを発信・批評していくことは、ある一定の意義と需要があるのだと実感しました。今回は個人的にとても関心のある「ブランド・ジャーナリズム」について書いてみたいと思います。

Fearless Girl(恐れを知らない少女)の衝撃

©mashupNY

2017年3月8日。ウォール街の象徴である「チャージング・ブル」の前に、ひとりの少女の銅像が現れました。巨大な牛に立ち向かうように、胸をはり、両手を腰にそえ、その目は真っ直ぐブルを見つめています。街は騒然となり、瞬く間にニュースとなりました。InstagramやTwitterには、人々が少女の横に立ち、同じように胸をはって微笑む写真が続々と投稿され、自発的に爆発的に世界中へと拡散されていきました。

ビジネス社会における男女差別の問題に注目を集めるために、ある金融会社が「国際女性デー」に合わせて設置したものです。このキャンペーンにより、女性役員の比率の多い企業を集めた投資信託の価格が大幅に上昇したという話もあります。期間限定のはずだった銅像は、市民や世界中からのラブコールにより、常設となりました。彼女は今日もそこに立ち、世界中から観光者を迎えています。ウォール街の強さの象徴だった公園は、今や女性の社会進出の象徴にとって変わりました。

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正直に言って、僕はこのキャンペーンをみて、とても大きなショックを受けました。素晴らしすぎる映画を見たあとのように放心状態となり、夜はうまく眠れませんでした。おそらく同業の方の中で、同じように思われた方も多くいるのではないかと想像します。それほどまでに、鮮やかで美しいキャンペーンでした。

ウォール街という経済強者の象徴。女性がビジネス社会で活躍することへの数多の弊害。巨大かつ繊細な文脈を汲み取り、ひとつの銅像を設置するだけで社会を動かしてし、ある意味では変革してしまいました。

「腰に手を当て胸を張る」という、みんなが「真似をしたくなるポージング」は、SNSに投稿するように働きかけています。大胆な発想から、緻密なクラフトまで。鉈で切って、カミソリで仕上げる。すべてが鮮やかです。

しかし兎にも角にも、この施策のすばらしさはその社会性にあります。ちんけなソーシャルグッドとは一線を画す強さです。小さな商品の差異ではなく、今の社会を見つめ、問題をあぶり出し、よりよい未来を提言しました。Fearless Girlは、ブランド・ジャーナリズムの好例であり、広告を進化させたエポックでした。

ブランド・ジャーナリズム

「ブランド・ジャーナリズム」という言葉は、2004年ほどからあると言われていますが、正確な定義がとくにあるわけではないようです。僕の理解では、下記のような定義をしています。

ブランドが意志と美意識を持ち、
社会に対して批評を投げかけることで、
ブランドのストーリーをファンと共有するコミュニケーション

なぜ企業やブランドにジャーナリズムが必要なのか。商品の差異だけでなく、物語を共有する必要があるからです。ただ売る買うだけでない顧客との結びつきをつくることにあります。と言いつつ、これはわかりづらいので、いくつか事例をあげてみます。

マクドナルドは誰もがしっている企業ロゴである「M」を逆さまにし「W」にすることで女性の雇用や進出を応援するメッセージを発信し、話題をつくりました。

(コカ・コーラFB投稿動画より)

歴史的な米朝首脳会談が行われた際に、コカ・コーラは英語とハングルの組み合わせたロゴデザインの限定パッケージを発売しました。説明することのもなく「コカコーラは、人種や国を超えたドリンクである」というようなメッセージが汲み取れます。国同士がどうであれ、少なくとも私たちは米朝の友好を結びたい、と。そもそも「SHARE HAPPINESS」をスローガンに掲げているブランドなので、その具体性をプロダクトで体現しています。

写真:Advertimes

Yahooが防災啓発活動の一環で、銀座ソニービルに掲出した広告です。「ちょうどこの高さ。」という津波の高さとその脅威を、一目でわかるように伝えています。これもたった一つの広告で、大きな話題になりました。

そのほかにも、GODIVAの「日本は、義理チョコをやめよう。」やゼクシーの「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」のコピーも、社会性・メッセージ性のあるブランド・ジャーナリズムだといえます。

なぜブランド・ジャーナリズムが必要なのか

これらの好例からブランド・ジャーナリズムの意義を考えてみます。

ブランド・ジャーナリズムはSNSで賛否両論を巻き起こしながら拡散します。静かな水面に石を投げて生まれる波紋のように、自然に広がっていきます。そこにはブランドとしての意思や思想や美意識があります。誰かを敵に回すかもしれないリスクを背負いつつも、そこに挑戦する姿勢があります。もちろん、メッセージだけでなく、実態が伴っていなければ意味がありません。

ブランドジャーナリズムは、ストーリーを共有し、ファンをつくるための有意義なソリューションになり得るものです。敵をつくる可能性も、嫌われる可能性もありますが、(うまく行けば)企業を好きになってくれる人が増えていきます。プロダクトのスペックだけでモノが売れない時代に、ファンをつくっていくことは最重要課題です。

しかし、日本ではまだまだ広まっていないように思います。否定されることを極端に恐れる傾向が強くあることが理由の一つです。ちょっとのクレームでもCMのオンエアが中止されてしまいます。Fearless Girlも、チャージング・ブルの意味合いを(ネガティブなものに)変えてしまったことで、大きな批判もありました。しかしそれ以上に企業はたくさんのファンを獲得し、社会をよりよい方向に導く活動になったはずです。

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Fearless Girlは、女性進出を勇気付けるだけでなく、世界中の企業や広告に携わる人にも、一歩を踏み出す勇気をくれたのだと思います。その毅然と悠然と経つ彼女の姿を見るたびに、僕自身が姿勢を問われ、勇気づけられています。

企業も広告をつくる人たちも、考え方を大きくアップデートしなければいけないように思います。高い視座を持ち、強い意思を抱き、よりよい未来を拓く美意識を有する企業とその広告が増えていくことを通じて、よりよい社会に広告が貢献していく日を夢見て、日々の仕事に取り組んでいこうと思います。

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