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(63)あきれたの渡米①/あきれたぼういず活動記

前回のあらすじ)
1950年5月に日本を発ち、アメリカ各地を巡業した川田晴久と美空ひばり。
7月に無事帰国し、アメリカ土産の舞台公演やラジオ、映画に登場した。

※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!

【あきれたぼういずの渡米】

川田の渡米からひと月半後には、あきれたぼういずも渡米することに。
メンバーはジャズシンガーの暁テル子に日本舞踊と歌の榎本美佐江、あきれたぼういずの5人で、ハワイの仏教青年会からの招聘だった。

益田の著書によれば、暁テル子の夫である日系二世のキャビイ原田からの誘いだったそうで、原田氏も案内人として同行している。

以降、益田・坊屋の著書と当時の新聞報道、帰国後に雑誌で企画された座談会などを織り交ぜて渡米の旅を追いかけていきたい。

東京新聞・1950年6月23日

一行は6月28日、国際劇場で「渡米記念演奏会」を行い、6月30日朝7時半に羽田を出発。
川田らと同様、ウェーキ島を経由してホノルルへかう。

渡米記念公演の広告/東京新聞・1950年6月25日

益田 ウェーキ島がこれまたビックリしましたね。ああいうところだとは思わなかったナ。
 ……それこそなんにもない。
坊屋 日本のかアメリカのか分らない飛行機のプロペラなんかが、波打際にグッサリとささっていたりしましてね。当時の激戦の後がマザマザと残っていましたね。

「呆れたボーイズ米国珍漫遊」/『面白倶楽部』1951年8月号

川田らと同様、ホノルルに着くとレイを首にかけられ歓迎される。

ハワイ公演では印半纏に蝶ネクタイという出で立ちで度肝を抜き、内容もなるべく日本調のものを選んだそうだ。
ホノルルで開催された仏教青年会の基金募集公演は、2時間もの本格的なショウは初めてということもあり、初日入場者数5千人という新記録を作り好評を博した。

「何しろ“あきれた”の方が朝から晩まで笑わせてばかりおりますので、街を歩いていてもゲラゲラ笑って見られるのには閉口します」と暁テル子の手紙にある

東京新聞・1950年7月16日

益田 究さんだけは、ばかにモテましてね。どういうわけかしりませんが、むこうでは独身者というと、別な眼で見るんですナ。つまり友達になりいいんでしょう。
坊屋 何しろ究さんと来たら女の人のところへ行っては、『アイ・アム・シングル』(余は独身である)といっては売りこんでるんですからずるいですよ(笑)
益田 一寸舞台なんかで究さんをつかまえて洒落に『この方独身です』というと、その冗談を本当だと思っちゃって女性が『山茶花さん、おりますか』『山茶花さんいますか』とやたらに来るんでね、こっちは大いに癪にさわっちゃいましたよ。
山茶花 そうでもないよ。

「呆れたボーイズ米国珍漫遊」

ホノルル公演ののちはオアフ島、ハワイ島、マウエ島と各島を巡演。
現地から東京新聞へ、益田が便りを寄せて近況を知らせている。

 ハワイ邦人の歓迎には心を打たれました、全くそっちにいては考えられない程親切にしてくれます、このごろではハワイ中に「アキレタね」という言葉が流行しています
 今朝はマウエの養老院へ行ってます
 日本の手踊りを子供の時皆ならったようなものです
 失策も続出――コナへ行ったときコナコーヒーがとても美味しいので飲みすぎたら、コウフンしてしまって舞台はてんやわんやでした…

東京新聞・1950年7月30日

【日米あきれたぼういず】

また当時ホノルルでボクシングの試合が行われており、8月1日、アメリカのダド・マリノがイギリスのチャンピオンに勝利。
新たなフライ級チャンピオンになった。
その記念のパーティが9日に中華料理店で開催され、あきれたぼういずも招待されて行ったところ、パーティの中のショウに三人組のヴォードビリアンが登場した。

 そこのショーでイタリア人三人組がアコーディオンとバイオリン、それとコントラバスでとても素晴らしいショーをやりましたが、びっくりしたことは、なんとこの三人と、私共のあきれたボーイズとよく似ておりましてコミカルな内容は客をよく笑わせるのです。
 そして、特によく似ているところは、せりふを時々言うのですがその度に客は爆笑するのです。名前は「タップナチュアス」といって各国を回っているとのことでした。

益田喜頓/『キートンの人生楽屋ばなし』

あきれたぼういずとタップナチュアス(トップナチャーズ)が共に写った写真とともに、このエピソードも当時の東京新聞に紹介されている。

 「日米あきれたぼういず」
 ハワイでも日米対抗……ただし陸上(?)で、ハワイの仏教青年会から資金募集公演に招かれて渡米した「あきれたぼういず」が、ホノルルのナイトクラブで、米本土から来演中のアチラの「あきれたぼういず」ともいうべき「トップナチャーズ」三人組と共演した――これはその時の記念写真

東京新聞・1950年8月7日

【参考文献】
『キートンの人生楽屋ばなし』益田喜頓/北海道新聞社/1990
『キートンの浅草ばなし』益田喜頓/読売新聞社/1986
『これはマジメな喜劇でス』坊屋三郎/博美舘出版/1990
「呆れたボーイズ米国珍漫遊」/『面白倶楽部』1951年8月号/光文社
東京新聞/東京新聞社


(次回4/21)アメリカ本土へ

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