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DAY10  ちょっと忙しかった日だけど勉強も進められた


言葉と感情をつなぐ10

⒈ 生きる美術
ジェームズ・フィッツロイ『ガメ・オベールの日本語練習帳』青土社 2021年
「セミコロン」
「ミッションベイ、という海辺の繁華街はパーネルやニューマーケットの次くらいに近いのでよくでかける。」

 セミコロン。
 持っている英文用のフォント全部でセミコロンをかいてみた。

「モニさんが手首の内側を指さすのと、でっかいにーちゃんと若い中国人が抱き合うのが同時くらいだった。」
 
 こんなにたくさんのセミコロンのかたちがあることに驚く。
 そして、自分にセミコロンの好みがあることにも驚く。


「『いったん立ち止まりはしたけど、やめてしまうわけではない』という意思表示。」

 3回くらい読んだあとでも、どうしても「自殺することをあきらめたわけではない」という意味に受け取っしまっていて、自分は病んでいるのかなと思った。たしかに、人生の状況が良くても悪くても、隙あらば自殺を考えるところがある。



「自殺を考え、試み、自傷するひとたち、ある日突然、自分が外にでていけなくなってしまったことに気づいた人たち、そういう人達が、崖の淵に懸垂してしまった身体をようやく引き上げるようにして、この世界にもどってきて、また生活を続けていることを、仲間達に、そっと、世間が最も聞き取りにくいやりかたで、髪に隠れたうなじや、手首の内側にタトゥーとして刻印している。」

 セミコロンは、そうではなくて「生きることをやめてしまうわけではない」しるし。
 坂口恭平さんの「いのっちの電話」を思い出した。死にたい気持ちでかけてくる人たちの声を、音のように聞いているという話が印象的だった。

 わたしのセミコロンの好みは、点がまるいこと。下の点もちゃんと丸くて、ひとだまみたいな形をしていること。丸から、下のシュッとおりる部分の角度が柔らかいこと(ぐいっとくいこんでいない)先は、なるべく細くなっていて、でもとんがっては見えないこと。
 最終的に、Carta Marina というフォントのセミコロンが一番好きとわかりました。

「陳腐な表現だけどセミコロンのタトゥーは、この残酷を極める世界に咲いた花のようです。」




転院ー被曝3日目

⒉ 核

NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命ー被曝治療83日間の記録ー』新潮文庫 2006年

「転院ー被曝3日目」
「被曝治療チーム結成ー被曝5日目」

1999年9月30日 午前10時35分 臨界事故発生
1999年10月1日 午前6時15分 収束(19時間40分にわたって中性子線が出た)

核燃料加工施設 JCO(ジェー・シー・オー)東海事業所 (茨城県東海村)
転換試験棟

● 被曝した人
 大内久さん(被曝量20Sv前後)
 同僚(まだ名前が出てこない)
 上司(まだ名前が出てこない)

● 治療施設
 国立水戸病院
 放射線医学総合研究所
 東大病院(被曝3日目より)

● 治療した人
 前川和彦 医師(東京大学医学部教授、原子力安全研究協会被ばく医療対策専門委員会委員長)
 衣笠達也 医師(三菱神戸病院外科医長)
 平井久丸 医師(東大病院 無菌治療部副部長) 
 小林志保子 看護師(東大病院 救急部 看護師長)
 平井優美 看護師(東大病院 救急部 主任)
 細川美香 看護師(東大病院 救急部)
 名和純子 看護師(東大病院 救急部)
 柴田直美 看護師(東大病院)
 山口典子 看護師(東大病院)

● 大内さんの症状、臨床所見、検査データ
〈被曝直後〉
嘔吐、意識消失
(吐瀉物からナトリウム24検出)

〈9時間後〉
リンパ球の割合の低下 1.9%

〈2日目〉
身長174cm  体重76kg
意識清明
耳の下と右手に痛みあり
顔面の発赤、浮腫。眼球結膜の充血
剥落、水疱等、皮膚の異常なし

尿量減少
血中の酸素濃度の低下
腹部膨満

〈3日目〉
意識清明、会話可能
右手の痛み、発赤、腫脹

●大内さんの治療
造血幹細胞移植を予定


■ 事故の状況    

 核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業。(「常陽」は茨城県大洗町の核燃料サイクル開発機構大洗工学センターにある)

 発注者:核燃料サイクル開発機構
 受注者:核燃料加工施設 JCO(ジェー・シー・オー)東海事業所(茨城県東海村)
 仕事内容:燃料を「硝酸ウラニル」というウラン溶液の状態で 57kg 納入

 取り扱っていた核燃料:濃縮度18.8%(ウラン235の割合が高い。一般の原子力発電所で使われる核燃料は濃縮度が5%以下→臨界に達する危険性が高い)

 作業場所:転換試験棟

 作業上の問題:

  • 臨界になりにくい形状をした溶解塔のかわりにステンレス製のバケツを使っていた。(バケツの方が洗浄が楽だから)

  • 均一化の工程でも、製品を小分けして臨界を避ける工夫がされていたが、これをやめて貯塔という細長い形の容器に入れて、混合してから攪拌し均一化する方法に変更された。

  • これらが「裏マニュアル」として承認されていた

  • さらに、貯塔(形状制限で臨界を避ける)を使わず、より球形に近い、沈殿槽を使用していた。(JCO東海事業所の主任の承認あり)


☆ 臨界とは
 核分裂連鎖反応が持続して起こる状態のこと。中性子線は人体の中にあるナトリウムをナトリウム24(放射性物質)に変える。

☆ 臨界をさけるためには
 質量制限… 1回に取り扱うウランの量を臨界に達しない限度に制限すること
 形状制限… 中性子が外に飛び散りやすいよう容器の表面積を広げることで、中性子が他の原子核に当たらなくなるため、核分裂が連鎖的に起こらなくなり、臨界には達しない。

☆ IAEAの推定被曝量とは
 検索してもすぐに出てこなかったので、代わりに産業医科大学の岡崎龍史先生の『基礎から学ぶ緊急被曝ガイド』を購入する。

☆ 2次被曝
 放射性物質が撒き散らされた際、ストロンチウム90やセシウム137などを含む、いわゆる死の灰が被爆者の身体表面や衣服などに付着していると、それに触れたり、吸い込んだりして被曝する可能性がある。

 


「このころ、大内はふつうに話すことができた。」(P44) の一文が重い。

 大内さんの「こういうふうに放射線を浴びたら、白血病みたいになってしまうのかな」との言葉を受けた細川看護師の心を思う。

 核のちからとは、こういうものかと、少しずつ学ばせていただいている。

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