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2019年7月27日 土曜 晴れ

☀︎ぐっすり眠れたら、肌は本当にエステ帰りのような仕上がりになっていた。

☀︎鏡をきれいにした。きれいな鏡が“正しい”自分を映してくれる。良いところも、良くないところも。

☀︎風鈴の音が聞こえた。

☀︎ある日近所の工事現場を通ったら、よくわからない言語が飛んできて、振り返ったら、黒人の方々のようだ。今日は買い物帰りの二人が向こうから歩いてくるのを見かけた。この国で安らかに暮らせるように、と心から祈っていた。

☀︎レジから離れた並ぶ線に並んでいる私を気づいていなくて、無意識に横入りしたおばさんを許してあげた。

☀︎食欲がなくても、かぼちゃ冷製スープ、シュガーラスク、ヨーグルトを口にした。

☀︎「相手の女性に裏切られたとか、自分の思いこみが悪かったとか堂々めぐりの後悔をくり返すのではなく、なぜ、それほどのやさしさを自分は期待したのか、そのようなやさしさは、自分の可能性として自分のなかにあるものを開発してゆくべきではなかったのか、と考えてみることである。単純に他人を非難せず、生じてきたすべての事象を『わがこと』として引き受ける力をもつことこそ、大人であるための条件であるといえるであろう。」(河合隼雄 1996 大人になることのむずかしさ 岩波書店 p.134)なるほど。「僕に何を求めてるの?」と聞かれた時に、「わかってくれることと安心感」と答えたことを覚えている。なんで自分がそれを求め、それが何を開発してくれるものだろう??

☀︎「日本人であれば、何もいわなくとも相手の気持ちを『察する』ことのできる人間になることが、大人になることといえるし、西洋人であれば、自分のことは自分で自己主張できることが、大人になることといえるだろう•••日本人はその自我をつくりあげてゆくときに•••自分を他の存在のなかに隠し、他を受け容れつつ、自分の存在をなくしてしまわない、という複雑な過程を経て来なくてはならない。」(前掲書 pp.137-138)なるほど。つまり、自分は西洋的に言えば「大人」だけど、日本的に言うと「大人じゃない」。そして、今つまずいているのは、その複雑な過程を経ていなかったからだということ??

☀︎今日の一汁一菜はもやしと豆腐の味噌汁と、肉野菜の炒め物だった。味噌汁に使ったもやしは、野菜炒めパックのものだった。別々に買わなくて済んだ。

☀︎ネットで見つけたレシピに紹介された火加減のポイントを活かしたらいつもより美味しい肉野菜炒めが出来上がった。

気づき✨

人付き合いにコツがあると言われてきたが、そのコツを無視して気ままにしてきた。コツを使うと本当の自分じゃないと思っていたから。しかし、コツを使えば美味しい料理ができるのと同じで、コツを使うと人間関係が円滑になる。食べるなら美味しい料理の方がいいとしたら、人と付き合うなら、円滑な人間関係の方がいいのかな?料理に美味しさを求めるのは味覚のため、人間関係に円滑さを求めるのは何のためだろう?

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