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こちらこそ、お世話になりました。

今日で1年3ヶ月働いた場所を去ることになった。思いもしなかった盛大な“退職式”をいただいた。

最初は2人の選手が来て、1人の選手にいきなり「ありがとうございました」と言われた。何ということかわからないまま、「お疲れさまでした」と言われて、あー、今日で最後のことをわかってくれたんだとやっと思い知られた。スタッフの方々以外に誰も知らないと思っていたので、びっくりしたし、恥ずかしかった。ちゃんとした返事もできなくて、微笑んでいただけだった。もう一人の選手に「悲しいです」と言われて、終わる実感が湧いてきた。

それだけでいいと思っていた。しかし、夕飯を食べているとき、監督さんがマネージャーさんに連れられて来られたときに、信じられなかった。「お世話になりました」と監督さんに言われたときに、呆れてて何にも言えなかった。「もうここ飽きたですか」と言ってくれたり、上司の方と言葉を交わしてくれたりしたら、やった我に返って「こちらこそお世話になりました」とひとこと言えた。それは本当だった。来られるときに必ず「こんにちは」、帰られるときに必ず「ごちそうさまでした」と言ってくれるし、お土産は何度もご自身で渡してくれるのが監督さんだった。背中を見せる監督さんを尊敬していた。そんな方にお礼をいただけるなんて想像もしなかった。

それが身に余る光栄だった。それだけで十分だと思っていた。ところが、さらに思いつかない展開が私を待っていた。仕事中にマネージャーさんにいきなり名前が呼ばれて、目を向けると、10人ほどの選手たちが入ってきた。うそ?まじ?どういうこと?疑問に思う言葉がポンポンと出てきた。でもそれが夢じゃなかった。現実を受け入れるしかないと思ったが、みんなの前に出られなかった。幸いなことに、やさしい上司の方が隣にいて「行ってあげよう」と背中を押してくれた。それでも恥ずかしくて、全員に目を合わせるのができなかった。主将の方からプレゼントを受け取った。すぐでもその場から逃げたくて、何歩も退いたら、上司の方に「一言を」と言われて、それで初めてお礼を言った。言っている間に、壁に隠れた顔を見ようと体を前に傾ける選手の姿も目に入ったが、どうしても自分を前に出せなかった。せっかく集まって来てくれた選手やマネージャーの方々に大変失礼なことをしてしまった。

ほかにも、「今日で最後ですか?」と聞いてくれた選手、首を曲げてもわざわざ私に「ごちそうさまでした」と言ってくれた選手、「ごちそうさまでした」と言った後に目を合わせて「ありがとうございました」と言ってくれた選手、言葉にしなかったけど、いつもより協力的にしてくれた選手、会えなくてメールでお礼を言ってくれた選手がいた。

自分がこんなことまでしてもらえる人間だと思わなかった。だから、してもらったときに嬉しく思うより、そわそわとしていた。そして、それに素直に対応できなかったのもそれによるものだ。

今日の"退職式"は慣例であるとわかっている。しかしそれは私にとって特別な意味を持っている。私にとってそれが一つの通過儀礼だ。それを通った私が大人に一歩近づいた気がする。私は人にやさしくしてもらえる存在である、と思わせていただいた方々にありがとうございますと伝えたい。おかげさまで、私はもっと素敵な人になれると信じている。


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