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ティール組織の代表格?「セムコ社」のシビアな制度

奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ

ずいぶん昔にブラジルのセムコ社のCEO、リカルド・セムラーの講演会に出席し、一時期話題になった「奇跡の経営」の概要を聞いたことがある。

いまでは「ティール組織の代表格」とも言われるようになっているようで、確かに近い統治形態を持っていると感じる。確かにセムラー氏は講演の中でセムコ社を「デモクラシー型組織」と表現していたし、ティール組織とはかなり親和性があるのかもしれない。

講演会で感銘を受けたのは、(セムコ型)デモクラシー型組織」シビアさ。彼らの言うデモクラシー型組織は実はユートピアでも何でもなく、自律的で自己責任の下、仕事を行うプロフェッショナルでなければ適応できない環境が用意されていることを感じることになった。ここにセムコ社の制度の一旦をご紹介したい。

組織について
セムコには経営人・中間管理職という概念はない。権力が分散している。組織図がない。

評価について
至ってシンプル。セムコでは6カ月に1回無記名で上長を評価する。絶対値が一定水準まで落ちたマネジャーは解任する。その時に事情は掘り下げない。部下が求めていないのだから、シンプルに解任する。 ともかく、コミュニケーションが取れているか、ミスコミュニケーションがどうではなくて、組織で必要とされているかどうかで判断する。

リーダーの 解任について
チームリーダーの解任の権利をチームメンバーが持つ。メンバーはリーダーを解任できるが、解任後のチーム運営、業績の責任はチームメンバーが代わりに負うことになる。解任はリスクのある判断になるから、私(セムラー)はメンバーの判断を信頼することにしている。解任は単純な多数決ではなく、全員が思ったことを話し、意思決定していくプロセスとなっている。そうしたデモクラシーの精神でやっている。解任する側もされる側も解雇される可能性がある。勤務時間など関係ない。時間を買っているのではなく結果を買っている。

事業計画
長期の未来などわかりようがないので、半期計画を重視する。半期計画の目標に対して足りていなければ問題解決方法を立案し、実行してもらう。結果が出ていなければ周囲から「結果出てない」という問題提起があがる。そうして、あれこれ解釈する余地なく、解任される。

経費
支出の制限はない。ファーストクラスに乗ろうがどうしようが自由。しかし、そんなあなたを6カ月に1回周囲が必要としているか話し合う場があることを忘れてはならない。ファーストクラスを使うあなたが組織に必要か、判断されることになる。

会社の仕組みを語る際、解雇・解雇と「デモクラシー型の自浄作用」を強調していた点がとても印象的だった。ここにはセムコ(あるいはティール組織)ならではの組織と個人の関係性が前提にあるかもしれない。例えば、セムコの評価制度のコンセプトについてこのような話もあった。

評価制度の前提

私(セムラー)は評価においては「キャリアは進展しないといけない」という考え方を疑っている。永続的に成長するものは何か?人間においてはガン細胞だけ。そして成長の結果として自己破壊を起こす。木々だって最も成長した木は落雷で最初になくなる運命にある。

問題となるのは中間層。彼らの多くは成長の限界があるわけだが、そうした彼らを解雇していたらきりがない。求められるリーダーシップも状況によって異なる。それを踏まえた評価が必要。

組織と個人の明確な契約関係を元にする

セムコでは、昇進しなければ給与は上がらない。とにかく、彼らが提供した価値に対して報酬を支払う。そのため、何を提供してくれるかをまず聞き、明らかにすることとしている。

我々は成長を求めていない。提供価値に対する約束を履行してくれれば、会社をさぼってビーチに行ってくれて構わないという制度。我々は成長=善とは考えていない。30年間同じことを続けていたとしても、約束してくれた提供価値を出し続けていれば良い。つまりは、組織と個人は提供価値に関する契約関係にあるに過ぎない。

セムコ社において、個人と組織は明確な契約関係で結ばれた関係らしい(発達段階的にはいたってオレンジ的である)。日本企業においてありがちな「家族主義的経営(少々アンバーの響きがある)」とは大きく様相が異なる感じがあるが、ティール組織も構成員の高い発達段階を前提にするはずなので、本気で導入を取り組む場合、セムコに近い自浄作用を入れていく必要があるのではないだろうか。だとしたら、結構苛烈な組織だと思う。もちろん、営利企業として生産性の極大化を求めないとすればこの限りではないが。

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