日々のカメラワーク


長年ずっと疑問に思っていることがある。

みなさんから聞きたいこと。

道を歩くとき、どこを見てますか?



以下、ろくでもない日記のようなものなので、疲れた現実の合間にさくさくっと読んでいただければ幸いです。

昔っからどうしても、うまく目線の行き場を定めることができないのですよね。歩くとき。

例えば、前に向かって歩くんだからそのまま前に目線をやればいいじゃないか、そう思う人。前ってどこらへんです?いや、これは決して哲学的に「前とは何か」「そもそも前という言葉の定義は」とかそういうことを投げかけているのではなくてですね。

本当に、足元のすぐ近く、親指の先からこぶし2つくらいに目をやりながら歩きますか。そういうひとも勿論いるでしょう。けれども、はたから見たらああ、あのひとは何か辛いことがあったんだろうな、と思われそうですし、ブラジル人が見たらどうしたんだい????と声をかけてくるでしょう。さながら今は亡き忌野清志郎です。どうしたんだいヘヘイベイベーです。

真正面から下に、45度くらい下がった位置に目を向けながら歩く。これが一番、やってる人数としては多そうです。でも、こうしながら歩いているとききになるのは、前からやってくるひとにとってどういう風に写ってるのだろうということ。見ているのは下に違いないからやっぱり伏し目がちに見えているのでしょう。目の小さな、私のようなひとだと、古代中国の皇帝がもつ糸のように細い目に見えてるかもしれません。あと、こうしていると座禅をしているときのうす目のように感じてしまって、どうにも気分がさえない。

それなら、もう真正面をどん、と見ればいいじゃないか。お前は一体なににひっかかっているんだ。そう思うかもしれません。わかる、世の中にはもっと考えなきゃいけないことがいっぱいあって、私以外のひとびとはそういうことに対していちいち不安がったり、考え込んだりしないのでしょう。でもほら、もう10年以上このことについては考えているから、少しくらいつきあってよ。ね。真正面を見ていると、一番気まずいのは前から歩いてくるひとをどうしても真正面からズバンと捉えてしまうということ。赤の他人です。気まずいこと山の如し。動かざると言っても、私は前に向かって歩いているから、目の逢ってしまった他人の方へずんずんズンズン進んでいかなければいけない。私の歩くスピードはいつもかなり早く、最寄り駅から25分くらいかかる大学への道を、15分くらいで通り抜けてしまう。

真正面問題で考えなければいけないことがもうひとつ。私の出目。「でめ」と読みます。7歳から眼鏡をかけはじめるほど、どがつく近眼の私。コンタクトにして少しおさまりましたが、基本的には高級な金魚よろしく目がでているんですね。出目だけならいいのですが、幼い頃私は自分に合わない眼鏡をかけていました。度数ではありません。眼鏡の鼻掛けのところです。鼻が低い私。いや、低いというよりも、鼻がはじまっている起点が他のひとよりもやや下にある私にとって、世に出回っている量産型眼鏡の鼻掛け部分は少々こころもとないのでした。今はGINSなど安くてそれなりに使いやすい眼鏡屋さんも出てきていますが、その頃はなかった。鼻へとずり落ちた眼鏡を使って、ややアゴを上げて、言ってしまえば何かを見下すような格好で、世界を見ていたのが幼い私なのです。ですから、真正面を見ながら歩くとですね、ふと気を抜いたときに幼い私の体が覚えたその習慣が、よみがえるわけです。目の前を全て見下しながら、だらしなくアゴが前に出ている私が、ずんずんズンズン歩いてく。自分でもあまり気持ちよいものではありませんし、アゴを下げなきゃ、と常に意識して歩くのもだるっこい。

じゃあもう上を向いて歩こうよ。心の坂本九が微笑みます。常に上を向いて歩いていたら、体は傷ついてしまうでしょう。物理的に。

ね?意外とめんどくさいでしょう?めんどくさいのは私?わかる。

あと、歩いている間、ずっと同じ場所や方向を見ていられないというのも関係している気がする。通行人の顔を見ることはできないのだけれど、前や横で動く人が来ている服装や、街の看板、飛んでくる動物とかをいちいち見てしまうのですね。あとは、音と匂い。ときに臭い。排気ガスの臭いがするとどの車からこの臭いが来ているのか確かめようと、そこらへんの車を舐め回すように目で探しますし、ガソリンの匂いがすると、雨上がりだったらどの水たまりだろうかとふらふら目がさまよいます。東京で歩いていると特に、看板や文字の多さに翻弄されます。よくある、「食事中にドレッシングやラー油の裏に書いてある文字をつい読んでしまう系男子」な私は、カフェの前に出ているおしゃれな黒板や、マンホールの柄、工事現場の建設予定物件などが書かれた案内、ティッシュ配りのお姉さんが来ているジャンパーの文字、ほとんど目で追ってしまいます。

これらを見ないようにすると、自然と目は下に向かい、やっぱり私は猫背で血色の悪い中国の皇帝に戻ってしまうし、外を歩くときはほとんどいつもイヤフォンで耳に栓をしています。こうすると、入ってくる情報は匂いや臭いしかなくなるので比較的らく。歩いていて匂いとかはそこまで出会わないですしね。あ、新芽の匂いが〜とか春の訪れの香りが〜とかそういう詩的かつ私的な感受性はあまり出さないようにしています。常に感受性の窓が全開だとどっと疲れるし、弱くなったような気がしますからね。丸腰でサバンナにいるような感じ。サバンナ行ったことないけれど。


さて、みなさま、歩いているとき、どこを見ますか?教えて欲しい。

どこを見るか、というよりも、もちろん視線は色々なところに動くでしょうから、動いてしかるべきでしょうから、ご自分の目線の定位置はどこに置かれていますか?デフォルトの目線ポジションとでもいいましょうか。知りたい。

忙しいのにここまで全部、たわいもない文章を読んでくれてありがとう。

「くそみたいな」って書いて、消して「たわいもない」って書き直した。

他愛もないという漢字は「たあい」と打たないと変換されないんですね。どうやら「たわい」が正解らしい。ややこしや日本語。おくゆかしかな日本語。



抱いて...
9

コーギィ

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コメント1件

僕も長年同じこと考えてて、もともと足元見るタイプだったんですが今は正面見て歩いてます
猫背と腰痛がひどかったのもあって、背筋を伸ばして前を見て歩くようになりました
まさに人や看板に目が行くんですが、好きな商品やデザインはないかな、小さな子供やタイプの人はいないかなと考えながら観察しています
まあそんなポジティブな日ばかりじゃないですけどねw 気分が落ちてない日だけでも好きなもの探しして歩くようにしてます
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