ブラジルの雨


バスの、一番前の席に座っています。


座席は湿気った青色。日本のように柔らかなクッション製ではなくて、道がうねれば乗客もうねる。そんなバス。

語学学校の放課後プログラムに参加した、その帰り道。

南アメリカ大陸から来た生徒がたくさん乗っていました。私は地球的にも、まったく正反対の場所からやってきたんだなあと思わずにはいられない、そんな溌剌とした生徒たち。彼らがほとばしらせている感情の波に巻き込まれて、私は少し船酔いをしたようでした。

さっき急に降ってきた雨の名残りで、空は珍しく灰色一色。先の見えない一本だけのすらっとした道路と、畑でも田んぼでもない緑の一面と、数本の風力発電機。ときどき、しずくが窓にぶつかります。指で追いかけたところで、追いつけるわけでも、追いかけてくるわけでもない雨です。

隣に座っていたのはブラジル人の友人でした。朝には格好良く整えられていた髭も、今や少し野放図、解放のときを待ちながら少しずつストレッチをしているようでした。かっこいいね、その髭、と言うと、彼はいつも私の頬に髭を押し付けてきます。そして言うのです。髭が生えてこないなんてまだ「boy」だな、と。晴れ間みたいに笑うんです。

そのときは、ラテンの血が流れる彼の横顔にも、さすがに疲れの色が表れていました。だから、私は何も言わなかった。髭についても触れなかった。彼はただの気のいいおじさんで、隣に座っているのが極東ジパングから来た同性愛者だとは知りません。だから、だから、私の膝は、彼の膝にぶつかっていていいのです。彼のジーンズは新しいようで、インディゴの明るさが目に刺激的でした。

つかれた?それだけを、私は彼に尋ねました。

彼はサングラスを少し上げて、私の方を見て、ちょっとだけね、と言いました。ポルトガル語の名残りのある、少し舌を巻きすぎるア・リトルです。

紫外線に弱い目だから、彼は大体サングラスをしていました。

真似をして、台湾から来た女の子と一緒に、私も中華街で安いサングラスを買いました。

いま、このバスの座席に座りながら、私もサングラスをかけられたら。それはきっと素敵なことなんじゃないかな、とぼんやり思ったけれど、私は彼に少し寝なよ、と言って窓の外にまた目を戻しました。

遊ぶ時間は、ずっと続かない方がいいのです。曇り空だって、ずっと見てれば内省のお供くらいにはなります。

こんなに灰色なのは、この国に、この場所に似合わないな。そんなことを考えていると、昔のことが、ある1シーンが、急に思い出されました。

 

 *


 祖父が霊柩車に乗せられるのを見送ったあと、私は高校の入学式へ向かいました。

 葬儀だけは出席し、ハレの日だからと入学式だけは行きなさい、そう親に言われたからです。

 葬儀の最中、私は中学生の頃の学ランを着ていました。

 まだ行ったことのない高校の体育館に向かう途中、私は新しい学ランに着替えました。

 さっきまで、死んだ人に触っていたのです。びっくりするくらい粘っこく肌にくっついてくる蘭の茎の手触りに、顔をしかめていたのです。


 年の暮れに、よそ見運転のトラックと接触した祖父は、自転車もろとも激しくアスファルトに打たれ、二ヶ月ほど病床で耐えていましたが、ある日突然逝ってしまいました。

 お見舞いにいけば、打ち付けた頭蓋への処置のせいで、エイリアンのようになってしまった祖父がベッドで目を開けながら寝ていました。起きているのか、寝ているのかもわからないけれど、目は開いていました。関節もゆがんでしまっていたので、わずかに開きっぱなしになった口からは、まばらで小さな歯と、たまった歯石がのぞいていました。そこから立ち上る臭いはいまでも思い出せますし、ふとしたときに鮮明に私の鼻を刺激します。病院の待合室や、人通りの少ない通り、あまり使われない公共施設にいるときに、その臭いはやってきます。

 もはや、死んでしまうことのすぐ真横にいた祖父の、粘りを帯びた執念や根性のようなものを、私は彼の口臭からしか感じることができませんでした。

 病院に運ばれてから、長男だからと棺をかつぐまで、私は一度も泣きませんでした。泣けませんでした。

 感じたことといえば、蘭の茎の手触りと、口臭くらいでした。そしてそれは、あろうことか私にとって嫌なもの、とラベル付けされていました。おじいちゃん不孝な孫です。

 私以外の親族全員、私の姉も含めて、全員がすすり泣いているなかで、棺桶の窓を私が閉めました。閉める前には祖父の体にみんなが触ります。ああっこんなに冷たいっ、と私の母が泣きじゃくっていました。その横で、中学生用に作られた小さい学生服を着た私は、言われるがまま、祖父の頬に両手で触れました。その感覚。死化粧のドーランの、その下にある皮膚組織の、そのずっと下まで続く、なんにもない、がそこにある感覚。


その感覚が、葬儀から5年以上経った、それも異国のバスのなかで、ブラジル人の友人の隣で、くもり空のなか、急に戻ってきたのです。



あまりにもその感覚が突然で、そして鮮明で、少しパニックになったことを覚えています。

その手の感覚をどうにかしたいと、私は水滴がまばらに張り付く冷たい窓ガラスに急いで両手を押し付けました。祖父より冷たいバスの窓ガラス。

どうしよう、どうしよう、そればかり頭に浮かんでしまいました。時間が経つにつれ、窓の外に逃げていくように、風で飛ばされるように、バスの速さに追いつけなくなるように、その感覚は消えていきました。


なにしてるの?いつのまにかこっちを見ていた彼がそう尋ねました。

どう答えていいかわからず、私は質問を返してしまいました。

雨、ってポルトガル語でなんて言うの?本当に突然、なんの脈絡もなしに浮かんだ質問です。

彼はほんの、本当にほんの少しの間、私の顔をじっと見たあと、シュヴェンドゥ、と発音しました。それだけ。シュヴェンドゥ。

私も繰り返してつぶやきました。シュベンドゥ。

違う違う、シュヴェンドゥ。彼はVの音を強調しました。

シュヴェ、シュヴェ、と何度か繰り返してから、私はその言葉のつづりを彼に聞きました。

少しだけ身を乗り出した彼。伸ばされた指は、さっきまで祖父がいた窓ガラスの上を縦に、横にと動きます。

shovendo

やや右下がりの、雨。

私の目線の、そのすぐ先に、すぐ前に、突然侵入してきたたくましい前腕。彼の薄いブルーのシャツの袖。彼の使っている香水の香り。

祖父の手触り。死というものの底。ブラジル。バスの座席。ミントの香り。

外は灰色。冷たいシュヴェンドゥ。私。サングラスと、短い毛が少し生えた人差し指。


ああ、なんだか無性に寂しい。

ふと思ったときには、窓につづられたポルトガル語も、彼の腕も、祖父も、雨も、元の場所に戻っていました。

私も、元の、異国のバスの中に戻った、それだけでした。












抱いて...
15

コーギィ

日々

日記と雑記と血気
1つのマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。