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【愛にとって過去とは?】佐渡島庸平×石川善樹×羽賀翔一 #コルクラボの温度

こんにちは!『コルクラボの温度』note編集部員のくりむーです!

今回は、感情ミーティングシリーズの第7弾。
コルクの佐渡島庸平(サディ)が、友人であり予防医学研究者である石川善樹さん、漫画家の羽賀翔一さんとともに、平野啓一郎さんの小説『ある男』について語る「『驚き』について(2/3)」をお届けします。

――「愛」にとって過去とは何か?
――「過去の話をする人」と「過去の話をしない人」との違いとは?

「過去を語ることで、未来を見てしまう」という考え方に基づき、話を展開していく。

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(これってどんなnote?)コミュニティを学ぶコミュニティ「コルクラボ」のメンバーが運営している音声番組「コルクラボの温度」。PodcastやVoicyでコミュニティやコルクラボに関することを配信しています。noteでは、「コルクラボの温度」で配信した音声の記事化、その他関連情報などをお送りしていきます。

(今回はどんな記事?)2月1日にPodcastやVoicyで配信した内容を、テキストにしてご紹介します!

▼音声(Voicy)

▼音声(コルクラボの温度 公式サイト)

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『普通』について考える

石川:嘘をつき続けると、本当のことのように思えてくるよね。嘘をつくという行為は自覚的にやることだけど、自覚せずに過去を記憶違いしていることもある。

サディ:そうだね。この前話した『勇気』と同じように、嘘もすごくいい加減な言葉だと俺は思っている。ごまかすという状態はあるよね。でもそれ以外は、その人にとっては真実だなって思うから、嘘は自意識の中では存在しない概念だなって思ってる。

つまり「今ごまかしているなぁ!」という状態はあるけど、それ以外のことは全部本気で思っているのでは?と思うんだ。だから嘘は、弱い言葉というか、すごく揺らぐ言葉だなと思う。

石川:『ある男』は「『普通』とは何か」を、俺はすごく考えさせられた。普通とは、嘘やごまかしとは違って、誰かから指摘されたきに、普通だと思っていたことが普通じゃなかったのか!とはじめて揺らぐことだと思った。

サディ:『普通』について考えるって難しいじゃん。

石川:うん、難しいね。

サディ:それをこういう物語で考えるって、素晴らしい技巧だと思うんだよね。実際に『普通』についての思考が深まるしね。

平野啓一郎さんにとって『愛』とは「あなたを好きな私が好き」であったり「『あなたといるときの私』を私が一番好きな状態」であることなんだよね。『ある男』の里枝もそういう状態だったと思うんだ。

同時に「普通とは何か」をコピーにすると、一般向けとしては抽象度が高すぎると思って。だから帯のコピーは「愛したはずの夫はまったくの別人だった。」にした。そして裏面の帯は「愛にとって過去とは何か?」にしたんだ。


愛にとって過去とは何か?

サディ:「愛にとって過去とは何か?」は本当に難しいテーマだよね。

『ある男』でそう定義しているわけではないんだけれども、「現在」だけを重要視すると、身体的に惹かれる、相手に性的魅力をすごく感じることだけを『愛』と定義しても良いような気すらしてしまうんだよね。

石川:いま目の前にいる人を愛しているとして。たとえばその人が過去に犯罪者だったり、新興宗教にどっぷりはまったりとか、世間的には「普通ではない過去」を知ったとときに、どうして愛が揺らぐのか考えてみると、今にフォーカスしたはずなのに、過去を知ることによって、人は未来を想像してしまうってことに行き着いたんだ。

サディ:なるほどね!

石川:人間の脳はバカだから、今日できることは 過大評価するんだけど、1年後とか10年できることは、とても過小評価するんだよ。だから過去を知ると、今をすっ飛ばして、未来を考えてしまう。そして人は未来を悲観的に見やすいんだよね。つまり「愛にとって過去とは何か」は、今よりも未来に思考が飛ぶってことなんじゃないかな?

サディ:わかる。それ、鋭いね!

(一般的に)過去と未来は一本の線上で、反対側にあるイメージだよね。3歳の三男は、怒るときに「昨日こう言ってたじゃん」と言いたいのに「明日こう言ったでしょ」と言ってしまう(笑)。要するに、昨日と明日が一緒なんだよね(笑)。これって三男の頭の中では、昨日と明日が線上にあるのではなく、一つの円上にあるのかもしれないと思った。

俺は会社でも社員の経歴や学校を覚えていないんだ。コルクラボのメンバーにも、過去に何をしたかは質問しないもんね。今はどうしたいの?とは質問するけど。

石川:田中優子さんの『江戸はネットワーク』によると、「連」というコミュニティに毎回違う「号(ペンネーム)」で参加する人たちがいたらしい。それって一回過去を消すことだと思うんだ。過去を消すことで、現在にフォーカスできる。自分が今その場で機能するかどうかだけが「連」では重視されていたわけ。だから「号」を変えるというのは、過去を消す役割があるんだろうね。個人とは何かと考えると、名前とは首尾一貫した自己があるってことなんだと思う。

サディ:それって明治以降の個人主義の話だよね。


自分が今その場で機能するかどうか

石川:世の中には、過去の話をする人と、しない人がいるよね。自分の過去の話をする人は、自分の中にいろんな点(エピソード)がある。そしてその点をつなぐことでストーリーを語りたがる。自分を語らない人は、Aさんの点、Bさんの点、Cさんの点をつなぎたがる。これはとても今にフォーカスされている。

立場が上の人、たとえば政治家や経営者と話すと、過去の話は聞かれないんだよね。お前は今ちゃんと機能するの?という話になる。

だから、なぜ原体験や実績をつなげたがるかというと、相手に理解してもらいたいっていう欲望があるからでは?と思う。でもそれって、自分をその場で機能させようと思ってないよね。

サディ:理解してもらうということは、自分を尊重してもらいたい、という気持ちがすごく強いと思う。尊重するに値するものは、過去だけ。これから何をするかという未来は「やってみなはれ」になって、皆は遠巻きで見るだけだよね。

理解して欲しい気持ちってなんだろうね。つながりたいという気持ちとは違うのかな?何をもってして「つながる」んだろうね。


新しいものを作る人の「理解されたくない」という気持ち

羽賀:僕は漫画を描くことは自分を理解してほしい気持ちがあると思っていたけど『シラナイ一家』を描いていたときに筆が止まってしまったことがあって......そのときの自分には(周囲に)理解されたくないという気持ちもあった。だから僕は、自分の中の点と点を、線でつなげられなくて止まることが多いなぁと思った。

サディ:俺は、今やろうとしていることに対して、社員が理解できるようなことを考えていてはダメだ、 理解されてたまるかって気持ちがある。だから羽賀くんが、過去の感情を理解されてたまるかって気持ちを持つというのはわかる。

石川:新しいものを作りたい人は、理解されているようだと新しくないよね。その程度だったんだなと悲しくなる。

サディ:俺は羽賀くんの感情をさらけ出して描けばいいと思ってるわけではないんだよね。

俺が羽賀くんに「過去を語らないといけない」と言うのは、理解されてたまるもんかという気持ちを(俺や読者に)理解できるように説明して欲しいってことじゃなくて、そういう気持ちを持つ少年や、この少年はいろいろ考えているんだろうな、という主人公を描いてほしいということ。過去自体は言語化されないままでもいいんだよ。

羽賀:なるほど。ただ過去を語るってことじゃなくって、いま現在の自分みたいなものが投影されているってことですね。

サディ:そういう経験をする人物を描くとかね。

石川:昔、ダウンタウンの松ちゃんが言っていたことがあって。「ガキの使いやあらへんで」のフリートークでは過去の面白いネタを話していたけど、すぐにネタ切れになるから、ハガキを読んで即興ネタを話すようになった。結果、それがすごく面白いという評価を得ていったので、そのときの彼らの自信はすごかったと思う。

何も持たず手ぶらで良い。つまりその場にいて機能する自分は、本当の自信になるよね。

過去を大きく見せたがる人は、本当の意味では自信がないんだよ、やっぱり。何も持たずに機能したことがないんだと思う。

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関連リンク
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各種担当者
●文字起こし:きゅうたろう

●編集:くりむー

●投稿:くりむー

関連note
▼【普通とは何だろう?】『驚き』について(1/3)


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