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人と人を通して自分を知っていく

誰かを通して、自分を知る。

それを繰り返して、深めていくことは、刺激的でおもしろい。

先日、哲学カフェに参加してみた。
初めましての人が半数ほど、総勢12人で、
テーマからどんどん考えたことを話していく。

今回のテーマは、「運」。

「最近、運がいい、悪いっと思ったこと」
から始まり、

「運ってコントロールできる?」

「運のよしあしは解釈の違いだ」

「運て、縁のことじゃない?」

「引き寄せって信じる?」

「貧困の家に生まれたり、障害を持って生まれたりするのは、どう捉えるか」

「事件に巻き込まれたり、災害に会ったりするのは、運が悪いってこと?」

などなど。

誰かの発言から、別の発言、意見、解釈へ発展する。
疑問を伝え、聞き返し、確認する。
自分の考えたことを、ぼつぼつとでも語り、伝えていくうちに、
自分の中で気づくことがあったり、よけいモヤモヤしたり。

そんなとりとめなく有意義な時間をすごした。

誰かの意見や主張を通して、
自分の頭の中で漠然とあるものに、形を与えていく作業をする。

これは、自分を知ることだ。

この前note に
「対象を通してしか自分は見えない」ということを書いた。
他者の視点を知ることで、対して自分の視点を確認することを言いたかったのだ。

自分の目の色は、自分では見えない。|corosuke note(ノート)

自分の頭の中で考えているつもりでも、
そもそも言葉の意味が曖昧だったり、
形になってなかったりする。

一人で考えているつもりでも、
何かに気づいたり形になるときっていうのは、
外からの情報に対して「自分はどう思うか?」を考えている結果なのだ。

なるほど、
人は人の間で生きているなあ。
だいたい、相手が存在しないなら、自分も存在しないのと同じだ。

タロットカードでいうと2番だし、
仏教でいうと「此れあれば彼れあり、此れなくば彼れなし」だ。
(タロットとか仏教とかは、そのうち何か書くかもしれないけど、このへんでやめておくね)

このnoteを読んだ誰かが、
「私の場合、『運』って、なんだろう?」
とか、考えてくれたら、嬉しい。

それは、その人が自分を知るための作業に、わたしが関われたということだから。

*画像は、今日おさんぽに行ったお台場の観覧車。コミケやっててめちゃ混んでた!

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