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フィードバックの大切さ。あるいはシェイクスピア作品の観劇に寄せて。

本日のノートはTwitterの投稿を一記事にまとめたものです。シェイクスピア作品の観劇をテーマに、わかりやすいことばで伝えることの大切さと、フィードバック・共有することの重要性について簡単に記します。

共有することの大切さ

今、特にはシェイクスピア作品の観方や知識・理解について思うこと。同じテーマについて話す時に、「言葉」がわからないというのはやはりもやっとするものだなぁ。やっぱりレベルが違うのだと痛感。玄人も素人も分かち合える言葉で話したいものです。

同時に、自身が知って納得・知識を得たら、同時にフィードバックを意識することもとても大切だと思う。玄人から提供された知識・読み方・楽しみ方を、素人にもわかる言葉・感覚で発信し浸透させてゆくこと。

シェイクスピア作品について言えば

私は初心者。読み方や捉え方が本当に分からなくて苦労していて、正直、SNSに流れる感想の多くがその時すぐには理解できない。そのタイミングで理解できるのは役者の技量と場の空気・雰囲気くらいのもの。随分と経ってから「あ!あの時の、こういうことか!」と気付くことが多い。

シェイクスピア作品は1ステージでもたらされる情報量があまりにも多いから、慣れていない人間は「ストーリー&世界観」など、わかりやすい一部の要素しか受け止められない。これ、個人的には観劇するか否かの決定を前に毎度尻込みする理由の一つ。

「ああ、慣れている人だと戯曲も、台詞も、訳も、演出も、所作も、表情も、衣裳も、美術も、その公演の世界観を支えるすべての要素を、一度に追えるのか。その公演の特徴も、優れた点も、他との差異も、魅力も、一通りキャッチできるのか。羨ましい。私はストーリーを追うだけで精一杯だ。」

そう感じてひどく落ち込むのだよね。たのしいの、とってもたのしいのだけれど、無知が嫌になるの。それで勉強するのだけど、取っ掛かりの取っ掛かり・勉強の仕方もわからないから思うように進まないし深まらない。そして、一般人にとっては必須項目でもないから挫けやすい。

シェイクスピア作品の台詞のおもしろさを堪能できるのは研究者や翻訳家、役者でしょう。私なんぞまだまだ「うわぁ、台詞いっぱい!これだけ言えるのすごいな!」って、技量というわかりやすい部分にただただ驚くというレベルですから。

観劇中に「満足いくように聞き取り理解する」ことなんてできない。自身の日常に馴染みのない言葉は入ってきにくい・ヒアリングし難いものだから聞き取れるかどうかすら危ういし、聞き取れたとしても、観劇時に考えて理解するには至らない。

その言葉・文章の何がすごいのかは、観劇後に再度、落ち着いて注釈まで含めてしっかり本を読み、そこで初めて理解するくらいだから。

すべての作品について言えること

シェイクスピア作品は顕著というだけで、これらはすべての戯曲・公演について当てはまることだと思う。作り手側で当たり前になっていること・不思議とも思わないようなことを、どこまでわかりやすくしてユーザーに伝えるか。ユーザーには通から初心者までいるが、どう加減するか。どう加減されているか。

演劇業界を活性化させようと思ったら、玄人と素人の間の層、つまり私のように「素人とも言えないけれど玄人でもない」という層を活用することが必要だと思う。私ですら「役者の言っていること、役者の言うおもしろさがわからない」という始末だから、玄人である役者から観劇初心者へ直接はどうしたって届きにくいと思うのさ。わかりやすく変換するワンクッションが必要。

さいごに

と、とりあえず勢いで押し通すかたちで投稿してみましたが。途中から自分で言っていること、よくわからなくなったわい。(笑)

今回、タイミングゆえシェイクスピアって言っているけれど。なんのことない。noteで自身が発信するようになったことをキッカケに、演劇業界の販促などを意識するようになり、そこに公演が重なったものだから、シェイクスピアに関連付けてすんごい喋っているというだけ。そして素朴な疑問をそのまま言葉にしているものだから、だいぶ雑。

自分の無知をさらすというのは恥ずかしいし怖い。だけど、飾らずに発信することで、初心者が「どんなところでつまづき」「どんなことを感じるか」作り手側の人々にも多少は伝わっていたら、思うところがあったとしたら幸いです。




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