演劇公演の「当日券」というハードルを越えられない件

観たい舞台のチケットが取れませんでした。調べてみたところ当日券の用意はあるようなのですが「観たいんだけど当日券に賭けてまでは……」と及び腰。そこで演劇の当日券を入手するというハードルの高さに気がついたのでした。

演劇にせよライブにせよ、当日券にお世話になることはあります。

前売チケットを入手できなくて、それでも諦めきれず、当日券を目指して会場へ運んだことは何度となくあります。だけどやっぱり苦手。というワケで、何がハードルを高くしているのかを考えてみました。

ガッツリ時間の工面が必要

入手できるか出来ないかわからない若干枚のチケットのために、ちょっと引く程度には時間を確保しないとならないワケです。事前にチケットの手配ができないような時は大概チケット手配している場合じゃないような事態に見舞われていたりするもので。仕事の段取り・場合によっては早上がりを検討したのち、往路・待機・購入もしくは抽選・購入後開場まで待機もしくは落選して帰路、みたいな一連の流れに費やすだけの時間の捻出が難しかったりします。熱意がないって言われたらそれまでだけど実際仕事していたらままあります、そんな時。

ドキドキハラハラ向いてない

それから、自分のことを考えてみると当日券を求めて会場へゆくまでの心境が本当に無理。向いていない。状況がわからないし何にもできないしで朝から一日(なんなら当日券に並ぼうと決めたその時から)無駄にドキドキハラハラを感じ続けねばならん感じ、動揺しやすいタイプである私には過酷。生きた心地がしない。(や、もしかしたら実際はドキドキハラハラし過ぎて「むしろ生きてる!」って感じかも?なにこの無駄なライブ感。)

大雪の日、当日券の抽選に並んで落選したことも。

とある演劇公演をどうしても観たくて大雪の中当日券を求めて並び、抽選に外れて落胆したことがありました。その時はチケットを余らせているファンの方を見つけて(偶然!)譲ってもらえて(考える前に思わず声を掛けていた)観劇できました。

落胆した直後の出来事だったので嬉しい反面、当日券の抽選に並んだ他の方に申し訳ない気持ちもあったし、ダフ屋的なチケットではないのに何故か罪悪感のようなものを感じたり、チケットを複数枚購入して余らせている役者のファンに複雑な心境になったり。

大好きな団体だったからこそ複雑な気持ちになったのよね。団体が悪いワケじゃないって頭では理解しているのだけれども釈然としなかった。

バクチ的な要素が多い

ライブのように「チケットは可能な限り出すから席であれ立ち見エリアであれ観られるよ」ということなら気負わずフラりと立ち寄れる。だけど演劇はそういうワケにはゆかないことがほとんど。となると当日券が若干枚とか争奪戦とかは想像に易いし、それを懸念して「舞台は楽しみだし見たいけどそこまで時間を割けない」というユーザーが多いのも分かる。正直、どっちに展開するかわからない感じを楽しんでいる余裕もない。

自身がプレイヤーであるとか余程慣れている演劇ファンだとかは問題ないんだろうなと思うと羨ましくもあります。そんなに気軽に舞台観に行けたらおもしろいんだろうなとも思う。

携わってはいるけれど、演劇は非日常です。

演劇は「ハレ」です。宣伝美術として演劇に携わってはいるものの、私にとってみれば演劇は非日常、スペシャルです。劇場へゆく、そりゃあもう立派なお出掛けです。たとえ小劇場であってもおめかしして行きたい程度にはイベントです。劇場という場所には馴染みがありつつも、それでもやっぱりめかし込んで向かいたい場所です。だからフラりと立ち寄るとか、何の準備もしないで向かうという感覚がないのだよね。仕事の後、顔も服もヨレヨレクタクタなのが嫌だし、そもそもは仕事の後に当日券を求めて向かってからの観劇という元気(気力・体力・思考力・理解力)もない。このあたりは個人差が大きい項目ですね。吾輩は軟弱である。

演劇をもっと身近なものにしたい

そう「言う人」は多い。私も演劇がもっと身近になればいいのにと思っている。だけど、様々な人の意見を聞いてみないと実現させるのは難しいなと思ってもいる。作り手から出てくるアイデアとユーザーが求める形はきっとまったく違うから。

いろんな人と話しているよとか、新しい企画やおもしろい挑戦を考えているよとか、それは結構。だけど、似たり寄ったり・同じ分野・知った顔、そういうフィールドでああでもないこうでもないってやってたって、きっと願うような形は生まれないと思うのよ。

デザインを仕事とし宣伝美術として演劇に関わっている私は、関係性もデザインできるようになりたい。作り手と演劇・受け手と演劇、探り繋げて最終的に作り手と受け手のための演劇に繋げたい。ステップや関係をデザインしたい。

なぜそう思うのか

それは自分がnoteで発信するようになったから。noteでは様々な分野・様々な立場の方が発信している。そのどれもが魅力的で何かしら心に引っ掛かるような部分があって、自分の視野がいかに狭かったかにも気づかされるし分野や業界の凝り固まった思考や価値観にも気づかざるを得ない。自分が正しいと思っていたような部分があれば、とても落ち込むだろうし、一時は自信を無くすかもしれない。だけれども少し落ち着いて考え直してみればなんだか心が軽くなっていることに気付いたりもする。

自戒とか反省とか自信の喪失とか価値観の崩壊とか、その先に見える光とかワクワクする心とか。身近な交友関係だけが現実じゃないのPCやスマホの向こうにいる様々な作り手と出会えるこの場所はとても素敵な場所なの、ここも現実なの。

今日も今日とて

やや脱線にも見えるけれどそれはそれ。演劇をもっと身近な存在としたくて私は今日もあっちこっちフラフラしながらアイデアソースやスパイスを収集中。それから演劇人に触れてもらいたいような有益な情報や素敵記事のシェアも目的のひとつに。自分がハッとしたような記事はバシバシ共有してゆくの。そして自分もそんな記事が書けるようにがんばるのだい。

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宣美の視点

作る側と受け取る側、その間にいる宣伝美術。間にいるからこそ見えるもの聞こえるもの。演劇のはなし。
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