超高感度テレビカメラ「新スーパーハープ」の実力と可能性に迫る

闇夜の急襲作戦を“映しすぎた”カメラ

 はるばる来たぜという感慨を抱く間もなく谷岡健吉さん(技研・撮像デバイス主任研究員)はその夜、函館にやってきた。

 緊急の呼び出しを受け世田谷区砧の技研から渋谷の放送センターに駆けつけると、いきなり千歳行き最終便の切符を渡される。羽田空港でのいつもより厳しい手荷物検査をようやっとクリアしてゲートに駆け込み、到着した千歳空港で迎えの車に飛び乗り、陸路を飛ばして現地に到着したときには日付は6月22日に変わっていた。1995年、全日空機・函館ハイジャック事件の夜のことである。

 現地に到着した谷岡さんは、持参した“超高感度カメラ”を滑走路脇に陣取る中継車の屋上に据え付けた。ライトを灯すことのできない暗闇での設置作業で、トラブルもあったが何とかカメラに火を入れることができた。そして300m先のハイジャック機に狙いを定めると、映像がモニターに映し出された。
 だが、その映像はとても放送に堪えるようなものではなかった。
 画が悪かったのではない、良すぎたのである。
 曇天に月も隠れる闇夜では、従来のテレビカメラはまったく機体を捉えることができない。肉眼でも輪郭が薄ぼんやりと見える程度だ。
 しかしこのカメラだけは、突入のタイミングを窺いながらハシゴを持って機体にそろりそろりと近づく機動隊員たちの姿を鮮明にとらえていた!
 機内のハイジャック犯に情報が伝わる可能性が少しでもあるなら、とても放送では流せない。しかも「機内に伝わる可能性」はあり得ることと、誰もが疑う背景もあった。

「NHKの中継車には各社の報道陣が押しかけ、かたずを呑んでその映像を見守っていました」(谷岡さん)
 午前3時43分、特殊急襲部隊の隊員が3カ所のドアから機内に突入、ほどなく犯人は取り押さえられた。幸いにして単独犯であることも明らかになり、事件は無事解決した。

 当時の新聞記事を見てみると、発生から解決まで分刻みの情勢が記録されている。よく見ると、「3時35分、しゃがんでいた隊員が立ち上がる」とまで記述されたものある。
 警察発表がここまで詳細にわたるとは思えず、したがってこの記事を書いた記者も、突入の一部始終を映し出すこのカメラの映像に釘付けとなってメモを走らせていた報道陣の一人だったに違いない。

その道の最高権威も首をひねった画期的発明

 今回展示されている超高感度カメラの名は“新スーパーハープ”。
 ハープ(HARP)とは動作原理を示す英語の頭文字をゴロ良く並べたもので、それ自体が世界に誇るべき発明だ。
「最初に原理を発見したのは1985年のことです。内密に研究を進め、メドをつけて87年に、まずIEEEにレターを出しました」(谷岡さん)
 IEEE(アイ・トリプルイー)は電子工学の分野では世界で最も権威ある組織。だが、レターを受け取ったレフェリーの一人は、その驚くべき性能に「はなはだ疑問である」とまでコメントしたという。
 だが、論より証拠。
 この新原理「ハープ」を使って、現実に高感度のカメラが製作されている。しかも時を経るごとに性能は向上しているのである。最初の「ハープ」が従来のカメラの50倍、「スーパー」がついて約100倍、そして「新スーパーハープ」となって、なんと640倍の超高感度となったのだ。

 今回の展示では、特別につくられた暗闇に人形を置き、新スーパーハープと従来のカメラの映像を見比べられるようになっている。見た目も大きさもさして変わらぬ2台のカメラで、よくもまあこれほど性能の差が出るものかと実感できる展示構成になっている。

 しかも、思いのほか、画がキレイなのだ。だいたい電気信号を600倍に増幅しようとすれば、雑音も600倍か場合によってはもっと悪くなる。そんなものをブラウン管に映しても、映るのはノイズばかりで、何が何だかなのかさっぱり分からぬはず、と詳しい人なら思うに違いない。しかし“ハープ”にはそんな気配は全くない。
 背景の暗闇はあくまで黒いままでありながら、被写体にはちゃんと色が乗っている。ざらざらとノイズの多い暗視スコープや、白黒でしか撮影できない赤外線カメラなど従来の高感度カメラとも一線を画する画質が“ハープ”で手に入るのだ。

“消えゆく素材”へのこだわりが大発見につながる

「ハープでは光を受けて電気信号に変換する役目を果たす膜を、セレンという材料でつくっています。もともと昔のテレビカメラでもよく使われていた素材ですが、そのセレン膜の研究を続けているうち、文献にも載ってない現象にたびたび出会うようになった。それにのめり込み『これをライフワークにしよう!』と続けてきた研究の成果なんですよ」

 もともとセレンは100年以上前から、光と電気を仲立ちする素材として利用されてきた物質である。その性質を利用した“サチコン管”も、かつてはテレビカメラで多く使われていた。しかし現在、大部分のテレビカメラでその役割を果たしているのは、みなさんも耳にしたことがあるだろう“CCD”、デジカメの広告などで「300万画素登場!」と出てくるアレである。CCDは大規模集積回路の一種であり、大量生産でき安価で丈夫という特質から、旧来のサチコン管をほとんど駆逐してしまっている。

「だから私の研究テーマそのものも消えそうになったことがあったんです。『キミはもうすることがないから』と研究所を追い出される夢まで見たくらい(笑い)」

 しかし、セレンにこだわって研究を続けていた谷岡さんは、あるきっかけで見つけたセレン膜の不思議な挙動にピンと来て、世界の誰も知らなかったセレン膜の利用法を見つけだしてしまった。

 そして、長年にわたってこのセレン膜について研究を続け、さまざまなデータを取得していた蓄積が、「現実のテレビカメラに使える撮像菅をつくる」うえで大いに役立った。

電子の「雪崩現象」を起こさせる不思議な膜

「ハープのAはアバランシェ=雪崩という意味です。膜の片側に当たった光はまず電子に変わり、その電子が膜を通過するうちに雪崩のようにどんどん大規模になって裏面に到達する。ちょうど雪合戦の雪玉が、膜を通り抜けると600倍の大きさの雪だるまになると想像してみてください」

 しかもこの膜は撮った映像のうち暗い部分はあくまで暗く、わずかに光のある部分のうち、暗めの部分は暗めなりに、明るめの部分はそれなりに明るくして、カラーで映像を映し出してくれている。人間の目でも薄暗くて白黒にしか見えないシーンであっても、きちんとしたカラー画像を得ることができるのだ。

「ノイズや残像といった画を汚す邪魔者がやりようによっては消せる、きわめて高画質で高感度のカメラが作れることがわかったんです」
 ここからハープ、スーパーハープ、新スーパーハープという一連の高感度カメラが 生み出されたわけである。

“発明頭脳集団”と冠せられるゆえん

 ところで、先のハイジャック事件報道には後日談がある。ちょうど1年後、「3時35分、隊員が立ち上がる」と書いた同じ新聞で、技研が開発してきたさまざまなヒット技術を紹介する記事が掲載された。
 とりわけハイジャック事件の現場に新スー パーハープカメラが持ち込まれた経緯が詳しく記されている。

 現場に居合わせてこの超高感度カメラの映像を目にし、闇の中から浮かび上がる鮮明な映像に釘付けになったときの驚きがにじみ出ている文章だった。記事のタイトルは『驚異の発明頭脳集団』――。

「セレンという材料にこだわったからこそ、こういう成果が出せたと思っています。英語で、捜し物を見つけるとかささいな出来事に気づく能力とかいう意味の“セレンディピティ”という言葉があると聞きました。机上で考えるだけでなく、自ら手を動かしてきたからこそセレンの捜し物が見つけられた……、そう思うとちょっと嬉しい気がしますね」

 工業高校を卒業し放送の現場に携わる技術マンとして入局した谷岡さんは、現場と技研を行き来しながらこの大発見をモノにし、東北大学から工学博士号を得たという、非常に珍しい経歴を持つ人物だ。

 技研を発明頭脳集団と呼ぶことにもとより異論はない。だがこの集団は、こういった一人一人の“研究にかける熱”が重なってこその“集団”であるということを忘れないでおきたい。

初出:NHK放送技術最前線(技研公開特設サイト, 2000年5月)

 2000年GWに開催された技研公開イベントのWEB特集記事、全7回の第2回。人物の肩書等は当時。
「アナザーストーリーズ 全日空857便ハイジャック事件」(2019年放送)でも取り上げられています。



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