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ベティブルー

『ベティブルー』という映画を観ました。原題『37°2 le matin』。雑誌の映画特集で見つけて、3時間の長尺だけどまあ見てみるか、となんとなく見たら、結構今でも忘れられなく… 自分にとって大切な映画の一つになった。

正直に、誰にも邪魔されず生きる1.5人の命の形

3時間あるけどいちいちおしゃれ…。家具など背景や服の色づかいがほんとーにおしゃんでそれを見つつ、ゾルグカッコいいーと眺めつつ、ベティは真面目だなぁとか考えてたら結構すぐ終わる。

ゾルグは、過剰に気取ってはいなくて誇りを持っていて、
ベティのことを守らなきゃ、と必死だけどたまにそれを忘れちゃう危なっかしさが素敵。

ベティは、本来だったらもっとフォーカスを当ててもいいでしょというほどのような強烈さがあった。ただひたすら、見える世界を愛し尽くしすぎたのだと思う。あんなに一生懸命に彼氏が書いた秘密の小説読むんだから………
後半に彼女に起きた悲劇は、やっぱり映画的で、「若い女だったから」という言葉でベティが一括りにされてしまうのが私はむず痒い。まぁ映画だからいいのかな。難しいところ。

ベティ的な狂気はすべてではないけど理解はできるから、ベティはあくまで真っ当「なはずだった」と表現するのがベストなのかなと思う。彼女のような女の子の視点で感情のモノローグが付いてる日本版映画、として「生きてるだけで、愛。」とか似てると感じた。本人にしか感じえない、痛み分けできない苦しみと絶望の中で息をすること。プライドの劣等感、音楽と現実。

でもでも、ベティのような狂おしさを秘めて苦しみながら大人になってく人は沢山いる。
実はちゃんとそこも描かれていて、そのひとりとして後半ゾルグにめちゃくちゃ求愛するセックスレスの人妻なんじゃないか。…… と気づいた時の虚しさ…

基本的にゾルグとベティはお互い依存していて、後半になるにつれてより二人は身体的にも精神的にも混ざり合っていく。混ざり合うから、衝突する。周りの人ももう二人を見てることしかできなくて、より世間から離れ、孤立していく。

もうそれは2人の人間の形ではなく、1.5人くらいだったのでは、と思う。

ストーリーも、色づかいも、抜かりなくて、二度と戻らない、愛おしい時間を一緒に感じられる映画。

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