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去年の夏、国際線の中で書いた文章(≒最果タヒさんが好きという文章)

以下は、去年の夏に1ヶ月半ほどアゼルバイジャンにいて現地ではずっと拙い英語を話していて、日本語に飢えてドバドバ頭から出てきた文章。コンテンツとしてせっかくならインターネットの波の中に残しておきたくて、、
完全にモードに入ってたので、あの時の機内の寒さと暗さとか、全部覚えてる。ちなみに内容は最果タヒが好きということを力説して終わってしまっていて肝心の日本語のことは何も書いていない。あと最初の汚いごみの写真は、私がアゼルバイジャンで見つけた唯一の"日本語"が「つぶラムネ」だったので嬉しくて撮った時のやつです。


英語も満足に操れないのに日本語を美しいというのは、他と比べて、というより単純に母国語の言語の表現とかが好きだなぁって思う

最果タヒの詩を読むようになってからだ。

最果タヒは、大森靖子さんが最果タヒの小説をTwitterでいつか載せてて知った。

(ていうかおおもりせ、まで打って大森靖子の字がいつからかでてくるようになったのが古参ぶってしまうけどすごいなぁって感動する、本当にエネルギー溢れてる人がすることは凄いんだなぁって思っちゃう)

詩なんて読んだこと、学校の授業でしかないし、特にいいと思ったこともあんまりなかった。
インスタにたまりあるポエムとか、感傷的な本人の気持ちが平凡な言葉にトレース?されて表現されているのがなんだかむず痒いからあまり好きじゃない。(とかいう自分も感傷的になりがちだから気づかずポエマーしてそうであんまり他人のことを悪く言えない)

私が彼女を知った時、もちろん詩人として詩集も出していたけれど、小説も出していた。最初に買ったのはどっちだったか…

私が最果タヒに惹かれたきっかけ→彼女の作品をまとう全て=詩で使われる言葉、ブックカバー、帯に書かれたことば がキャッチーでビビンってきたから。
(要はサブカルっ!って感じでしょ、と言われれば私は"サブカル"という言葉に謎の恐怖心があるのであまり大したことを言い返せません)

彼女の詩は、私を、「無重力みたいな」世界に連れて行ってくれる。

ここまで書いて、あれ、最初日本語の美しさについて書こうと思ってたのにいつのまにか最果タヒを語る会になってんじゃん、と気づいた…この現象は私が話してるとよくあることなんだけど、こうして文字で見ていると、私が唯一「好きな作家」といえる森茉莉のエッセイと全く同じ状態になってることに気づいた… おーまいがー。

そう、彼女の詩、または小説は、人間味とか、家族の暖かさ、とか一ミリもない。でも、何よりも人間の奥の奥の隅っこにある感情や、出来事を丁寧に取り出して、言葉という方法で世界を広げている感覚。

1番のお気に入りの作品は、『夜空はいつでも最高密度の青色だ』
この詩集、もともと好きだった。理由はブックカバーに使われている青とグレー、たまに赤のドットを組み合わせたような模様と、詩の生活感と無機質感のフューチャリング??

そして私が、あああこの人天才だとおもったのは、あとがきを見た時だった。

私にとってこの詩集は嬉しい、落ち着く、安堵する、そんな感情と結びついている。
そしてこの詩集を手にとって、開いて、ページをめくって、詩を見つけて、言葉をなぞるたびに、そういう感情と、いつも初めて読んだような感覚で読める。

「この人何言ってんだ」という感じの訳のわからない言葉の中にたまに核心をつくようなメッセージがあるのが最高。

それらの言葉を、私という人間のイメージで解釈をして、言葉の情景だったり、色を思い浮かべるのがめちゃくちゃ楽しくないですか??? こんな楽しいことありますか?って笑

以上。上の写ルンですで撮ったカスピ海、超雰囲気あってお気に入りだなー。またいつか、アゼルバイジャンいきたいな。

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