「私」の肌に馴染む楽器

眠る前に大変久しぶりにウードを弾いた。
ここしばらく、別の楽器での演奏会の準備やら、心理療法の方でのテキストの制作、セッションなどで、実は全く触っていなかったのだった。

それが、不思議なことになぜやらどうしても呼ばれているかのように触りたくなったのだ。

ほんの わずかな時間でもと触らずに抱えずにはいられなくなったのだ。

せっかく 始めたばかりで覚えた曲を かろうじて忘れていなかっただけでも安堵であったのだが…

不思議なことに、やはり、ほっとする。

以前どこかの記事で、アラビアの楽器や他に既にやっている西洋の楽器よりも、ウードはなぜだか非常に親密感を感じ、琵琶法師のように夜空の下でいつまでもいつまでも半分眠りながらずっと鳴らしていて、離したくなくなる感覚に陥るというようなことを書いた。
毎日毎日触り、抱っこし、夜練習を始めると終わらなくなってしまうのだ。
それが、2か月ほどだろうか…まったく触らずにいた。

寝る前にせめて少しだけ思い出し弾きをしようと 調弦もせずに鳴らし始めたのだが…

不思議と またもいつまでも抱えて奏でていたくなる。

そして、なぜだか、ある種、「私が私であることができる時間」を感じているような気がする。

やはりほんの少しずつであっても、逢瀬の時間を取ろう。

ウードだけではない。
これまた しばらくハープも、窓際にあるまま ご無沙汰している

調弦と思い出しの時間ぐらいは確保していこう。

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