変わらず、あるもの。

画像1 ひとつひとつ区別するために、名前が細かく分かれていった。ひとつ名付けると、そのほかも名付ける必要が出てくる。そうやって分け難いものを分け、世界はややこしくも興味深く、進んでゆく。
画像2 SNSなり直接なりでやりとりする時、なぜか雨に濡れたガラス越しのように、相手の輪郭がはっきりしないことがある。その違和感をことばを重ねて手繰ろうとしても、ぷつんと手がかりが途絶えることも。私の表現力の稚拙さや、お互いの言葉の背景にある、経験や実感の違いもあるだろうが、なにか決定的に伝わらないときがある。そんな時は、距離を置いてみてる。深追いしても面白いかもしれないけど、体力がない。
画像3 不思議なもので、ことばのやりとりなしで、このいま、この場で、相手と大切なことを共有したと、互いに気づいて目を合わせたまま(合ってなくても気配などでも)、おどろき、深い視線を交わすこともある。ほんのわずかの共有が、距離や時間を超えて、名付けようのない安心や揺るぎない信頼とひとつにある。年齢性別教養や社会的立場の有無、その他もろもろ関係ない。そして、これだけことばを使っておいてなんなんだが、深いつながりを得た相手との関係性に、名前なんかいらない。便宜上友だちと、ひとには言うけど。
画像4 何年会わなくても、声を聞かなくとも、自分のたどれる自分と相手の輪郭を超えたところで、必要な時には会えるし話せると、なんとなくくつろいでる。やりとりする時は、それまでどうしてたとか説明も要らない。いきなり5速で走れる感じ。ときどき思い出して、ヤツだったらこういうときなんて言うかななんて、ひとりでクスッと笑う。生きてて、様々な出来事や感情の大波小波があっても、安心して大船に乗ってていいよと、声にならないなにかから囁かれてる気がする。…よく忘れてアワアワするけど。

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