見出し画像

大好きになった、地元の話


noteって誰かが時間を割いて見てくれてると思うと
ちゃんと書かなきゃと思ったり、します
でも自分の思いを綴る場所にもしたいので難しい。
そんなこんなで今日は私のふるさとの話を書きます。

私の地元は誰に聞いてもド田舎に「超」がつくほどの田舎です。
小学生の時に合併してようやく町になった村には、
当たり前に電車は通っておらず、バスは1時間に1本。
高校の最寄駅から帰宅する終バスは20時と、
友達と夜遊びもできないような環境でした。

私は今でこそ田舎大好きを公言し、
東京に勤めながらスーパーと薬局しか最寄駅にないような
いわゆる「過疎った」場所に住んでいます。
が、中学生の頃、いや、高校生の頃も
都会に出たくて仕方なかった。
なんでなんでしょうね。
人は本当にないものねだりだなと思います。

都会ならもっと便利で、選択肢もたくさんあって、何より自由だ!と思っていました。

自由ってなんだい。
あの頃思い描いていたように、選べる自由は都会にはたくさんありました。
住む場所も、食べる場所も、着るものも選び放題。遊ぶ場所も遊ぶ人も選び放題。
自由、自由、自由。

でも、限られた環境での自由の方が、私は好きだったことに気づきます。
まあ、都会でもある意味では限られた環境なんですが、なんせ選び放題すぎて、田舎者の私にとっては、友人とのランチひとつとっても場所を決めるのに時間がかかってしまいます。

何もない地元で、どこにも行けない自分たちの足で、近くの川に行って日が暮れるまで遊んだり、四つ葉のクローバーをみんなでしゃがんで束になる程見つけたり(中学生の頃です、田舎の中学生、流石に可愛らしいですよね?)。
何もないと思っていた地元にこそ、今恋しいと思うものがいっぱい詰まっていたんだな、と切なくなります。
今でも、辞書に挟まった四つ葉のクローバーたちを見ると、なんだかぎゅわーーっと苦しくなったり、優しい気持ちになったり。

イライラする大人たちがたくさんの都会の満員電車で、
大好きな人たちが住む大好きなまちに
戻りたいなと思う日々ですが、
戻る勇気は出ないでいます。
そこで生きていく力がまだないから!

ハルカミライも
「都会の人は冷たいなんて嘘だよ 自分が一番かわいいのはどこだっていっしょだろ」(それいけステアーズより)って言ってますから、
無くしたもの、離れた場所に幻想を抱きすぎ、
つまりずーっとないものねだりなんでしょうけど。

それでも夜寝る時に、田んぼから聞こえるカエルの音しか聞こえなくなる、あの地元で過ごす夏なら、永遠に夏でいいな、とか思えるんです。

帰りたいな。

でも故郷から離れられたからこそ、
もっと大好きになれたと思ったら、
離れることも勉強だなあと思いました。

十五夜、祖父の刈ってきたススキと
近所のおばさんが作ったお団子で
お月見をしたのが懐かしいです。
良い夜を🌕おやすみなさい。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?