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希望はふしぎな発明品【エミリ•ディキンスン#1392】

希望はどこからやってくるのだろうか。それはキュルキュルと鳴く鳥のさえずりかもしれない。LINEのメッセージかもしれない。電気的なショックかもしれない。

詩人エミリ•ディキンスンに「Hope is a strange invention(希望はふしぎな発明)」という詩がある。原文を挙げよう。

Hope is a strange invention —
A Patent of the Heart —
In unremitting action
Yet never wearing out —
Of this electric Adjunct
Not anything is known
But its unique momentum
Embellish all we own —
(#1392)

希望=Hopeが「ふしぎな発明」という意味はなんだろう。「こころのパテント」とあるが、特許とはなんだろう?これらがわかれば、この詩は読みとれる。

この詩を手紙で送った相手はヒギンスン氏という、エミリが「師として」友好を温めた作家である。本も出し、出版界に通じるヒギンスンに、ディキンスンは長年、手紙で(実際に会ったこともあったが)詩作の教えを乞うていた。長い期間ずっと師弟関係をもちながら、結局かれはディキンスンの詩をまったく理解できず、詩の出版はかなわかった。実に悲しい。

エミリも、ヒギンスンが自分の詩を読めないことを知っていた。だが彼女は、自分の住む小さな村ではない世界に住む、自分の詩を読んでくれる批評家を求めていた。むだと思いながらも小さな光をもとめて、彼に詩を送ることをやめなかった。それが彼女の希望だったのだろう。こういう気持ちで、この作品の単語/フレーズを見よう。

希望がふしぎなのは、それが心というものによる発明品だからだ。希望は止まることがなく作られ、擦り切れることもない。なぜ「特許」なのだろう?それはそのひとにしかできない発明という意味なのだろう。第二連は、希望という電気Adjunct(付属品)の発生原理はなにひとつわかっていない、でもそれはまたとない勢いでやってきて、電飾されるという。ビビビ…というわけだろう。

ところで、わたしのnoteでのエミリ•ディキンスン研究は、彼女の孤独/ひとりぼっちを作品を通して探究することにある。おそらくそれは、私たち現代人がもつ孤独感を代弁するものであり、孤独感に囚われたときにどうすればいいかという処方せんになるはずだ。

わたし自身の孤独感も、いろいろな要素があるようだけれども、せんじつめればいくつかにまとめられる。劣等感、自己中心、恋愛不全…。孤独感に囚われたときに、どう脱出しようとするか?わたしなら叫ぶ、歩く、寝る、忘れる、不可解に笑う、自分を離して見る、助けを求める…ひとそれぞれさまざまな方法があるだろう。

孤独から脱出できる瞬間は、ふしぎに電気的かもしれない。ぱたんと心の表と裏がひっくり返るかのように、電流の流れ方が変わるかのように。

そんなことを思いつつ、この詩を訳してみよう。

希望はふしぎな発明品
心に登録される特許
途絶えることもなく
決して摩耗もしない

希望発生装置のことは
なにも知られていない
その電気モメンタムは
我ら自ら輝かせるのに

(ことばのデザイナー訳)

孤独だからこそ、小さな希望に敏感なのだ。孤独だからこそ、小さな希望を大きくできる。孤独だからこそ、暗闇でも煌々と照らすことができる。自殺した俳優にも、希望はかならずやってきたはずなのに。

希望は孤独の嵐の雨上がりにやってくる


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