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いいえ、詩はあなた。【エミリ•ディキンスン#1063】

19世紀アメリカの詩人エミリ•ディキンスンの「孤絶」「ひとりぼっち」を詩から掘り下げるを研究している。今回はエミリの創作がテーマである。

Dickinson』の著者Helen Vendlerは、エミリの詩の特徴を次のように述べる。「警句家で、きっぱりして、ぶっきらぼうで、驚きがあり、落ち着きがなく、ふざけて野蛮で快活で、形而上学的かつ刺激的で、神を冒涜し、悲劇であり奇妙である」と。その上で特徴をひとことで言い切る。

非常に短い。

なぜエミリの詩は短いのか?Vendlerは、彼女が学んだ詩の先人たち(シェイクスピアら)が叙事詩、ドラマ、長台詞、独白といった「長い詩」を書いたことを認めるがゆえに、逆に短く書いたのではないかと推察する。その意味で次の詩は大変重要だが、日本語への翻訳例にお目にかかっていない。

Ashes denote that Fire was —
Revere the Grayest Pile
For the Departed Creature's sake
That hovered there awhile —
Fire exists the first in light
And then consolidates
Only the Chemist can disclose
Into what Carbonates.
(#1063)

Vendlerはこの詩を「原初の創造物は天啓の光で飾られている。天啓は燃えあがり、大火災となって灰となる。残るものはもはや創造物には似ていない。炎が創造物を燃やしきり、炭化されたものを残した」と書いている。

Vendlerのこの解き明かしは正しいのだろう。エミリは先人の詩人たちが燃えあがらせて炭化した創造物から、詩になるものを、ふぅーっと灰を吹きとばして、あばいているのだろう。法医学の化学者となって分解した「詩の元素」を得ているようなのだ。

しかし違う意見もありうる。AshesやPileは、詩の先人の灰とは限らない。燃えあがり、灰となり、漂うーそれはあらゆる創造物の生と死でもある。そこから詩の創造の光を得た詩人が、着想にこころを燃やし、詩にことばを封じ込めたと、考えることもできる。光、炎、灰という儚いものを扱うがゆえに、エミリは詩を研ぎ澄まし、短くしたのだと。

そんな思いをこめて、この8行を訳してみたい。

灰は炎の存在証明
黒い灰塚をあがめ
創造物は火煙となり 
なお漂う灰をくぐる

はじめ炎は光を燃やし
それから凝固をはじめ 
化学者だけが分解しうる
詩の元素入り炭酸石へと

エミリの詩作とは、ある着想を外部から得て、それを詩文と詩型に変換する作業だということがわかる。外から得る着想はすぐに燃えて固まってしまう。しかし石となっても詩の元素は光りをもつ。それを抜き出す。ところで、絵本『エミリー』にはそういうシーンがある。絵本は、アマーストの家に20年も閉じこもるエミリ•ディキンスンと、隣に引っ越してきた少女のふれあいを描いたものだ。

ある日、隣のエミリから1通の手紙が投函された。「うちに来てピアノを弾いてくれませんか」という願いが書いてあった。数日後、少女は母と訪ねると、ひきこもりのエミリは2階から降りてこない。しかし、母がピアノを弾いている間に、少女が部屋を抜け出すと、階段の踊り場に椅子をだして座ってピアノ演奏を聴くエミリがいた。エミリは手に紙と鉛筆を持っていた。少女は聞いた。

「それ、詩なの?」
いいえ、詩はあなた。これは、詩になろうとしているだけ」

エミリ•ディキンスンが詩にするのは、彼女のそとがわにあるもの。となりに住むひとや、雪や風、花や球根から出る芽だ。彼女はそうやって「詩となるもの」を見つけては抜き出して、さまざまな詩型で詩文をつくった。「詩になるもの」を「詩にする」のが彼女のいうところの化学者だ。灰や石から詩のことばを出す方法が彼女の詩作なのである。

※今回のエントリーではHelen Vendler『DICKINSON』PP3-4、マイケル•ビダード文 バーバラ•クーニー絵の『エミリー』から引用をした。

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