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さんぽのすヽめ

 自分の弱さと向き合えたら、大人っぽいな。格好良いな。

 そんなことを思ったのはいつのことだろう。忘れるくらい前のこと。
 三十路を目前にした私は、未だにうまく折り合いをつけられていない。

 例えば、私はとにかく時間に追われることが苦手だ。
 動作だってテキパキと出来ないし、考え始めると結論が出るまでが遅い。よく「マイペースだね」なんて言われるけれど、“真のマイペース”ならこんな焦燥感を抱かないのだろう。私の場合は、内心、とてもザワついている。すぐお腹も壊すし、少食になる。単純だなと思う。

 ある先輩と敏感さの話題になった時、年齢を重ねるほどいい意味で鈍感になるし、自分との折り合いのつけ方も分かってくるといった内容のことを言われたことがある。
 確かに年齢を重ねて、以前の自分よりは鈍感になったと思う。他にも、友人からとある心理学を教えてもらい、考え方としての折り合いは更につけやすくなった。それでも、自分の思考の偏りはまだよく感じる。感じるのだけれど、以前よりは良くなったと思う部分があるから、自分を鼓舞しようと思えてくるのも確かだ。時間はかかっているけれど、少しずつ変化している。

 数年前テレビか何かで、自分なりのストレスへの対処方法をたくさん持つと良いと言っていた。その時、自分で思いつく限りの気分転換の方法、癒し方を紙に書き出したのに、今となってはどこかへやってしまった。思考が停止した時にすぐ目に飛び込むように取っておいたはずなのに、捨ててしまったのかもしれない。おそらくそこには、「楽器を弾く」とか「人に話す」とか、「絵を描く」「映画を観る」「寝る」「食べる」など……そんなことを書いていたと思う。

 そして最近、写真を撮りながら散歩をすることも癒しになっていることに気付いた。それも一人で(笑)
 以前の私なら、近所の散歩にカメラを持ち出すなんて考えなかった(桜の時期だけは持ち出した)。近頃は恋人の影響で、カメラを持ち出し、撮るものを探すようになった。少しの時間でも、何か撮りたくなるものを見つけるかも知れないし、ちょっと歩いてみようかなと思うようになった。


 何も考えずに無心で、ただひたすら撮りたいものを探す。


 これが、案外リフレッシュになる。自分では気付いてないけれど、撮るものを探すために意外と歩き回っていて、良い運動にもなっているのかも。
 そんな訳で、少しずつ、自分でなんとかできることを増やしていきたいなと思った今日でした。


 ちなみに、偶然にも連続で水辺を散歩することが多かったので、最近は水を近くで撮ることが楽しいです。


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