あきらめてあかるく

今年のお盆の帰省は、これまででいちばん平和であったように思う。

理由はただひとつ。これまでずっと親に抱いていた後ろめたさが消えたからだ。親にとって、40を超えて独身、アルバイトと並行してものづくりを続ける娘は理解しがたく不安要素だらけであっただろうが、今年の4月で11年間続けた着物のアイロン掛けという地道なアルバイトを辞め、ものづくりとして独立したことで「この子は、いわゆる普通の人生を歩む気はないのだな」という、いい意味での諦めが親の方にも着いたのだと思う。

ちなみに「諦め」の語源は「明らかにする」であり、独立したことで何より自分自身の「あきらめ」がついて今後の展開が明らかになり、いつも視界を覆うようにうすく膜をはっていたような雲が晴れて、人生がぐっと「明るく」なってきた。

まだ独立して数ヶ月しか経ってないけど不思議なほど不安はない。笑えるほど不安定ではあるけど、笑。

この10年で何がいちばん大きく変化したかというと、自分を相対的に捉えなくなったこと。これは個人的な経験でしかないので、あまり大きな声では言えませんが、この世界は相対的にみえて絶対的な世界です。

そう、かのデカルトが呈した「我思うゆえに、我あり」です。

人生とはこの相対的にみえる世界において、絶対的な何かを思い出していく時間(経験)のことなのだと思います。

だって、この世界にやってきたときは、みんなそうだったでしょう?


独立するにあたり、親愛なるドイツ人の友人にこれからのことについて伝えたところ、「あなたにはあなたのPASS(道)があるし、人生において何を欲しているかを知っているから大丈夫だよ」と言われた。

はて?自分はこの人生において何を欲しているのだろう?と考えてみる。

すぐに答えはみつかった。

「この人生で、この身体で、これからもっと新しい経験をしたい。」

そのことが明らかになるまで、だいぶ時間はかかったけれど。

あきらめてあかるくなった人生を、心から祝福しよう!


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