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通信教育課程で学んだ思い出たち

 ムサビ通信で学生になってから、とりわけ初めて取り組む科目では、先輩方の日記を参考にさせていただいた。ありがとうございました。二度目の通信教育課程を終えようとして、パソコンの中身を整頓していたら、十年ほど前の、慶應通信文学部で学生をしていた時の懐かしいファイルが出て来た。当時、Yahoo!ブログという場所があって、何をどこまで勉強したか、科目試験を受けたとか、結果はどうだったとかを日々日記に付けていたのだった。ムサビ通信の学生の間も日記をつけようとここを作ったのだけれど、あれこれと雑事があり、加えて課題に追われていたために細かく毎日を記してゆくことはできなかった。卒業したのだけれど、科目履修生として勉強は続く。

 文学部の、よくわからずに飛び込んでしまった最初の通信大学の道について思い返してみると、常に右往左往していたような気がする。発見と喜びと気落ちと達成感の連続だった。

 40歳の冬にふと何か勉強したくなり、通信制の大学という存在に気づいた。母校の武蔵野美術大学にも通信過程があり、自分は短期大学部卒であったので、大卒の学歴や昔取り損ねた美術の教員免許が取得できたらいいかなと少し考えた。学生生活は楽しかったが、今デッサンしたいかというとそうでも無かった。さらに入学案内を熟読した結果、経済的に美大の通信は難しいとわかった。

 当時、自宅から近かった日吉にキャンパスがある慶応義塾大学、そこにも通信教育課程があり、憧れだった「文学部」があった。日吉キャンパスの前を時々通ると門の奥に続く銀杏並木が奇麗だった。スクーリングを受講すると、あの場所で講義を受けられるのだろうか? 

 慶応通信の事務局に電話して、年間のおおよその学費を伺うと、授業料は武蔵野美の半分(2005年頃のこと)だった。それならなんとか捻出できそうだ。(結果としては十年通うことになるとこの時は知らないのだった)。
 高校と大学(当時の短期大学部)に出向いて、必要な書類を揃え、加えて勉学の意志を確認する小論文も提出した後、待っていると入学許可のお知らせが届いた。とりあえず、学生になれるらしかった。

 けれど、フツー大学(一般大学のこと)というのはなんだろう。実技がないとは何を提出するのだろう。レポートとは何か? 論文とは? 文学部とはどのように「文学」するのだろう? 
 一般大学の受験経験も無く、レポートのレも知らない学生。
 美大の短大時代に書いたレポートは、おそらくレポートと言えるほどの文章では無かったと後からわかる。

 入学許可の後、学費を納めると、どさっと届いた大量のテキスト群、その濃い中身に慄く。確か、履修登録以前にテキストが届いた。
 迷っている場合じゃないので、とりあえず必修の英語に手を付ける。
 かなり必死に取り組まないと単位を取得できないのを悟る。
 えー、続けられるの?

 入学式に出た当時の学長の言葉が思い出に残っている。
<読み通せそうなテキストから始めましょう、卒業するも良し、しないも良しです>のような言葉だったと記憶している。
 この時はまだ、この後の大変さを知らないまま、ただわくわくしていた。
 で、このわくわく感は、何度もDをもらうレポートで凹んだり、試験の結果に青くなったり焦ったりしながらも、新しいテキストや新しいスクーリングの講義に出会う度に消えずに続いていた。それだから、凹んでもなんとか続けられたのかもしれない。
 そして、初めて論文というもの、論理的にモノを考える、というのを学び始めたのだった。
 フツー大学の人たちって、毎日こんなに本読んで勉強していたんだ、と知ることになるのだった。
 文学部を出た知人女性が、
「文学部はね、読んで読んで読んで書く、よ」
 と教えてくださったのだった。

 

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