正しさって誰のためのもの?【映画 流浪の月】
『怒り』の李監督の最新作『流浪の月』。
偶然この映画のメイキング映像をYouTubeで見てから公開を楽しみにしていて、先日ようやく鑑賞できた。
感想を一言でいえば、苦しかった。
更紗、文、亮、皆の罪の意識みたいなものを観ている私も一緒になって背負っている気分で、私がこれまで生きてきた中の罪悪感と真正面から向き合わされた感覚だった。
ああ、そうだね、と全員の頭を撫でたくなり、そして、ああ、そうだね、と私も撫でてもらいたくなった。
そして、更紗と文の過ごした時間についても考えた。2人にとっては尊い時間でも社会的には認められない関係で、あっては行けなかった時間。
それは2人にどんな事情があっても、更紗が「子ども」で文が「大人」の年齢だから。
でも、更紗と文の過ごした時間はとても眩しくて、あのとき握った「手」の感覚を心の拠り所として生きてきた更紗の人生を思うと胸が張り裂けそうになる。
この「事件」は美談ではないし、美しい関係だとは思わないけど、だけど、この物語においてだけは更紗と文がいつまでもお互いの希望であり続けて欲しいと願ってしまう。そして、ちゃんと生きていて欲しい。
と、ここまで書いたところで妻夫木聡さんの感想コメントを読んだ。
ああ、正しさって誰のためにあるんだろう。
いつから自分は「美談ではないし」と前置きをしないと感想を書けなくなったんだろう。
どうか2人が平穏に生きていて欲しい。
ただそう思ったけれど、そのまま書くのはなんだかはばかられて、誰のためか分からない「正しさ」を気にしていた。
映画の中でも文が母親について「あの人は正しい人だから」と言ってたな。
「正しい」って本当に「正しい」のかな。
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登場人物皆、目が素敵だった。
目だけで色んなものが見えて、それはすごく美しいことだなと思った。
すず更紗も玉季更紗も、目がそっくり。目から感じられる内圧の高さも方向性は違えどそっくりだった。
全員にそれぞれそうだよねって納得する部分があって心が激しく揺さぶられて大変だったな。
言葉の一つ一つ、気持ちの一つ一つが心に突き刺さる映画だった。
header photo Kanki Tsunemura
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