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私はなぜ「美しい彼」に沼落ちしたのか

「沼落ち」
言葉通り、片足を突っ込んだ瞬間からズブズブと沼の中へハマって抜け出せなくなる。

ドラマ『美しい彼』にハマった。
4月7日に劇場版が公開される、ベストタイミングすぎる沼落ち。

きっかけはドラマ・劇場版『美しい彼』の監督を務める、酒井麻衣監督だ。

仕事で酒井監督の熱心なファンだという女性と出会った。

こんなに愛されている、今をときめく監督の作品なら観てみよう。
そんな軽い気持ちだった……。

「美しい彼」
物語の主人公は、思うように言葉を発せない「吃音症」を持ち、幼い頃から周囲に馴染めず“ぼっち”を極める高校3年生・平良一成と、学校のカースト頂点に君臨する圧倒的カリスマ・清居奏。高校3年の春、クラス替えの自己紹介で緊張のあまり吃音が出てしまった平良は、クラスで透明人間のように扱われ、清居らのグループからパシリにされるようになる。しかし、そのことを気に留めるどころか、むしろ嬉しく思っていて─?!実は、平良は清居をひと目みた瞬間から恋に堕ちていたのだった。クールで美しい清居のことをひそかに、王(キング)と崇拝し、昼食の調達に使いっぱしりと忠誠を尽し続けていく。この思いは、憧れなのか、何なのか─。自分の気持ちに整理ができずにいたが、クラス内で力関係が変わるある出来事をきっかけに、二人の関係は急展開していく。
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2人の「好き」を写す、あまりにも美しい映像

2人の「好き」があまりにも美しかった。平良の好きと清居の好きは微妙にちょっとずつ違っているのだが、相手を尊び、純粋に愛する気持ちは同じなのだ。
(純粋に愛するってなんだろうね。愛する時点で自分勝手だよね??)

お互いを思う、美しすぎる「好き」は、映像からダダ漏れである。
ユーロスペースやアップリンクで観るような映画の質感で、ゆらゆら揺れる光の加減が心地よい。個人的見どころは、温度や風の匂いを感じられる自転車2人乗りのシーンと清居と杏奈が現場で話しているシーン。前者は見たらわかる。後者は杏奈の声と内面が良すぎる。愛。

自分が持っていない「愛」が羨ましかった

平良と清居が見せるお互いの「好き」、つまりお互いへの「愛」が私はとてつもなく羨ましかった。

私は岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』という映画が好きなのだが、『美しい彼』もそれに通じるものがある。
両者とも恋ではなく愛を描いている。

"この人のためなら死んでもいい、すべてを捨ててもいい。"
"この人には永遠に生きていてほしい。"

ちょっぴり少女漫画的なセリフだが、もうこれは究極の愛だと思うのだ。

私はこれほど誰かと深く愛し合えるのかと想像して、思わず涙が出る。決して寂しい、悲しい涙ではなく、自分がまだ持っていない関係に対する神秘さと純粋な羨ましさから涙が出る。

友情や愛情の深さはどうやって測ればいいのだろう。尊敬できる友人はいるけれど、私の本心としてはもっと人と心を通わせたい。

だから私は『美しい彼』沼に落ちたのだ。
2人の関係があまりにも羨ましかったから。
真っ直ぐすぎる愛を相手にわかってほしいと思うリアルさ。相手のことを「ファン」目線で見てしまう気持ちも、友人に「ファン」目線で見られるのが嫌だという気持ちもあまりにもわかりすぎたから。
私はもっと、人と深く通じ合いたいから。

劇場版を観ような

1本23分、シーズン1と2合わせても全10話とHuluで2日で観終われる長さ。潔い。
劇場版公開まであと2日、まだ間に合います。
公開中にハマっておけばよかった!なんてことになるのはとても悲しいので、どうぞ1歩片足を突っ込んでくださいませ……。

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