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SABI TETSU ONANDO

《小説》

キキは言った。

"Why don't you smile a little bit more happily when you see me?"

言った、と書いたけど、正確には「多分、そんなことを言った」というところだ。僕はボーっとしていたし、キキはリスがドングリをカリカリと齧る(実際のところリスがドングリを食べるのかどうか僕は知らないけれど)ように、スタタタタ、とスタッカートが効いた感じで早口で喋る癖があったからだ。これも正確にはスタッカートというのが正しいのか、ノンレガートというのが正しいのか、あるいはどちらも間違っているのか、とにかくそういう話し方をする女の子だった。

僕とキキが出会ったのは、赤坂見附のハワイ風のカフェの中だった。僕はその日仕事を外でしようと思って、家からMacbook Airを持って来ていた。この近くで午前中にひとつ用事を済ませた後、携帯電話のアプリで電源のあるカフェを探したらこのハワイ風のカフェが最寄りだったのだ。

ハワイコナをマグカップでサーブして貰って、僕は窓際のパイン材のテーブルの席に鞄とカップを置いて、Macを開いてそして電源ケーブルを挿そうとしたところで、鞄の中にそのケーブルがなかなか見当たらなくてガサゴソと漁っていた。結局僕はケーブルを忘れていて、はぁ、参ったなぁ、と溜息をついたところ近くの席の客が、「良かったら使いますか?」と言ってMacのケーブルを差し出してくれたのだ。

起動したマシンのバッテリー残量が10%を切っていたこともあったけど、何よりもケーブルを差し出してくれた彼女があまりにもチャーミングだったので僕は「は、あ、ありがとうございます。」と間の抜けたことを言ってその申し出をありがたく受けることにした。

その後、僕らは色々あったのだけど、2週間後の5月のある晴れた夜から恋人同士としてつきあい始めた。僕は、彼女みたいなきれいな子が僕とつき合ってくれることで、少なからず有頂天になり、同時につき合い始めてすぐに彼女を失うことを恐れるようになった。

僕は仕事の関連で出会ったカメラマンのアキという女性と5年半ほど付き合っていたのだけれど、2年ほど前に彼女と分かれていた。それからはなんとなく食事に行ったり、時には僕の部屋に泊まっていく女の子がいたりしたけれど、ステディの彼女ができたのは久しぶりだった。

彼女は、日本が75%、ドイツが25%のクオーターで、そしてドイツ語ではなくて英語を話した。生まれたのはカリフォルニアの小さな町で、高校を出るまでそこで育ったのだそうだ。

キキとの会話の半分は英語で半分は日本語だった。でも互いに酔っ払ってくると自分の母国語でだけ話し、相手は違う言葉で応える、そんな変な関係だったけど、僕は彼女の秘匿的でスモーキーな色の瞳を見つめると、それだけでしあわせな気持ちになった。

彼女は日本語にはとてもきれいな言葉がいっぱいあるのに、日本人はそれに無自覚すぎる、とこぼすことがよくあった。

「私の瞳の色を褒めてくれる男の人に出会うたびに、『そんなに綺麗だっていうのなら、それがどんな色だかきちんと言ってみてよ。』ってねだってみて、ちゃんと言ってくれた男の人はまだひとりもいないの。」

ある夜、バーカウンターでワイングラスをゆっくりと置きながら彼女がそう言った。その時のキキはそれまでに見せたことがないような悲し気な目をしていた。睫毛が覆い隠していた憂いに満ちた瞳には、バーカウンターの外の世界から差し込む小さな光がいくつも反射していた。

翌朝、僕は赤坂見附の事務所で打ち合わせがあり、その後また同じく近くのハワイ風カフェにやってきた。相変わらず、椰子の葉で作った団扇を5枚組み合わせたフライファンがゆっくりと回っている。Macの電源ケーブルは忘れずに持ってきた。それをコンセントにゆっくりと挿しながら、

「これを忘れたお陰でキキに会えたんだったっけな。」とひとりごちた。

仕事のメールを片っ端からやっつけて、1時間ほどで一段落がついた。時計を見上げると、11:16だった。

ふと、キキのセリフを思い出して僕は彼女の瞳の色を探し始めた。ネット上をサーフィンしながら日本に伝統的に伝わるという和色の辞典へと辿り着いた。そして片っ端から彼女の瞳の色を探しはじめた。そこには465色が並んでいた。

僕はそれまでこんなに集中したことはなかったんじゃないか?というくらいに記憶の奥の扉を開け、その奥から壊さぬようにそっと取り出した彼女の瞳のイメージを再現しようとした。

御召茶(おめしちゃ)色、錆鼠(さびねず)色、熨斗目花(のしめはな)色あたりが近いかなぁと、迷ったものの、最終的にこれだ!と思ったのは舛花(ますはな)色だった。

その夜、僕は彼女に「君の瞳の色を見つけたよ」、と伝えるための次のデートの約束をしようと連絡をしたのだけれど、その時にはすでに彼女は消えてしまっていた。携帯電話は解約され、メールはエラーメッセージが戻ってくるようになり、全く連絡がつかなくなってしまったのだ。彼女の部屋ももぬけのからになっていた。思わず本当に彼女がいたのだろうか?と僕は自問してしまうほど、執拗に彼女はその痕跡を全て消し去ってどこかへ行ってしまったのだ。

ある夜、僕はキキと最後に過ごした夜にいた渋谷のワインバーのカウンターでひとりワイングラスを傾けていた。

ふと思いついて、カウンター越しにマスターに聞いてみた。あなたは僕とここに一緒に来ていたキキを覚えてますよね?と。

ワイングラスを布巾で磨きながら、目で軽く微笑んで彼は淀みなく答えた。

「もちろん、覚えていますよ。

 とても綺麗な錆御納戸(さびおなんど)色の瞳をされてましたね。」


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