_羽田

1. The Secret Destinations

国内線の飛行機に乗るのは久しぶりだ。

この20年間の間に、国際線に乗ったことはそれこそ3桁を下らないが、国内線に乗るのは生まれて4度目、しかも5年ぶりくらいだ。なので「どうも飲みかけのペットボトルの持込みがOKという様に説明が読めたのだけど本当にOKなの?」と行列の前に並んでいた、旅行中のオランダ人の女の子に質問されたときに、「わからないから聞いてみるよ」というマヌケな返事しかすることが出来なかった。例えば、アメリカに行く場合でいうと、明らかに飲みかけのペットボトルを持って機内への荷物検査を突破することはできないのだけれど、今回日本の国内線に持込みが可能だということが改めてわかった。

「旅」というのは、僕が好きなアフォリズムに於いてもひとつの大きなカテゴリーである。とりわけ僕が好きな一節はオーストリア出身の哲学者、社会学者、宗教学者のマルティン・ブーバー/ Martin Buberのこんな一節である;

"All journeys have secret destinations of which the traveler is unaware."

『すべての旅には、旅人がきづいていない秘密の目的(地)がある。』

ということで、僕の旅の隠された目的が果たして国内便に飲みかけのペットボトルを持ち込み可能という知識を得ることだったのか、あるいは、あっさりとウインクをして去っていったオランダ娘と何処かで運命的な再会を果たす前振りのために邂逅することが目的だったのかそれはわからない。でも、8月の下旬、僕は羽田空港の第二ターミナルにいた。前夜午前2時過ぎまでアメリカとビデオ会議をした後、荷造りをしていたら4時を過ぎて、空が茜色に染まってきたので、結局そのまま寝ずにスーツケースをクルマに詰め込んでそのまま夜明けの首都高速を走って羽田までやってきたのだった。

この8ヶ月間、僕は自分の持つ時間のほぼ全てを仕事につぎ込んできた。なので、荷造りの時にしばらく考えたのだけれど、結局愛用のMacbook Proは自宅の机の上に置き去りにしてきた。今日からの数日間、基本的に仕事から僕の耳目をシャットアウトする予定だ。

僕を乗せたANA993便は、出発予定の6:40が10分ほど遅れるとのアナウンスがあり、少しだけ時間に余裕を持って機内に乗り込んだ。

僕の席は一番前の左の窓際だった。手荷物ひとつを頭上のオーバーヘッド・ビンズに入れて、小説を手にしつつ頭を窓に持たれかけて目を閉じていた。この2週間ほど休む暇もなく、ずっと仕事漬けだったのだ。

目を閉じたまま、前日の朝に米国本社のCOOと日本法人の予算の件でかなり激しい応酬をしたことをふと思い出し、参ったな、と思った。と、同時に仕事のことはしばらく忘れるのだった、と切り替えの下手な自分の脳味噌を呪った。

座席が軽く沈む感じで、隣に誰かが座ったようだと気が付きふと目を開くと、肩の少し下までの長さのボブカットの女性が座っていた。真黒いストレートの髪と真っ白な肩が目に飛び込んできた。真夏だった。彼女はノースリーブのしかし襟元はやや詰まった夏用の薄手のニットを着ていた。なのでむき出しの彼女の白い腕が真っ先に目に飛び込んできたのだった。

不躾に見つめていた僕の視線に気づいた彼女が、無言のまま眼差しで挨拶をしてきたので、僕も笑顔で返した。彼女は、ひとことで言うならば「男顔」だ。しかし、相当の美人で、僕はその不自然な組み合わせ〜男顔×美女〜をどこかで見たことがあるような気がして、一生懸命に脳内サーチしてみた。記憶の奥底から出てきたのは、「男と女」のアヌーク・エーメだった。僕は、これまでの人生で、隣り合わせた誰かと話をしてそのまま友人になった、という経験がなかったし、そもそもちょっとした魅力的な女性に話しかけて、変な下心があると思われるのも面倒なので大体は挨拶で終わってしまうのであった。

前夜の寝不足もあり、そのまま僕は眠りに落ちてしまったようだ。両耳にSONYのノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォンをつけたまま、気がつくと、窓の外には既に沖縄の島影がはっきりと見て取れる距離になっていた。僕の隣の席の美女はやはり耳にカナル型のイヤフォンをして雑誌を眺めているようだった。

飛行機は着陸し、僕はそのまま那覇空港に降り立った。国内線の勝手に慣れていないので、あまりにもあっさり外にでられることに少しとまどいながらも空気がやはり南国のそれで、1600km弱移動してきたことを実感した。レンタカー会社の乗合バスに乗り込み5分ほどで彼らの店へと到着した。

暑いので、羽織っていたシャツを脱ぎ、Tシャツ一枚になろうとした時に、指に何かが触れた。胸のポケットに何か入っている。名刺サイズの紙片だ。

「おまもりよ」という文字とアルファベットと数字の文字列。アットマークがついている。メールアドレスだ。更にもうひとつまだなにかポケットに軽い重みがある。指を突っ込んでさぐると小さなリングだった。犬の顔が象られたシルバーのリング。誰だろう?と思いつつ、ふと気づいた。あのボブカットだ!僕が見とれていたあの白い腕の先、白い指先に確かにこの犬の顔のリングが嵌っていた。僕が見た時は、見るともなしに見たので、てっきり骸骨を模したリングだと思っていたけれど、たしかにこの犬の頭部だった。

なんだ?どういうつもりだ。そう思ったものの、彼女のしっかりとした鼻筋とまつ毛を思い出しながら、僕はそのリングを自分の小指にはめてみた。完全にぴったりというわけではないけれど、まぁなんとかなるサイズだ。メアドの書かれた紙片は、そのまま財布にしまって、レンタカーのカウンターへと向かった。

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