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あるnoteについての感想文

先日、とても心に刺さるnoteに出会った。

1人のファンが長年応援してきた1人のアイドルへ抱く葛藤や不安をまとめたものである。

一部でかなり話題に上がった件なので、ピンとくる方も多いかもしれないが今から書くこちらのnoteは運良く削除前に文にふれることができた私によるただの私的な感想文であり、基本的に件のnoteについて肯定的な意見を持っているため、あのnoteを読んで否定的な意見を持つ人、不快と感じた人はこのページを即刻閉じて頂きたい。

ここは私による私のための感想吐き出し場であるからだ。

(目に触れづらいよう多めに行間あけておきます)










私自身、アイドルの『推し』がいて、いなかったら主に精神面で生活していけるか不安になるくらい心の支えとなっている。
私は自分の『推し』について基本的に全肯定・甘々な自覚があるが、それでもこれは良くないよなあ、と思うところも極稀にある。
ただそれは人間全てにおいて言えることだと思っている。

私が件のnoteの感想を一言で言い表すなら『推しへの最大のラブレター』だと感じた。

長年応援してきて、好きも嫌いもひっくるめて愛おしい。
でも、これ大丈夫?そのまま行って大丈夫?あなたがもっと傷つくことにならないか?
そんな心配に疲れたファンが葛藤の末に、やっと口にした言葉だと思った。
躊躇の末、自分の思いを吐き出して整理をするためのラブレターもといnoteだったのではと感じた。

私が感銘を受けたのは、文の組み立て方というか、こういう過程を経て現在こういう状況にありこういう気持ちである、というのがめちゃくちゃわかりやすく伝わってきたところだった。

私は投稿主さんの推しアイドルについて有名なグループのメンバーだったのでもちろん存在は知っていたのだが、出演するバラエティをたまにお見かけするくらいで世間的なパブリックイメージくらいしか知識はなかった。

このnoteについて私は一アイドルを応援しているファンが書いた記事としてただただ読んだので同様に昔から同じアイドルを応援しているファンの人が読んだときにどういう気持になるのかはわからない。

けれど、私の立場から読んだ視点では、文を追って『誹謗中傷』『主語が大きい』などとは感じなかったのである。

そもそもなんでこのnoteを私が書こうと思ったかなのだが、単純に文の組み立て方が美しくて参考にしたいと思うほどに素敵だったのでおこがましくも感想を言いたかったのと、その素敵なnoteが他の人の否定的な意見により削除に追い込まれ、その上アカウントまで消すことになってしまったことに対して疑問を感じ、もやもやしたからである。

投稿主さんの職業はわからないけれど大々的に新聞社の名前を使っているジャーナリストのアカウントではなかったし、その記事についても有料ではなかった。
有料でも全然問題はないんだけど。

noteはブログのようなもので自分の一意見を書くには全く問題はないはずだ。

投稿主さんのアカウントに飛びついて消せ消せと言った人たちには該当記事が誹謗中傷だと感じたから動いたのだと思うのだけど、そもそも誹謗中傷というのも定義が難しいところがあって殺害をほのめかすような言葉とか命を投げ出せというような言葉、あとは事実ではないネガティブな事柄をあたかも本当のことのように言いふらすことが私としては誹謗中傷だと思ってる。

私はおこがましくも自分をアイドルだと仮定して考えたときに、肯定ばかりの意見は逆に怖い。
歌を歌って酷く音が外れていても周りがそれがいい!といって持て囃される環境に自分が慣れてしまうのが怖い。
正解なんていくつもあるしなんならどれも不正解かもしれないし人によって感じ方はぜんぜん違うのだから意見なんて四方八方からあっていいと思っているからだ。
(上記にわたしの感じるものとして挙げた)誹謗中傷は論外として、この歌はあってないんじゃない?とかこの歌のほうが好きかなあとか今回ちょっと音外れすぎじゃない?とか。

その上で情報を取捨選択するのは本人なのだから。

私は件のnoteを読んで投稿主さんを古残の長年寄り添ってきたよく耳にするマナーの良い穏やかなグループのファン像でイメージした。

そもそも、最初にこういう内容をかくよという注意書きがあったじゃないか、と私はすこし苛立った。
その時点で読むのをやめればいいんだから。

主語も基本的にずっと『私』を主観としてお話されていたと思うし、表題の言葉は複数形ではないよね?と思った。
『我々〇〇のファン一同は君のことを素直に応援できない』だったら話はべつだと思うんだけど。

最近の真実かどうかもわからない謎に高圧的なネット記事よりよっぽど品があって愛があったと感じた。

最後に、私は今回件のnoteを読んで当該アイドルさんの印象が悪くなることはなかった。
むしろちょっと興味が湧いた。
ひとなつっこいお兄さんたちのことが大好きなやんちゃな人のイメージがそのまま書かれていたからだ。

ただ、あまりに良くできた文だったせいか瞬く間に拡散され良くも悪くも大事になってしまい、noteが削除されたと気づいたときに残っていたのは高ぶりに高ぶった記事に対して否定的な感想を抱いた方々の意見が目についたため、あまりの勢いにちょっぴり引け腰になり最終的に関わらなくていいなという考えに落ち着いた。

もちろん、これも一意見である。

本件とは関係ないけどSNSが急速に広がって話し合うというよりも殴り合うが近い構図ばかり目につくようになったと感じている。
事柄における感じ方など人それぞれでいいはずなのに。

私はX含め、コメントを投稿できるすべての媒体にAIを搭載して文面を解析→ネガティブな要素があるものを投稿するときは隊員の敬礼の上、戦車に指示がでて弾が発射されるアニメーションと着弾する悲壮な音と共に投稿されるシステムになればいいのにと思っている。

視覚的に自分が攻撃していることを理解させることが重要だ。
戦争のようなアニメーションは人道的にどうなのかとかあるかもしれないけど、そもそもその行為で人の心も破壊してしまうのだからやってることは同じじゃないか。

軽い効果音でネガティブなコメントを全世界に出荷するんじゃない。

最後に、ここまで整理しながら書いてみてこれだけ読んだ人の中で意見が割れてしまうということは削除が最善策だったのかもしれない。
ただ個人的には読めてよかったと思うし、存在しててほしかったなあ。

以上、全ては私が思う一意見でありました。



投稿主さんへ
いつかあなたの他の文章にもめぐり逢いたいです。
この度は素敵な記事をありがとうございました。


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