心のゆとりは言葉の幅に比例する
見えないけれど、かなり体力を伴うものなのだと、最近思う。
家庭内保育園を開園して数日。最終日を迎えて園は終わったはずなのに、土曜日は小さい組を除いた小学生4人で遊びたいと言われ、結局半日付き合うことになった。
もちろん彼らは可愛いし、甘えてこられたら悪い気はしない。
いい子たちだから、何か困らせるようなことを言うわけでもない。
だけど、私は多分人付き合いというものにかなりの負荷を感じるようで。
かーなーり、疲労を感じて帰宅したのでした。
しかも、そのあとは子どもたちのプログラミング教室の付き添い。
細かい雑用を済ませて帰宅。
夕食を食べさせお風呂に入れ、寝かしつけまで行う。
気づけば、もう22時である。
よろよろしながら、パソコンの前に座る。
何も思いつかない。
どうしよう。もう22時半なのに。
何かしら書かないと、明日も仕事しないといけないのに。
焦りばかりが増えていく。
ますます何も考えられなくなっていく。
そこで改めて気づいたんです。
思考というのはかなりの体力を使うようだ、と。
今日は、思考を広げる体力がない。
だから、書くことにも集中力がなく気が散ってあちらこちらに手を伸ばしてしまう。
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