毎秒死にたい人 - なぜ死にたいのに明日死ぬのは怖いのか

死にたい。もう口癖のように頭の中で唱えてしまう。もう何もかもがめんどくさいんだよな。自分で明るい未来を切り拓こうという気力がない。本当に生きるのがめんどくさい。30歳で死にたいと思ってる。でもなんで明日じゃなくて30歳なのか。

死にたいって思うのは当たり前になっているけど、死にたいっていう感情は結構刹那的で瞬間的に起こるものな気がする。例えば嫌な思考に陥った時とか嫌なことがあった直後とか何かが上手くいかなかった時とか。その頻度が高ければ高いほど、早く死にたいって思うんだと思う。毎秒死にたいって思うくらい人生が嫌なら多分明日死ぬのはそんなに怖くないと思う。(多少は怖いかもしれないけど。)でもまだ段階的に自分は1日24時間のうち数回死にたいって思う程度かな。だからその瞬間以外は意外と人生悪くないなと思ってるか、人生が楽しいと思えてるか、人生が良いか悪いかみたいなことを何も考えずに生きてて、その割合がわりかし高いから明日死ぬのは怖いんだと思う。どうやら死にたいって毎日思うこと自体が普通じゃないらしいが。

じゃあどうして30歳とか、ちょっと先の未来を設定するのか。多分さっき言った死にたいって思ってる時間の割合が低いと、人生の楽しみを思い描きやすいから、なんか30歳まではもうちょっと人生楽しみたいとか思ってるんじゃないかな。人生の楽しみを思い描けるうちは明日死ぬのは怖いし、逆に毎秒死にたいと思うくらい自殺願望でいっぱいの人は人生の楽しみを思い描けず死んでいくんだと思う。

この文章、だいぶ殴り書きで書いてるし、今こうして書いてて気づいたけど、死にたいって思ってる割に自分はまだ人生楽しみたいんだなってことに気づかされたな。思いを言語化することは大事だな。とはいえ30歳に死にたいことは変わらない。30歳以降は人生楽しめそうとは到底思えないし、未来っていうのは本当に考えただけでうんざりする。今しか見たくないのにさ。

なんかもう生きる上で、歳をとるにつれて悩み事ばかり増えて、楽しみが減っていく。だからピーターパン症候群とかあるんだろうな。子供の頃は受け身で生きてるだけで楽しかったから。大人になった今は自発的に動かないと楽しみに辿り着けない。誰もお金は与えてくれないし、生活を保証してくれない。

死にたいなんて感情はもはや当たり前になってるんだよね。死にたいって思う自分は常に隣り合わせ。ちょっと肩を叩いただけでベラベラとネガティブなことばかり話し始めて、聞いてるこっちはうんざりするんだけど、それすらも慣れてきて、死にたいことが普通。やばいな、毎秒死にたい人に近づいてきてる。

鬱病の人間を救えるのは自分だけだ。誰も助けちゃくれないし、助けることはできない。自分の心の持ちようで救われることもあれば、救われないままなのは分かってる。分かってても救ってあげれないのは、自分を救ってあげようって思えるほど体力と希望が無いからだ。めんどくさい。救われることすらめんどくさい。やっぱ30歳で死にたいは撤回かも。もうちょっと早く死にたい。

あーーーーーー。

でも明日死ぬのは怖いんだよな。だって明日だもん。死んだらもう二度と曲作れないんだ。音楽できないんだ。歌を歌えないんだ。満足いく作品を残すまでは死にたくない気持ちもある。でもこういうのって、一生満足しなさそう。なんかおれ、結局長生きしそうだな。

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