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アルゼンチン、ブエノスアイレス、タンゴの魅力

高校時代だったか、中学の頃だったか、日本にアストル・ピアソラブームが巻き起こった。タンゴ(Tango Nuevo)の巨匠アストル・ピアソラが亡くなって、それに呼応するようにギドン・クレーメルがアストル・ピアソラへの追悼アルバムをリリースし、そこから日本でのピアソラ人気が再燃したと言えるだろう。

私も、クレーメルのアルバム「ピアソラへのオマージュ」をリアルタイムで聴いた身としてはこのアルバムに思い入れがある。それまで純粋なクラシック音楽の奏者だと思っていたギドン・クレーメル(少なくとも自宅にあった彼のCDはクラシック音楽のものばかりだった)がピアソラの音楽を演奏しているということが新鮮だった。

クレーメルのピアソラへの追想アルバムは、その頃賛否両論があったのを覚えている。「ピアソラのような情熱が無い」とか「のっぺらぼうだ」とか色々と言われていたけれど、そのアルバムは私にとっては紛れもなく新しい音楽への扉であった。
そして、とても素敵なアルバムだと今でも思っている。

クレーメルの冷静でありながら、情熱的でもあるヴァイオリンの音色、アサド兄弟の緻密なギター、その他共演者の演奏も含め、私にとってはタンゴという音楽の魅力を最もわかりやすい形で示してくれたのがこのアルバムであった。

いつもカントリーミュージックとRhodesピアノのことばかり書いている私が、今日何故ピアソラの音楽について書いているかといえば、昨日私の店に友人が訪ねてきてくれて、「ブエノスアイレス午前零時」について話をしたからだ。

「ブエノスアイレス午前零時」は藤沢周による小説で、昨日話したのはその小説についてなのだけれど。「ブエノスアイレス午前零時」といえば、ピアソラの同タイトル曲(こっちが元ネタね)を思い出す。
アストルピアソラ九重奏団の演奏によるこの曲は、静かなピアノとベースで演奏されるイントロから、ヴァイオリンとバンドネオンが徐々に入ってきてクライマックスに至るまで、この曲のタイトルが示すような静寂から生まれる冷たい炎のようなものを感じさせられる。

ブエノスアイレスにもアルゼンチンにも、もちろん行ったこともなければ、そこがどのような街並みなのかも知らない。ただこの音楽からは、古きヨーロッパの面影を残した裏町の洗練と土埃のようなものが混ざった空気のようなものが伝わってくる、ような気がする。

私は、タンゴという音楽が好きで、ピアソラのような現代的なタンゴよりはもっと古いスタイルの(カルロス・ガルデルとか)中でも五重奏団とか少人数で演奏されるものが好きなのだけれど、ピアソラの音楽にも時折そのような古き良きタンゴの面影が見え隠れするところも良い。バンドネオンの冷たく鋭い響、シコシコと乾いたヴァイオリンの音色、重厚なピアノの音、力強いダブルベース、そのどれもがタンゴという音楽に相応しい役割を演じている。

タンゴという音楽は、訪れたことのない異国の空気と同時に、学生時代によく観に行ったモノクロの邦画のような懐かしさのようなものを私に感じさせてくれる。

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