見出し画像

コロンビア

(59番)  2014年   8月

コロンビアへ行ってきました。
今回の目的はメデジンで行われる「花祭り」を見ることでした。
出発前の情報によるとこのお祭りに参加する日本人グループは初めてだそうです。
有名な「悪魔のタワー」へは行っておりません。

今回の参加者は男性6名、女性16名の計22名で、その内、知っている人は3名でした。
この旅行会社の参加者はトラブルメーカーが多く、さてどうなりますでしょうか。

今回のルート

1日目 8月6日
✈ 15:25 発 成田: アエロメヒコ航空(787)
  14:35 着 メキシコシティ

✈ 19:03 発 メキシコシティ: アエロメヒコ航空(737-800)
  23:58 着 ボゴタ(コロンビアの首都)

入国時にある非常識な夫婦によってものすごく待たされて先行きが不安になった。大量のドルの現金を所持していたのだ。
日本を出入国する際、100万円以上の現金及びそれに充当する額を所持している場合には税関の申告が必要。これは大体どの国でも対応は同じで、コロンビアも同様。

ボゴタ泊
ボゴタはアンデス山脈の標高2,640mにある。人口800万人。

ボゴタに住んでいる日本人のガイドさんによるとここ10年程で、夜にレストランやバーが営業をしているほど治安が良くなってきているそうだ。
街中には警官の姿が多い。
これは前大統領の政策でよくなってきているので、現大統領もそれを受け継いでいるそうだ。ただ、夜は流石に一人では出歩かないようにと注意を受けた。

コロンビアの国の説明
人口: 約4,600万人(2010年時点)
面積: 1,139,000平方キロメートル(日本の約3倍)
民族: 混血75%、ヨーロッパ系20%、アフリカ系4%、先住民1%
言語: スペイン語
宗教: キリスト教(カトリック)
主要産業: 農業(コーヒー、バナナ、サトウキビ等)
      工業(石油、石炭、金、エメラルド等)

2日目 8月7日
🚌 ボゴタの南にあるフサガスガへ

コーヒー農園(アシエンダ・コロマ)
栽培、精製、焙煎などのコーヒーができるまでの過程や豆の良品と粗悪品の見分け方などの見学

コーヒー農園

ランチ:伝統料理のアヒアコ(鶏肉、じゃがいもとトウモロコシのスープ)等

ボゴタ市内へ戻る。

希望者のみだが、両替とコロンビア国立コーヒー生産者連合直営の「ホアン・バルデス」へ。
このコーヒーショップで集合時間になっても集まらない例の夫婦がいて、買い物を終えたほとんどの人達は外で立ったまましばらく待たされる状態だった。

ボゴタ泊

3日目 8月8日
🚌 ボゴタから北へ約48kmにある岩塩鉱山の町シバキラへ。

岩塩鉱山(地下に張り巡らされた坑道は総延長約400kmで4階層になっている)→坑道内を進んでいくとエルサレムのヴィア・ドロローサ(苦難の道)を模した14の塩のモニュメントがある→

モニュメントの一つ


岩塩洞窟教会(8,700平方メートルの広さがあり、誕生の間、生の間、死の間がある。
誕生の間にはヨルダン川を模した塩の滝が、生の間の祭壇の後ろには地下にあるものとしては最大の十字架がその幻想的な姿を見せてくれている)

十字架

お土産物屋さんでフリータイムだったが、時間になっても例の夫婦が集合せずに大幅に時間が遅れた。そろそろ、皆嫌気がさしてきたようだ。
表情に出ている。

ランチ後ボゴタ市内へ戻る。

シモン・ボリーバルの邸宅
南米を語るにはこの人ははずせない。
「南アメリカ解放の父」としてコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビアとペルーを独立へと導いた。当時のままの調度品とよく手入れの行き届いた美しい庭が残されていた。

黄金の博物館
まさにコロンビアの黄金郷伝説を感じることができる場所。
約3万点ものプレ・コロンビア時代の黄金の遺物が展示されている。
どこを見ても黄金だらけで「目がお正月」状態だった。
超有名な黄金のマスク、黄金の渦巻き、黄金のポポロ(石灰入れ)やムイスカ文明などの展示がされている。ムイスカ帝国は6世紀から16世紀に繁栄し、マヤやアステカと同じくらい高度な文明であった。
ここは銀行が経営をしているそうだ。

ま、眩しい!
上は有名な黄金のマスク

ボゴタ泊

4日目 8月9日
✈ 10:41 発 ボゴタ:アビヤンカ航空(A320)
  11:38 着 メデジン(コロンビア第二の都市)

メデジンは標高1,500メートルの盆地にあり、人口は約250万人。
かつては麻薬カルテルが存在したスラム街があり、世界最恐と言われるほど、治安の悪い場所だったが、現在は革新的な都市として変貌し観光地となっている。イメージ払拭のためには、人々の協力とたゆまぬ努力があったと聞く。

🚌 サンタフェ・デ・アンティオキアへ

途中、南米最古の吊り橋、オキシデンテ橋にて写真ストップ
鋼と木だけで造られているが、とても美しい橋。

サンタフェ・デ・アンティオキア
メデジンの山の方あって1541年に金鉱の町として作られた。スペイン植民地時代の中心だったため、ベランダのあるコロニアルな建物が当時のまま残っており、とても雰囲気がある。

メデジン泊

5日目 8月10日
楽しみにしていた「花祭り」とメデジンの観光。

花祭り
地域で栽培される美しい花々に敬意を表す祭典として1957年に始まり、今年で57回目となる。10日間にわたって開催される。
花の栽培農家の人達が「シジェタ/小さな椅子」と呼ばれる花飾りを背負ってパレードをする。
背負子のような木枠に飾り付けてあって、一つ100kg以上にもなり、大きい物は直径2mにもなる。担ぐ人の事はシジェテーロといい、その数は数百名にもなる。
月収2万5千円のうち、2万円をこれに費やすそうで力の入れ方が半端ない。

会場到着

会場案内図(左半分のみ)
チケット(布製)

あれれ?待てど暮らせど始まらぬではないか。何と何と1時間も遅れて始まった・・・
午前のパレードは有名歌手の歌、サルサダンス、伝統舞踊など。
午後はメインのシジェテーロ達のパレードが始まり、伝統の部、象徴の部、モニュメンタルの部、コマーシャルの部、子供の部(可愛かった)と続いた。一つが100kgを超えるから、皆、相当重そうだったが、皆さん笑顔で観客席の前を通り過ぎて行った。

シジェテーロ達
シジェタ(見るからに重そう・・・)

メデジン市内観光へ

プエブリート・パイサ
郊外のヌティバラヒルという丘の上に植民地時代の小さな村が再現されている。
1970年代後半に建てられ、伝統的な白塗りの家、中央広場などがある。
メデジン市内がよく見渡せる。

ボテロ広場
ここも楽しみにしていた場所。
フェルナンド・ボテロはメデジン生まれでコロンビアを代表する画家・彫刻家である。
特に人間や動物をふくよかに誇張した体型で表現している。
聞くところによれば、自分の見たままを描いているそうで、彼の眼にはこのように見えているらしい。
ここには23点の彫刻が並んでおり、ユーモラスなので何故か笑みがこぼれてくる。

ラファエル・ウリベウリベ文化宮殿
1925年、ベルギー人建築家によるゴシック・リバイバル様式の宮殿。
中には図書館、アートギャラリー、博物館などがある。

メトロポリターナ大聖堂
壁がくすんだオレンジ色をしており、牛の血を混ぜたレンガを使っているらしい。1931年の完成。
中にはドイツ製のパイプオルガンがあり、丁度、夕方のミサが始まる所だった。

メデジン泊
ホテルの周囲は他のホテルとカジノが立ち並んでいる。
それで、朝、散歩をしていると出会うのは明らかに観光客と思える人達ばかりだった。

6日目 8月11日
✈ 12:30 発 メデジン:アビヤンカ航空(A320)
  13:40 着 カルタヘナ(北西にある港町)

ここは灼熱の太陽が照り付けるカリブ海のリゾート地で、到着した途端、物凄い湿気と暑さが歓迎をしてくれた。標高2m。
カルタヘナ旧市街は植民地時代の城壁に囲まれた街並みが素晴らしい保存状態で残されているために世界遺産に登録をされている。
1533年にスペイン人によって建設され、金、銀、エメラルド、カカオ、タバコなどの貿易によって繁栄した港町。
それゆえに海賊たちに狙われることとなった。

城壁
約4kmに渡って囲まれており、その上を歩くことができる。大砲のレプリカや時計門と呼ばれる城門が残る。

カルタヘナ泊

7日目 8月12日
カルタヘナの旧市街散策

カルタヘナ市内

サンタ・テレサ広場 →リカウテ通り(かつての富裕層が住んだエリア)→
サント・ドミンゴ教会(1575年建立で柱が曲がっており、伝説では悪魔に蹴られたとか)
大聖堂 
旧宗教裁判所(残虐な宗教裁判の舞台となった建物だが、現在は博物館となっている。苛烈を極めた異端尋問で使用されたとされる拷問道具や処刑道具と魔女が使っていた黒魔術用の道具などが展示されている)
馬車広場 →税関広場(コロンブス象がある。昔は海からカルタヘナに運ばれたすべての品が通された場所)
サン・ペドロ・クレベール寺院(17世紀にイエズス会によって建設。ペドロ・クラベールはスペイン人神父で奴隷解放に尽力をした人物) 
ラス・ボべダス(かつての弾薬庫)
ポパの丘(標高187mで半島と岬の町であるカルタヘナの町が一望出来て、高層ビルがニョキニョキと建っている様子がよくわかる)
サン・フェリペ要塞(カルタヘナ湾の防衛のために造られた)→スーパー

サン・フェリペ要塞

カルタヘナ泊
 
8日目 8月13日
✈ 12:18 発 カルタヘナ:アビヤンカ航空(A320)
  13:45 着 ボゴタ
 
大統領の就任式の影響で行けなかった残りの市内観光へ
ラ・カンデラリア地区
安宿が多く集まっている場所で、注目すべきは壁に書かれたカラフルな「落書き」で、それは単なる落書きではなくアートとなっている。
 
ボリーバル広場
カテドラル、国会議事堂、市庁舎など。日本人が珍しいのか、よく声をかけられたし、写真も一緒に取ってくれと頼まれたりした。皆、とてもフレンドリーだ。
 
ボテロ美術館
こちらでは絵画も見られるので、又しても気分はルンルン。
ふっくらとした人物や動物は本当にユーモラス。

ボテロのモナ・リザ

モンセラートの丘
3,160mまでロープウェイで行き、そこで夕食。
ところが、標高の高い場所に弱いために頭がボーツとして何を食べたのかよく覚えていない。夜景が綺麗だったことをかすかに覚えているくらい。
 
ボゴタ泊
 
9日目 8月14日
本日は最終日
 
エメラルド博物館
コロンビアと言えば、これ!
まずはエメラルドに関するビデオを見て、疑似坑道を進み、工房へ。
職人さんがアクセサリーを作っていて、その説明もあった。
その後、展示室で10億円のエメラルド、6千万年前の水の中に入ったエメラルドなど、様々な種類を見て目の保養をした。
 
帰国の為に空港へ
チェックインの際、出国税の免除手続きに時間がかかったのはなぜだろうか。
あげくに又しても例の夫婦の荷物が重すぎるのに超過料金を払いたくないと駄々をこねて長時間揉めに揉めた。よく恥ずかしくないものだ。払うつもりがないのなら、たくさん購入する方が悪い。
結局、22名中、9名のスーツケースがボゴタに残されてしまった。
私のスーツケースの重さは13kgしかなかったのに巻き添えを食ってしまったのだ。
しかも出発時間が迫っていたため、税金の還付が受けられず、ガーン!
さんざんである。こういう人に迷惑をかけるような人達は個人旅行をするべき。😠😠😠
 
✈ 15:41 発 ボゴタ:アエロメヒコ航空(737-800)
メキシコシティまで飛ぶはずが、周辺が悪天候のために急遽、アカプルコ空港に緊急着陸した。
機内待機の後、再出発してメキシコシティにやっと到着した。
急いで入国審査、税関、セキュリティ・チェックを通り、待合室へ。
 
10日目 8月15日
✈ 01:06 発 メキシコシティ:アエロメヒコ航空(787)
ティファナ経由
 
11日目 8月16日
  06:45 着 成田
 
スーツケースは2日後に自宅に託送されました。
今回はメデジンの花祭りが本当に綺麗だったのとボテロの作品が見られた事が良かったです。
 
写真は海外旅行の50回目くらいから止めたので、旅行会社さんのパンフレットを引用させてもらっています。お礼申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?