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コートジボワールとブルキナファソ

61番)  2016年   2月

コートジボワールとブルキナファソへ行ってきました。
出発前に旅行会社から連絡が入り、「1月15日にブルキナファソのワガドゥグでホテルやレストランなどが襲撃され、複数の死傷者が発生したが、既に治安部隊により制圧されており、当ツアーには影響がない」との事でした。

外務省の安全情報ではコートジボワールは、「レベル1:十分注意してください」、ブルキナファソは「レベル2:不要不急の渡航は止めてください」とありました。
イエローカードは必携です。

今回の参加者は男性2名、女性11名の計13名でした。

今回のルート

1日目 2月14日
✈ 19:45 発 成田:エチオピア航空(787-8pax)

2日目 2月15日
  24:01 着 香港(ここから大泥棒が乗り込んできて、皆が就寝中やトイレに立っている間に一万円札のみを抜き取っていくので、要警戒。
このルートをよく利用する者にとっては頻繁に耳に入ってきていた情報。
機内待機)

✈ 01:00 発 香港:同上
  07:20 着 アディスアベバ(エチオピアの首都)

✈ 10:15 発 アディスアベバ:エチオピア航空(767-300)
  14:15 着 コトヌー(ベナンの首都)
マイナス2時間、機内待機
海岸沿いにある空港で、南アフリカ航空とDHLしか駐機していなかった

✈ 15:15 発 コトヌー:同上
  15:15 着 アビジャン(1983年に移転するまでコートジボワールの首都だった。マイナス1時間)

国の説明
西アフリカのギニア湾に面している。コートジボワールとはフランス語で「象牙海岸」という意味で1960年にフランスから独立をした。
63の民族と63の言語があるが、公用語はフランス語。
イスラム教徒が38.6%、キリスト教徒が32.8%、土着の伝統宗教が
11.9%など。
主要産業はカカオ豆の輸出で、世界の4割近くを占めており、世界一の生産量を誇る。
日本はコートジボワールよりもガーナからの輸入が多いらしいが。
このカカオ畑で働いているのはマリやブルキナファソから誘拐してきた児童達で問題視されている。
後記:詳細は「34番の西アフリカ4か国」で書いたので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。

きっとカカオ農園の見学が入っているだろうと思っていたのだが、日程に
はなかった。観光客を案内して収入を得られるようにすればいいと思うのだけど・・・

両国を案内してくれるのはマリから来たスルーガイドさん(ドゴン族の呪術師)とドライバーさん(車も)。
アビジャンは前の首都であっただけあり、近代的な高層ビルが立ち並んでおり、西アフリカのニューヨークとも呼ばれるとか。

到着早々、グラン・バッサムへ向かう。
アビジャンから東へ50km離れたギニア湾岸にある最初の首都があった。
植民地時代に政治、経済の中心として建築され、当時のコロニアルな家並みが残る町。2012年に世界遺産に登録をされている。

ブエ港の灯台 →勝利橋 →西アフリカ・フランス会社の倉庫跡 →商店跡
アフリカ中央銀行(1900年設立のコートジボワール初の商業銀行)
フランスホテル(1900年設立でグラン・バッサム最初の高級ホテル)

フランスホテル?

グラン・バッサム泊

3日目 2月16日
国立民族衣装博物館(旧副総督府)
1893年、フランスから輸入した資材で建立。最初の4代の副総督の公邸だったが、1981年に博物館となった。
内部には統治時代の写真、民族衣装、各民族伝統家屋の模型などが展示されている。

ヤムスクロへ向かう
憲法上の首都で、独立の指導者であったフェリックス・ウフェボワニ大統領の出身地なので遷都された。政治と経済の実質的な中心地は今でもアビジャンとなっている。

ノートルダム大聖堂
独立後、カトリック教徒だったウフェボワニ初代大統領が、隣国は紛争が絶えないのに自国は平和で経済発展をしていることを神に感謝をして建立した。
1990年にヨハネパウロII世により落成式が行われ、20万人が内外を埋め尽くした。中の収容人員は18,000名。
バチカンのサンピエトロ大聖堂を模して建てられた。

外にはほとんど建物がなく自然に囲まれており、中もステンドグラスが美しくいつまでも眺めていられる
ギネスブックにより世界一の大きさの大聖堂であると認定されている。

ノートルダム大聖堂

大統領府の堀で飼われているワニ
ウフェボワニ大統領がマリを訪問した際に初代大統領のモディボ・ケイタから贈られたニジール川の5頭のワニが大量に繁殖をしてここで飼われている。
ある時、敵に追われた戦士がワニの背を伝って対岸まで逃げることができたため、聖なるワニとして崇められているそうだ。
エッ?何だか日本の「因幡の白うさぎ」のような話だけど。
敢して大統領府で飼っているのが気になる・・・恩を忘れないという事かな?

グランドモスク
1968年の完成。外観は白に近いベージュ色をしており、ミナレットが5本立っている。
内部のモザイクはモロッコ製で、装飾が施された鉄製の門はフランス製。

ホテルに入るのにスーツケースを開けて厳重な検査が行われた。
アフリカではこういうチェックはよくある。

ヤムスクロ泊

4日目 2月17日
北部の中心都市コロゴへ向かう。

途中でコンデヤオコロ村(バウレ族という民族が暮らす)に立ち寄る。
仮面舞踏ゴリ(成人儀式)
15名ほどの集団で瓢箪楽器グードを鳴らし、水牛の角のホーンを吹き、仮面を呼ぶ。
グードとは中が空洞の瓢箪の周りに植物の種子、豆、ビーズ、貝などを通した網を編んで張り巡らせた打楽器。すぐ傍で聞くので、音が素晴らしく耳にとても心地よかった。

まずは若い先祖霊が宿った仮面を被り、二人が激しい踊りをする。
次に年配の先祖霊が宿った仮面を被り、更に二人が登場。
小型の瓢箪でリズムをとっていた二人は迫力があり、音楽と踊りがピタッと合っていた。
仮面や衣装は精霊が住むとされる森に置かれ、生贄を捧げる儀式を経てしか踊ることができないことになっている。

昼食:フーフー(茹でたヤム芋を杵で突いて餅状にしたもの。この時はバナナも一緒に入れてくれたので美味しかった。これに魚を煮たものと一緒に食べる)

コロゴ到着
セヌフォ族が暮らす町で人口約27万人。

フォドンカ村
ボロイエ(ヒョウの踊り)
夜になって始まった。
精霊信仰の儀式のことで成人式の割礼や葬儀などで披露される。
15人の瓢箪楽器コラの楽隊に合わせてヒョウ柄の服を着た大人1人と
子供9人がアクロバティックな踊りをする。皆、身体能力に優れていてその機敏な動きには驚かされる。
コラとは西アフリカ発祥のリュート型撥弦楽器で通常21本ある弦はセヌフォ族の物は1弦しかない。瓢箪も丁度膝の高さまであり、丸くてとても大きい。
ハープやギターの原型とも言われている。
これも全部が自然の物を使って作られて楽器で、本当に耳に心地よかった。

ヒョウの踊り

😥やれやれ、ホテルの部屋のトイレには便座がなかったし、皆が一斉に使ったせいかお湯も出なかった。
これまでいろんなホテルに宿泊していて、便座にひびが入っていた場所はけっこうあったが、便座そのものがないという事は初めてなので、驚いた。

コロゴ泊

5日目 2月18日
終日、コロゴの近郊で精霊信仰に根付いた暮らしを続けるセヌフォ族の村々へ。

ワラニネ村
織物市場(綿で織ったテーブルクロスやベッドカバー等がズラリと並ぶ。
機織り機で実際に織っている人達の姿も。
綿の質がいいので、購入しようと思い値段を聞くとちょっと手が出なかった・・・
西アフリカでは綿を繊維として利用していたと同時に食料としても利用してきた。
種皮から綿実油を取り、綿の種子を粉にしてスープに入れる。
これをモシ族の間では煮た後発酵させて味噌状のスンバラソースを作る。
味見をしたが美味であった。
このように昔、綿は食用としての利用の方が多かったのではないかと推測されているとか。

ニャンベレギ村
聖なる岩
石の採掘場の前を通り、歩いて行くと巨石がある。
巨石にはセヌフォ族の先祖霊が宿っているとか。
人生の悩みと解決案を供え物と共に占い師に告げると先祖霊がYesかNoで答えてくれる。
実際に占う様子を見せてくれたが、残忍なため、ほとんどの人は少し離れた場所で待機した。
自らも占い師であるスルーガイドさん曰く、生贄は自らの血で人々が幸せになるので生贄になった事を喜んでいるのだそうだ。😨
そのように考えなければ生贄になったものが浮かばれないのかもしれない。

ニオフォイン村
伝統家屋と占い師の館
村には3人の長がいて、村長、大地主と呪術師だ。
四角い家は夫、丸い家は妻の一夫多妻制なので、四角い1軒の家に2,3軒丸い家が隣接している場合がある。
あと、穀物倉庫や村の問題を討議する長老会議場など。
今日、村長は政府の役人が村の綿の買い付けに来ていたため、不在だった。

フィラドゴ村
フラニ族がすむ。彼らはモーリタニアから東は中央アフリカまで西アフリカのほとんどの国に分布して住んでおり、これまでも各国で見てきた民族だ。その数約2千万人。
角がとても立派な牛の放牧をして暮らす。
自分のイメージでは大人の女性は唇を黒く染め、必ず金のアクセサリーを身に着けている。
ここもやはりその通りだった。
モスクの庭に座っていた村長に挨拶をしてから見学をスタート。

ンダラ村
セヌフォ族の村でンゴロ舞踊の見学
7年毎に行われる成人式やお葬式で披露される火踊り
男性は頭に女性は背中にトウモロコシの葉っぱのようなものを付けて輪になって踊る。
火と戯れるダンサーは専門的にイニシエーションを得ないと火傷をするとか。
イニシエーションの儀式では民族が伝承してきた科学、地理、歴史、人類学、そして何より社会生活を営む上の年配者の尊重の仕方など、人間関係の在り方と礼儀作法を学ぶ。

夜になって行われた
ジナゴロ(精霊に近い人)の炎の儀式
時々火が席まで飛んできてヒヤリとしたが、ダンサーは真剣そのもので、圧倒された。

コロゴ泊

6日目 2月19日
悪路を通って国境を越え、サトウキビ畑の続く丘陵地帯を抜けてブルキナファソへ。
国境では太陽の周りに虹のような輪ができる日暈(ひかさ)が出ていた。
日本でも見る機会はなかなかない。

人々は並んで何かの注射を受けており、受けた人は痛そうな顔をしている。
「髄膜炎が流行っているので我々も受けた方がよい」と勧められた。
空気感染をするとまで言って脅かされたが、流石に無知な自分でもおかしいと思った。
そこはベテラン添乗員さん(以前にもお世話になった事がある)、「我々は接種済みですから」と断ってくれた。
内心、厄介なことになったぞと思っていたから、やれ一安心だ。😓
 
入管では高齢(80代?)の女性のパスポートを見た係官の人がその人に向かって親指を立てて「Good」と言っていた。以前にも書いたが、アフリカでは高齢者が尊敬される。
 
ここでトラブルが発生。マリ人のドライバーの免許証に問題があるとの事で出発が大幅に遅れた。ドライバーはかなり怒っていた。

国の説明
西アフリカに位置し、マリ、コートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナンとニジェールに囲まれており海はない。
1960年にフランスから独立した時は「オートヴォルタ」という名前だったが、1983年に「高潔なる人々の国」という意味の現在の国名に変更した。
主産業は農業で綿花と金も輸出している。
但し、金の採掘に携わる労働力も児童に頼らざるを得なくなっており、問題視されている。
日本は世界から輸入するゴマの三分の一をこの国から仕入れている。
世界でも最も貧しい国の一つとされている。

バンフォラへ向かう。

途中にあるカルフィグエラの滝
巨大な砂岩の岩から落ちるこの国唯一の滝はブルキナファソ高原を源とする。

カルフィグエラの滝

全長759kmのコモエ川にある。その後、同川はコートジボワールに入り、大西洋に注ぐ。滝の麓は植民地時代のプランテーションの跡地で、広大なサトウキビ畑となっている。そこをバスで通り抜けると、植民地時代に植樹されたカポックやマンゴーの古木の幹線道路に出る。その両側にずらりと並ぶマンゴーの木々は天高く育っており、圧巻の景色だった。マンゴーの時期になるとたわわに実る様子が想像でき、思わず🤤が・・・

ファベドグ村
ファベドグのドーム
奇岩群がある。
先カンブリア時代の18億年前に海底に形成された堆積岩の固い層が浸食された結果、平原に孤立して丘として残ったもの。

バンフォラ到着
南西部にあり、同国第4の都市。
首都ワガドゥグとコートジボワールのアビジャンと鉄道で結ばれる。
製糖業が盛ん。住民はボボ人とカラボロ人が多い。

バンフォラ泊(気温35.2度で湿度は29%)

7日目 2月20日
電話がないので、「モーニング コール」ではなく「モーニング ノック」で起きる。
郊外の奇岩地帯にある岩峰群シンドゥー・ピークに向かう。

シンドゥー・ピーク
ファベドグのドームと同様に先カンブリア時代に形成された奇岩群。

シンドゥー・ピーク

昼食:チョコン(ビタミン豊富な甘い豆)、ネレの木(赤い丸い形の実がつくが食べるのは莢の中身の部分)、黒ハイビスカスとオニオンをミックスしたスンバラソースで炊いたご飯とモリンガ茶。

モリンガ茶はブルキナファソに来たら是非、飲んでみたいと思っていたが、スルーのガイドさん(マリ人だから?)も誰も知らなくて探し続けてやっとここにあった。
木の実物もあり、結構背が高くて4mくらいある。
日本では沖縄でも収穫できて飲んだことがある。
老廃物の排出を促すとともに自然治癒力を高め、体調をよくすると言われている。
何故知っていたかというと、他の旅行会社でモリンガの収穫作業を手伝うツアーを募集していたことがあるから。

ガワヘ向かう。
南部にあるロビ族の精霊信仰の聖地で、ロビ族がガーナ北部から移住して造った町。

ロロペニ遺跡(世界遺産)
14世紀から17世紀にかけて金の採掘や精錬で栄えた地域。
サハラ黄金交易による富の証と言われる石壁に囲まれた砦が100ヶ所ほど残っている。
壁の石は鉄鉱石で塗り固める粘土にはシアバター、蜜蝋と老若男女の人体を潰して混ぜ合わせたものが使用されている。な、何という事・・・😨

ロロペニ遺跡

ホテル着

いきなり、30名ほどの東洋人がいたので、ビックリ!
台湾の国と民間の人達が学校を建てるために宿泊していたようだ。
最近はこのように台湾の人達が貧しい国の為に協力をしている現場に出会う事が多くなってきた。

部屋が最悪の状態で参った、参った・・・😰

ガワ泊

8日目 2月21日
今朝も「モーニング ノック」で起きた。

カンプティ村へ向かう。
ロビ支族神殿
ロビ族は南西部のボルタ川流域を中心に居住する精霊による超自然的な力を信仰する民族。
トウジンビエやトウモロコシの栽培を中心とする農耕民であるが狩猟も行う。
土壁の神殿の前庭では雑穀でビールを醸造していた。
聖なるバオバブの木があり、その周りにはたくさんの呪物や薬草が並んでいる。

スィウェラ村
ロビ族の伝統家屋
細長いホールの両側に小さな棟が並列的に並んでおり、各部屋へは奥のキッチンを介して入る。玄関を入ると第一夫人とその子供達の部屋、次が第二婦人、第三夫人と続く。
この時は3人の妻と18人の子供を持つ男性65歳宅を訪問したが、夫は農作業の為、第一夫人は黄金採掘(これは女性の仕事だとか)の為に不在だった。第二婦人が案内をしてくれた。

昼食:トー(トウモロコシの粉で作った白いお饅頭)、バオバブ シチュー(魚入り)、黒ハイビスカス シチュー(チキン入り)

ガワ博物館
1920年建立の旧博物館の展示物を継承して1990年にリニューアルされた。
18世紀に飢饉の為にガーナからガワに移住してきた7民族の伝統文化を展示している。

ボボ・ディウラッソ(第二の都市)
西部に位置し、11世紀起源のこの地方の原住民であるボボ族が主に暮らす。
ワガドゥグやコートジボワールのアビジャンまで鉄道や道路で結ばれ、国際空港まである。
ピーナツ、サイザル麻、ゴマなどの農業とピーナツ油、砂糖、綿花、石鹸、レンガなどの工場もあり、工業も盛ん。

夕食時には「音楽の町」としても知られる為、バラフォン(木琴)とジャンベ(ドラム)を使用したライブ ミュージックが披露された。

ボボ・ディウラッソ泊

9日目 2月22日
古くからサハラ交易の中継地点として栄えたこの町の観光へ。

ボボ・ディウラッソ駅
植民地時代にネオ・スーダン・サヘル様式で建築されて1934年に開通した。真っ白で素敵な外観。

市場
カドナ(水を浄化するという木の根っこ)、岩塩、木製の歯ブラシ、シェニ(芋虫を茹でてからソースを絡めたもの)、油やしの実、かぼちゃの形をしたナスなど。
シアバターの石鹸を購入。直径が15cmもある砲丸の形で買って正解だった。お肌が乾燥しないのだ。1個、約100円。
小さくなってきたらお掃除に使ったがよく汚れが落ちた。

市場

グランドモスク
1880~1893年の間に建立されたスーダン・サヘル様式のモスクで、国内最大級。
当時の聖職者がマリ出身だったため、この様式になった。
マリのジェンネで見たモスクとそっくりだ。ジェンネでは中に入ることはできなかったが、ここは入れた。入り口からメフラブまでの通路はトンネルのようになっている。
もちろん、男性と女性ではお祈りをする場所が違い、ミナレットも二つある。表紙の写真がグランドモスク。

ボボ・ディウラッソ旧市街
「トントン トントン」と音がするので引かれるように近づいていった。
バゼンと呼ばれる光沢民族衣装がテントの中で作業が行われていたのだ。
民族衣装にワックスを塗り、丸太の上に乗せて太い木の棒で叩く。
空港などで見かける高級そうな民族衣装はこうして作られていたのかと納得。

メドレサ(神学校)
15,6歳前後の生徒たちが40名ほどでコーランを朗唱していた。
女性たちは後ろに並んでいた。

雑穀ビールの醸造
ワートと呼ばれる麦汁を殺菌した後、酵母を加えてアルコール発酵を促すことによって出来上がるらしい。あれ?ホップは?
空いたペットボトルに入れられて売られていた。
と同時に飲み屋ともなっていて、ジョッキ代わりの瓢箪カップがたくさん置かれていた。

昼食:ラグー(大きく切ったヤム芋の周りにマトン入りシチューを絡めた料理でお好みでホットソースを混ぜる)

ブラックヴォルタ川を渡る
ブルキナファソ国内に水源を発し、黒、白、赤ヴォルタ川などが合流して大河となり、ガーナを通過してギニア湾に注ぐ。全長1600km。

ワガドゥグ泊
ブルキナファソの首都で人口は163万人。
11世紀にあったモシ人の都市国家ワガドゥグ王国の都として建設された。
現在もモシ宮殿がある。
教育や観光の面でも国の中心であるが、経済的にはボボ・ディウラッソに劣ると言われる。

先月の15日にアルカイダ系武装組織によるスプレンディド・ホテルへの襲撃ではスイス人の政治家を含む28人が死亡した。
そのホテルの前を通ったが一部黒焦げになっていて修理をしていた。

この旅行会社の前回のツアーではこのホテルに滞在したらしい。
年末年始だったので難を免れたのだとか。
もちろん、添乗員さんはこんな情報は漏らさない。不安をあおることになるから。
特にツアー旅行をしていると、たくさんの情報があちこちから入ってくるのだ。
「人の口に戸は立てられない」とはよくいったものだが、真偽のほどを見極める目と耳が重要となる。

今回はそことは違うホテルに滞在。
そのホテルが使えないせいかもしれないが、政府の要人が宿泊しており、ピリッとした雰囲気だった。そのVIPは我々を見ると歓迎してくれた。

ワガドゥグ泊

10日目 2月23日
薬局でモリンガ茶を購入してから空港へ向かう。

✈ 13:30 発 ワガドゥグ:エチオピア航空(737-700)
  21:20 着 アディスアベバ(プラス3時間)

✈ 22:20 発 アディスアベバ(787-8pax)

11日目 2月24日
  12:45 着 香港

✈ 13:30 発 香港 同上
  18:45 着 成田(気温3度で寒かった)

帰国後の3月13日に今度はコートジボワールでリゾート地が襲撃されて、
16名(フランス人とドイツ人他)が死亡したとの事です。こちらもアルカイダ系組織が声明を出しています。
同時期に両国を訪問した者として又観光客として楽しんでいたであろうことを考えると胸が痛みます。ご冥福をお祈りします。

写真は海外旅行50回目くらいから止めたので、旅行会社さんのパンフレットを引用させてもらっています。お礼申し上げます。


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