見出し画像

南太平洋 5か国

(46番)  2012年   7月

南太平洋5か国(① フィジー、② バヌアツ、③ ソロモン諸島、
④ サモア、⑤ トンガ)へ行ってきました。
今回の参加者は男性8名、女性4名の計12名で、そのうち顔なじみは4名でした。
出発直前になって、航空便とホテルの変更が出たりして、波乱含みのスタートとなりました。
あまりの変更やトラブルで添乗員さんは「もう、死んじゃう!!!」と叫んだほどで我々も我慢を強いられる旅となります。

今回のルート

1日目 7月12日
✈ 13:55 発 成田    大韓航空 (777-300)
  16:20 着 ソウル

✈ 19:25 発 ソウル   大韓航空 (A330-200)

2日目 7月13日
  08:35 着 ナンディ(フィジーの空の玄関口)

①    フィジーは日本から約7,000km離れており、大小300の島から成る国で首都はスバ。
1970年にイギリスより独立し、公用語は英語。
人口の約半数はインド系で、インド、メラネシアとポリネシアの文化がまじりあった独特の雰囲気を醸し出している。

ホテルへ
到着後、朝食(ビュッフェ)を済ませて市内と近郊の観光へ。

ヒンドゥー教寺院
イギリス統治時代にサトウキビ畑の労働力の為、インドからの移民が多かった。相も変わらず色合いがド派手で彫刻や天井の絵画も素晴らしい。

市場
珍しい物はカヴァの根、ムルゴ、イビの実など。

市場

スリーピング・ジャイアント植物園
スリーピング・ジャイアント山「眠れる巨人の形」の麓にあり、1977年に開園した。蘭が2,000種類も見られる。

ビセイセイ村
フィジー人の祖先が最初に住み着いた土地。教会や「ブレ」と呼ばれる伝統様式の住居などがある。この村出身の政治家も多い。

ビセイセイ村の教会

テワキ村
フィジー伝統の歓迎の儀式があり、カヴァ「胡椒科の木の根を乾燥させて粉末状にし、お水と合わせた飲み物」を回し飲みするが自分は遠慮した。
歓迎の歌や踊りも鑑賞。

15:00頃、ホテルにチェックイン

遅めの昼食はカレーのみで貧祖であった。皆が不満そうにしていたので、それを察した添乗員さんが確認をすると「事前に何も注文がなかった」とか。
どうも旅行会社とホテル側のコミュニケーション不足のようで。

17:00頃、スーパーへ。

20:00 夕食(ビュッフェ)自己紹介があった。
後記:当時はこういう事もしていたのです。個人情報保護法が施行されて以降、どこの旅行会社も行わないようになりました。

3日目 7月14日
②    バヌアツはオーストラリアの北東に南北1,200kmに広がる
大小83からなる群島国。

1980年にイギリスとフランスの共同統治から独立をした。
昔ながらの自給自足の生活を守る人々が多い。
バンジージャンプ発祥の地で、「ナゴール」という成人の儀式が起源と言われている。

ここでまず当初の日程が変わった。
航空機のスケジュールの変更により、バヌアツのタンナ島へ向かう。
2泊3日分の荷物で預け荷物は10kgと制限がある。
残りの大きな荷物はポート・ヴィラで預けることに。

✈ 11:30 発 ナンディ エアー・パシフィック航空 (737-7                                                                                                           00)
  12:10 着 ポート・ヴィラ(バヌアツの首都)

強風のために着陸をやり直した。パイロットはよく頑張ってくれたと思う。

後記:着陸のやり直しは石川県の能登空港で、空港の待合室から見たことがあって、やはり強風で3回やり直して、結局着陸せずに別の空港へ飛んで行ったことがある。
飛行機が風に飛ばされそうになる様子がよく分かり、怖いなと思った。
自分が乗る便だったので、そこから富山空港までバスで移動をしていく羽目に。

✈ 15:30 発 ポート・ヴィラ バヌアツ航空(ATR72―500                                                                                                  プロペラ機)
  16:10 着 タンナ島

ホテルへ。
人数が多いために二つのロッジで分宿。添乗員さんは自分のロッジとは別の方で宿泊。

4日目 7月15日
朝食は通常ビュッフェの場合がほとんどだが、ここはアラカルトのようで、何も聞いてなかったために皆が混乱をした。ある男性は後で添乗員さんにクレームを入れていたほど。

四駆に分乗して出発。

ヤケル村
祖先から受け継がれた村の伝統を守りながら生活をしている。
歓迎のセレモニーと「ラプラプ」という伝統的な料理を作ってくれてこれが昼食となった。ヤム芋とタロイモとバナナとチキンをバナナの葉で包んで焼いたものだが、塩だけのシンプルな味付けなのにおいしかった。

ヤケル村の子供達

ヤスール火山
世界で最も火口に近づける標高361mの活火山で専門のガイドさんがついて来る。
1774年に海洋探検家だったジェームス・クックが発見した。
ここに近づくにつれて、ゴォーッという轟音が聞こえてきた。
一度車から降りて、東側から見学。煙が見えた。

煙を吐くヤスール火山

実は2日前には火山活動が活性化して登山規制が発令された。多数の溶岩が見学ルートにまで飛んできたらしい。半ば諦めていたのだが、西側に来てみると規制は解除されており、
駐車場から緩やかな歩道を歩いて行く途中には2日前に噴火をして飛んできたと思われる大きな岩が転がっていた。
そして、火口の稜線から覗き込むと細かい溶岩がボンボン飛び上がっており、花火のようだった。闇が深まるにつれて真っ赤に燃え上がる様子が見られて感激。
南十字星も綺麗に出ていた。

ヤスール火山

5日目 7月16日
朝食後、青空市場を見学
タロイモ、ヤム芋(ヤム芋はタロイモよりも白っぽい)ココナツ、スス、サンダルウッド、たばこ、ピーナッツ、ナンマブエ、コロソル、ナタプア、マンダリンなど。

✈ 11:45 発 タンナ島 バヌアツ航空 (ATR72-500 プ                                                                                                           ロペラ機)
  12:25 着 ポート・ヴィラ

ホテルへ。
昼食:バーベキュー、ビュッフェ

午後はエファテ島の観光へ。

博物館(カルチュラル・センター)
文化や歴史に関するものが展示されている。
有名な物は世界無形文化遺産に登録がされている「砂絵」で、我々も見学をすることができた。一筆書きで様々な模様が描かれている様は見事というほかはない。
しかし、どなたかが、「指は痛くないの?」と聞くとよく聞いてくれたと言わんばかりに「痛いですよ」との返事。本当に辛そうだった。
親から子へと伝承される文化だが、苦労もあるようだ。
我々の時は女性が描いてくれた。

砂絵

カスケード滝
太平洋諸国で最も美しい滝と言われている。
緑豊かな森の中を歩いて行く。水は冷たいが水量が多くてマイナスイオンがたっぷり。
滝つぼの岩場は意外とヌルヌルしていなくて歩きやすかった。
もちろん、マリンシューズ着用。

ホテルへ
夕食は自由食

6日目 7月17日
✈ 09:00 発 ポート・ヴィラ エアー・パシフィック航空(737                                                                                                       -800)
  11:00 着 ホニアラ(ソロモン諸島の首都でガダルカナル島にあ                                                           る)

③    ソロモン諸島は大航海時代の1568年にスペイン人探検家がガダルカナル島で砂金を発見し、「ソロモンの宝」と名付けたのが国名の由来。
1978年にイギリスから独立をした。
ここは「遺骨収集」で訪れる人がほとんどで観光客は珍しいとか。
ガダルカナル島は第二次世界大戦で日米の激戦地であり、1942年に日本軍に占領され、1943年にはアメリカが占領した。
半年に渡り陸海空で連合軍による死力を尽くした攻防戦が行われた。
戦った日本部隊の多くが食糧の補給路を断たれ、多数の餓死者を出したことから餓島(ガダルカナル島のガをもじり、がとう)とも呼ばれた。
死者は22,000名にものぼる。

ガダルカナル島の海岸

ガイドさんは遺骨種集団の団長を務めている方だが、まだ若い。日本人の遺骨には特徴があり、すぐに分かるそうだ。

12時ごろ、キタノ・メンダーナ ホテル(日本の北野建設が5年前に建てた)到着。

ホテルにて昼食:インドカレー、フルーツ、サラダ

午後から観光へ。

植物園
1960年代にオープン。住宅地と住宅地の合間に広がる自生林を基盤としている。
ソロモン諸島の各地から収集した蘭を栽培している。
他にはサツマイモ、キャッサバ、バナナ、パンの木、ビートルナッツなど。
高知県の牧野植物園から毎年薬草の採取に訪れる。そこのスタッフとJICAのスタッフによって各植物のプレート付けが進行中。

後記:牧野植物園は今年NHKの連ドラで話題になりました。

市場
キバウミニナ、カツオ、マライタメロン、キャベツ、キャッサバ、
ココナッツなど。

国会議事堂
予約をして行ったのに、担当者不在で別の日に行く羽目に。こういう点が観光地化されていないことを伺わせる。

USメモリアル
アメリカの造った戦争記念公園で、激戦地の地図がある。

ホテルへ
夕食は時間になってテーブルに座ったものの、出てくるまでに時間がかかりすぎ。何から何まで観光地とは言い難い。

中庭では民族舞踊を見せてくれた。
CDを販売していたので購入したら、15ドルだったのだが、10ドル紙幣が一枚余計にくっついていたようで、25ドル支払ってしまい、翌日添乗員さんに話したら、ちゃんと返してもらった。ピン札は気を付けないと・・・

7日目 7月18日
サボ島へ向かう。

ガダルカナル島からサボ島にかけての海域では第2次世界大戦時に大激戦が繰り広げられた。「アイアン・ボトム・サウンド 鉄底海峡」には船が多く沈んでいて、海上を通る船の羅針盤が狂うとか。日本船だけでも20隻(戦艦・比叡と霧島を含む食料を積んだ輸送船など)近くが眠っている。

ホテルの隣にあるヨット・ハーバーへ歩いて行った。
ところが、3隻の船外機付きボートのはずが、1隻がどうしても到着せずに、無理やり全員が2隻に詰め込まれた。更に1隻のエンジンがなかなかかからずに出発が1時間以上遅れてしまった。
木製の小船は長さが3mほどしかなくて腰掛けられるように横板が打ち付けてはあるが、それが3枚しかなく、こんなちっぽけな船で本当に海を渡るの?と疑問が・・・
どうなるのだろうと一抹の不安が過ったが何とか出発。波は穏やかだった。

サボ島に上陸

ツカツクリの産卵場
地熱で暖かな砂地に毎朝卵を産みに来るツカツクリのメスがいるという。
島民が早朝に穴を掘って用意をしておくとツカツクリが来てそこに卵を産むのだとか。そして、砂をかけておくらしい。1mほど掘ると鶏卵よりも大きな卵が見つかった。
ホニアラの市場で1個100円ほどで売れるとか。
何だか可哀そうで、卵がかえるまでそっとしておいてやれないのだろうか。
それに生態系に影響はないのだろうか、心配になる。

その後、ロナカ村を散策。
カトリック教会が建築中だった。
ココナッツジュースを一個頂いた。

昼食:バーベキュー、ビュッフェ

次の村へ行くために船で移動。
辺りにはバンドウイルカがあちこちに跳ねているわ、トビウオが跳ねているわで「これが海」という景色を堪能。特にトビウオは鳥かと思ったほど、たくさんいた。

カウゲレ村上陸
コプラという石鹸の材料を乾燥させていた。
サボ火山の火口のクレーターに到着。いくつもの穴から蒸気が噴出しており、島民は蒸し物に利用する。

15時半ごろ、帰路につくために船に乗った。
行きと違って、波が荒く、しぶきがバシャバシャかかり、船首が持ち上がって前がよく見えない。目の中に海水が入り、痛いのなんのって!
出発が1時間も遅れた分、夕方の波は荒くなったのではないだろうか。
皆でギャーギャー言っていると、1時間ほどで着いたが、そこは出発した場所ではなかった。後で判明したのだが、そこはガダルカナル島の端っこのようであった。
どうも船の調子が悪いらしく、強制的に着岸させたようだ。
ここで、新しい船を待つか、車で帰るかと聞かれた。皆の意見は車だった。
1台の車がやってきて、女性4人は前の座席に座ることができたが、男性陣は後ろの荷台に立ったまま出発。
30分くらい進んだ所でもう一台の手配された車が到着して、やっと男性陣は座ることができた。
度重なるトラブルでカンカンに怒っていた人もいたが、私はひっくり返りそうな船を結構楽しんだ。結構、能天気かも・・・

ホテル到着
夕食:ビュッフェ
手配会社の日本人の方が一連の騒動を詫びられた。
お詫びのしるしにドリンクは飲み放題となった。

8日目 7月19日
朝食後、ガダルカナル島を巡る観光へ。

野外戦争博物館
主に日米の戦闘機(ゼロ戦やグラマン戦闘機)、戦車、大砲、高射砲などが屋外に展示されている。

ボネギ海岸
大型物資輸送船であった「鬼怒川丸」は物資を揚陸させる際、船首から砂浜に乗り上げた。
その時の乗組員は方々に逃げて行ったらしい。
現在、沈没船は人工魚礁となり、船の外枠の前半分ほどは見えている。
絶好のダイビングスポットだとか。

バラナ村
全国ソロモン会による「日本軍兵士慰霊碑」があり、1998年に建立された。

903高地(標高903m)
迂回作戦変更の地で理由はマウント・オースティンが望見できなかったから。写真ストップのみ。

国会議事堂
1986年初代の首相から現在までの首相の写真がズラリ。
1院制、50議席、任期4年。

博物館
イギリス統治下以降のソロモン諸島の伝統、生活、習慣などの展示。

昼食:ホテルにて(クラブサンドイッチ、サラダ、フルーツなど)

マウント・オースティン
激戦地の一つで、山の北西には「ギフ高地」と呼ばれる一角がある。岐阜出身の兵がここを守っていたから。
日本平和公園があり、太平洋諸島の中でも最大級の日本軍兵士慰霊碑が建てられている。遺骨収集団のセレモニーの起点でもある。
丘の上から見ると日本軍が作り、米軍に接収された滑走路が見えた。
また、丁度、上空を「US Army」と書かれた軍用機が飛んで行った。

15:00頃、ホテル着
フリータイムで街の散策へ。
夕食:松花堂弁当、味噌汁、フルーツ。

9日目 7月20日
午前中はフリータイム。

✈ 14:10 発 ホニアラ ソロモン航空 (F100)
  18:10 着 ナンディ

✈ 20:50 発 ナンディ  エアー・パシフィック航空(737-8                                                                                                             00)
  23:40 着 アピア(サモアの首都)

25:00 ホテル着

④    サモアは日付変更線のすぐ西に位置し、世界で最も日の出が早い国。
首都アピアがあるウボル島、最大の島サバイィ島などの9つの島から成る。
1962年にニュージーランドから独立した。公用語は英語とサモア語。
宗教はキリスト教。
因みに「アメリカ領サモア」とは違う国。

10日目 7月21日
朝食後、アピア市内観光

ロバート・スティーブンソン博物館
スコットランド、エディンバラ生まれの文豪で「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などで知られる。
生まれつき病弱で各地を転々とし、取材で訪れた南太平洋の島々が自身の健康にあっていることを認識して、サモアに移住。
彼の住んでいた家がそのまま博物館となっていて、書斎、寝室、ダイニングなどが残っている。

魚市場(日本の援助で建設)
マングローブ・クラブ、サメ、カツオ、タコ、ナマコ、海葡萄、イエローフィン・フィッシュなど。

市場
日用品、プルタシ(女性の正装)、イエファイタガ(男性の正装)、ラバラバ(男女の巻布)、アクセサリー、工芸品など。

アリエトア王族の墓 →ラウペパ王族の墓 →タマセセ王族の墓

国会議事堂 →高等裁判所 →マタファ王族の墓(1880年から約20年間続いたが、王位争いの結果、王政廃止となる。1899年12月のベルリン会議でサモアは二分された)

ホテルに戻り昼食:スープ、サラダ、シーフードパスタ、アイスクリーム、コーヒーか紅茶

午後はフリータイム

夕食:シーフード ビュッフェ、素麺(又しても食べず)

ホテルはニュージーランドからの観光客でいっぱいだった。
19:30頃、南十字星が綺麗に見えた。

11日目 7月22日
5時半発の飛行機でフィジーへ向かう予定が大幅な飛行機の遅延により
19時半発に変更となった。ハワイからの出発が遅れた為とか。
又かい・・・
確かにこういうアイランド・ホッピングの飛行機のルートだと一か所遅れると順繰りに遅れていくので、やむを得ないが、それにしても14時間も遅れるなんて長過ぎやしないか・・・

急遽予定変更となったので、ガイドさんの住むアフェガ村の
コングリゲーション教会へ。
9時半からのミサに参加
皆、白でドレスアップをしている。男性も上がイエファイタガで下はラバラバで正装している。女性も同様に正装をしており、白い帽子がとても素敵。
時々、涙を拭っている人達もいた。讃美歌はいつ聞いても素晴らしい。

青果市場
サモア・ピーナツを試食(見た目は小豆だが味は大豆)

ホテルにて昼食:アラカルト
午後は、まったりと過ごして空港へ。

✈ 19:30 発 アピア エアー・パシフィック航空 (737-80                                                                                                                   0)
  20:40 着 ナンディ(フィジー)

🚌 バスにてスバ(フィジーの首都)へ114km移動。
日中であれば、海岸線の綺麗な景色が堪能できたはずなのに、いかんせん真っ暗で何も見えなかったのは残念。

夕食:車内にて和食弁当

12日目 7月23日
1時ごろ、スバのホテルに到着。

トンガへ行くために空港へ向かう途中で車窓観光と写真ストップのみ
大統領官邸 →国会議事堂 →コーラルラインの外リーフ

フィジー博物館
文化や習慣を伝える生活用品や武器の展示(人食いの習慣があったとか)、双胴船や漁に使った道具、キリスト教伝来の歴史など

空港到着
昼食:外の木陰で(サンドイッチとフライドポテト)

✈ 13:00 発 スバ エアー・パシフィック航空(ATR42-50                                                                            0、プロペラ機で44人乗り)
  15:45 着 ヌクアロファ(トンガの首都)

⑤    トンガは首都ヌクアロファがあるトンガタブ島を中心に大小170の島から成る。
周辺の島々がヨーロッパ列強国の支配下となった中で過去に一度も植民地になったことのない南太平洋唯一の王国。
公用語は英語で宗教はキリスト教。
ガリバー旅行記はトンガがモデルではないかと言われるほど、大柄な人が多い。

ホテルへ。(本来は良いホテルだったはずが、出発直前になって王族の結婚式があり、世界各国からの出席者を宿泊させる為とかで、格下げのホテルになった。へえー、トンガでは結婚ってそんなに急に決まるものなんですね)

コロバイン村
日中、村の中の大木にぶら下がって過ごし、夜になると果物を食べに森へ行く「フルーツ・バット」がいる。トンガではコウモリは神聖な動物とされ、害を与えることは禁止されている。

ホテル到着
庭にあるココナッツのデモンストレーション。木に登り、熟れたココナッツの実を素手でもぎ取り、ツイストさせて地上に落とす。

夕食ができるまで、バスでジョン・トーマスのモニュメントへ。
1643年1月にオランダの探検家でアベル・タスマンと一緒に来た宣教師ジョン・トーマスが建てた教会と感謝の碑。

ホテルへ戻り、ビュッフェと伝統舞踊の鑑賞。
他の国の観光客も一緒。
皆、ドル紙幣を油を塗ったダンシング中の演者の体にペタッと叩いてくっつけていたので、私も真似をした。要はチップ。日本人は他には誰一人としてあげなかったことは驚いた。

伝統舞踊

13日目 7月24日
朝食後、トンガタブ島とヌクアロファ市内観光へ。

王宮
シアオシ・トゥポウ5世が今年3月に亡くなったので、喪中で紫色の幕が張られていた。
シアオシ・トゥポウ6世(5世の弟)が継承する。先週結婚した王子は6世の長男。

王家の墓
1世から4世までのお墓で、5世のお墓はまだ建てられていない。

博物館(ナショナル・センター)
生活用品や武器、アクセサリーなどの展示。
キリスト教伝来以前の風習、歴代王の肖像画など。
発掘された古代の壺の破片にはトンガ独特のデザインが見られる。

キャプテン・クック上陸記念碑
ヌクアロファから東のムッア村にある。1773年、1774年、1777年と3回も訪れている。彼はトンガの人々の親切さに感激して、ここを「Friendly Islands」と名付けている。

ハァモンガの三石塔
BC1200年頃に造られた。高さ5m、重さ30トン~40トンの3つの大きな石灰岩を組み合わせた古代ポリネシアの遺跡。
フィジーの近くの島オベアエンフォトゥナ島から運ばれてきた石が使われている。
トゥイタトゥイ王の二人の息子が結束するようにという願いを込めて置いた。
村への入口や海への道に玉座があり、王様は漁への行き帰りの村民を管理していたとか。

ハァモンガの三石塔

昼食:サラダ、フィッシュ&チップス

空港へ。

✈ 16:50 発 ヌクアロファ エアー・パシフィック航空(737-                                                                                                           800)
  17:20 着 ナンディ (ナンディ経由ロス行き)

🚌 ホテルへ
夕食:シーフード

14日目 7月25日
✈ 09:55 発 ナンディ 大韓航空 (A330-200)
  17:35 着 ソウル

✈ 18:35 発 ソウル 大韓航空(777-300)
  20:55 着 成田

今回はフィジーのナンディを起点として計4回もインとアウトを繰り返し、
様々な予定の変更や予想だにしないトラブルなどがてんこ盛りの旅でした。
あと、南太平洋という同じ地域に住んでいながら、人々の顔つきが国によって違うのがよくわかり、人類のルーツみたいな事に興味を持ってしまいました。

後記:ソロモン諸島では未だに6千基の遺骨がそのまま残されています。
最近は中国があちこちで開発を進めているようで、遺骨収集にも影響が出るのではないかと懸念されているそうです。

写真は旅行会社さんのパンフレットを引用させて頂きました。お礼申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?