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感情の高低差が自分を形取る

written by しゅー

web メディア milleu編集長の塩谷舞(@ciotan) さんのツイートをみて書く.

ちょっと陰鬱な記事になってしまった.

このツイートをみてなんとわかりやすく例えるのだろうと驚いた.

思い返せば.

自分自身の思考やある種の宗教のような思想は感情の起伏によって生まれていると気づいた.

@ciotanさんの言葉を借りると感情の高低差である.

まるで耳の鼓膜が詰まるような感情の起伏が起きた時に感じた思想や思考がそのまま自分自身の生き方の軸になっていっている.

時々, 僕は, 感情が負の方向にひきづられすぎて言葉が出なくなってしまうことがある.

それは, 文章が書けなくなるといった生ぬるいものではなく, 口から何かを発する前にそもそもその内容すらも思いつかないような状態になる.

会話そのものや街の雑踏すら鬱陶しく感じられるほどに落ちる.

余談だが, あまりにひどいと思い, 大人になってからいった心療内科で軽度の鬱と診断を受けた.
中学からもうずっとこうだからこれが自分の特性なんだろう. もう今は受け入れてしまっている.

しばらくたって, 底から復活するために漁るように本を読む.

1日2~4冊を読み, 寝て, 起き, 読み, 寝る.

1週間ほどそれを繰り返す.

目から入ってきた文字がそのまま自分に溜まり, 唐突に外に出ていくような感覚に襲われることがある.

底から抜けるようにハイスピードで雲の上に帰ってくると出会った本の言葉がそのまま自分の思想として, 言葉として出てくる.

そうやって素晴らしい本や言葉に出会ってきた.

アドラー心理学やブッダの教えに出会ったのもそんなそこの時期であった.

底にいるのはあまり愉快な気分ではないのだけれど, 自分の人格を作る上で必要な時期なのかもしれない.

特に僕のようなタイプは.

そんなことを思ったツイートだった.

ご本人からもいいねいただきました. ありがとうございます.

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