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パターナリズムから考える緊急事態宣言の是非を議論しました(こびナビ Twitter Spaces文字起こし)

2022年1月17日
こびナビの医師が解説する世界の最新医療ニュース
本日のモデレーター: 木下喬弘

※この記事は1月17日当時の情報をもとに作成されています。※

木下喬弘
おはようございます。
本日は緊急事態宣言、パターナリズムなどのお話をしたいと思います。

【議題】パターナリズムから考える緊急事態宣言の是非

【1】パターナリズムに関する記事紹介

2016年3月13日に Boston School of Public health の Dean(学長)である Dr. Sandro Galea という方が書いた、パターナリズムに関するエッセイがあります。

▼Paternalism and Public Health

出典: Boston School of Public health 2016/03/13

▼パターナリズムとは

出典: ウィキペディア

日本でも感染者数が増えていく中で、再度緊急事態宣言が出るのかどうか、気になっている方もいると思います。ここでは、緊急事態宣言を出すということが public health(公衆衛生)的に許容されるのか?という視点で考えてみます。

この記事ではパターナリズムと nanny state(ナニー・ステイト、お節介)という言葉を挙げて書かれていますが、公衆衛生の受益者である市民、国民への接し方に関しては、結構よく議論されます。

▼ナニー・ステイトとは

出典: ウィキペディア

この記事が書かれた2016年時点で話題になっていた公衆衛生政策が(飲料の)ソーダに関してです。

黑ちゃん、ソーダ飲みますか?

黑川友哉
ソーダは、小学校の時にお母さんに「コーラは骨が溶けるから飲んじゃ駄目」と言われてあまり飲まないようにしていたんですが、大学生になって結構飲み始めてすっごく太ったので、今は飲まないようにしています。

木下喬弘
なるほど。
皆さんそういう感じだと思うんですよ。

この記事が出た6年ほど前に、ニューヨーク市がソーダの1カップの量を制限したんですね。これが最終的に違憲、違法だと判断され駄目だという話になりました。

(アメリカでは)1カップが非常に大きなサイズで、相当な量の砂糖を摂取することになります。肥満はかなり大きな公衆衛生の敵ですからこれは問題だろうということで、当時のブルームバーグ市長が制限しようとしたわけです。

しかし法律やルール上、制限するのはやりすぎだろうということでオジャンになったところからこの話は始まります。

ここではパターナリズム的に、何が飲みたいかとは別に、
・何も飲ませてもいい、まあいいやん
・いやいや、その人の健康にとってよくないから一定の規制が必要でしょう
という2つの考え方がある中で、どのようにバランスをとっていくかということが書かれています。

では、どこまで許されるのかという話がいろいろ出てきます。
次に出てくるものは、妊娠中の女性がアルコールを飲んでよいかどうか、CDC(Centers for Disease Control and Prevention、アメリカ疾病予防管理センター)が「妊娠中の女性にアルコールを飲まないようにアドバイスする」ことに対して反発があったんですが、これはどうかという話です。

前田先生、端的にどう思います?

前田陽平先生(Twitterネーム「ひまみみ」)
CDC のような立場であれば、飲まない方がいいよということは言ってもいいような気がするんですが……凄く直感的な答えで申し訳ないです。

木下喬弘
記事には次のように書かれています。

Recent advice from the Centers for Disease Control and Prevention that all women of
childbearing age should avoid drinking alcohol has been widely, and perhaps justifiably, criticized as being unnecessarily paternalistic.

つまり、CDC が全ての妊娠可能な女性に対して飲酒を控えるようにアドバイスするのは、不必要にパターナリスティックだと批判されたということです。

パターナリスティックの意味、通じているでしょうか。

前田陽平先生
医療関係者以外にはすんなりわからないんじゃないでしょうか。

木下喬弘
パターナリスティックの意味はなんとなく想像はしていただけると思うんですが、パターナルが「父権的な」という意味で、「(父)親が子どもに接するかのように接する」というイメージです。「とやかく口出しする」をオフィシャルに表現するような感じでしょうか。

前田陽平先生
医療の世界の文脈だと、医者が患者に一方的に「これはこうしないといけないよ」と指導したり、親が子どもに言うように「こうしないといけないよ」と言っちゃうのがパターナリスティックです。

最近はそれではむしろ駄目で、患者さんと双方向的に情報を共有して意思決定しないといけないよ、ということの対義語としても扱われますよね。

木下喬弘
そうですね。
この記事はそこを掘り下げていくもので、イメージではそういう感じだと思います。

では次に。
例えば前田先生が日本語しか話せないとします。
言語のわからない違う国に旅行に行き、ハイキングをしていたら橋があったので渡ろうとしました。そこに標識が立っていて現地の言葉で「この橋は危ないから渡るな」と書いてあるんですが、前田先生は読めません。その時、現地の人が前田先生を見つけて、橋を渡らないように止めました。

これは前田先生的にどうですか?

前田陽平先生
いや~(注意してくれた人は)めっちゃいい人ですね(笑)

木下喬弘
素朴なリアクションですね(笑)

前田陽平先生
僕がパッと見いかにもわかっていない観光客に見えたんだろうなと、普通にいい人だなと思っちゃいます。それを過剰な介入がある人だとは、僕は受け取らないタイプですね。

木下喬弘
ありがとうございます。
それがここでも議論されています。
実は、前田先生の行動を止めることは、この記事ではあまりおすすめされていないんですよ。

前田陽平先生
ああ~そうなんですね。

木下喬弘
ここでは前田先生が橋を渡らないように身体的に行動を止めることを「ハードパターナリズム」に分類されるとしています。ハードパターナリズムとは、市民が間違った判断(犯罪など)をしないために、政府が法律を作るということが基本的な考え方です。

一方で、「ソフトパターナリズム」で前田先生の行動を止めるという方法があります。現地の人が標識を読めて日本語を話せる場合、前田先生に「この標識には、橋を渡ったら落ちるかもしれないから、ちょっと危ないよと書いてありますよ」と教えてくれるのはいいけれど、前田先生が渡るのは止めない、ということです。

前田陽平先生
あ、なるほど。
この橋を渡るべからず、だから真ん中渡る、みたいなそういう話ですか。

木下喬弘
(笑)
何パターナリズムかちょっとわからないですけど(笑)
とんちパターナリズム🔥

前田陽平先生
ごめん、どうしても橋の話が出てきたときから、これだって。
ごめんごめん。

黑川友哉
いつか絶対言うだろうなと思いましたけどね(笑)

前田陽平先生
渡るのを止めるのはやりすぎだけれど、この橋を渡るなと書いてあるよと教えるのはいいじゃん、という話でしょうか。

木下喬弘
そうそう、それをこの記事はソフトパターナリズムとしています。
この違いは、オートノミーということです。

▼オートノミーとは

https://w.wiki/4hKY

出典:wikipedia

これまた日本語にしにくい言葉ですね。英語得意な人出てきてください、誰か(笑)

前田陽平先生
それむしろ日本語の問題じゃない?

木下喬弘
そうか……。
自己決定というか?

前田陽平先生
自立(律)性とか、そういう感じですよね。
Googleにはそう書いてありますね。

木下喬弘
ありがとうございます。
オートノミーを損なっておらず、意思決定が前田先生側にあるのが大きな違いだという話なんです。

前田陽平先生
タバコの箱もそうですよね。
これを吸っていたら肺がんリスクがめっちゃ上がるよと書いてあるけど、吸うなとは書いてないのと同じような系統の話ですよね。

木下喬弘
そうなんです。
その次に、実はタバコの話も出てきます。

翻って今日出てきた例でいうと、例えばソーダの1カップの大きいサイズのものを売れないようにするといっても、2カップ目を買うことは全く止められていないわけです。

CDC が授乳中の女性にアルコールを飲まないようにアドバイスをしても、授乳中の女性はアルコールを買えないわけではないので、情報提供すること自体は政府の役割ではないかと。

前田陽平先生
直感的にはそう思いますよね。

木下喬弘
あくまで、この学長がそのようなことを書いているということです。
そのようなことを ”nudges(ナッジ、そっと後押しする)” と呼んでいます。

▼ナッジとは(PDF)

http://www.env.go.jp/earth/ondanka/nudge/nudge_is.pdf

出典: 環境省 第311回 消費者委員会本会議資料

カップのサイズを小さくすることはまさにナッジだと思いますし、あるいはスーパーマーケットで視線の高さに野菜を配置してポテチは見にくいところに置くとか、公衆衛生的にいろいろと対策されています。

そういうのはいくらでもあって、シートベルトの法律や、食の安全に関することもそう、鶏刺しを食べるなもそうですし、至るところに溢れているわけです。

この記事は、平たくいうとソフトパターナリズムでやっていくべきではないかという論調で書かれています。

ここまでで黑ちゃん、どう思います?

黑川友哉
自己決定をしっかり守っている、自己決定権を保っているというスタンスは僕はいいかなと思う一方で、それだけでは公衆衛生的に社会の安全を守れないということもあって、時と場合によってどちらが適切かは分かれるのかなと思いながら聞いていました。

木下喬弘
ありがとうございます。
峰先生、何かコメントありますか?

峰宗太郎
すごくいいお題だと思います。
僕個人は、結構人に干渉するのが嫌いで、されるのも嫌いです。愚行権と言って自分が愚かなことをする権利を尊重するという意味でもプアチョイスをするのも権利だと思っているので、パターナリスティックな介入はあまり好きではない立場なんですよ。

だけど感染症は他人の行動の影響が自分に返ってくるじゃないですか。
もっと言えば、例えばタバコを吸って肺がんになったら、それだけでみんなのお金で運営している保険にも負担をかけるわけじゃないですか、ここは間接性が出てきますが。

そういう意味で、みんなが幸福であるために、ある程度他者も幸福であってくれなければいけないということを要請するのは、ある意味では他者に対して自分が主張できる権利っていう面もあるのかな、ということを最近たまに思うんですよね。

パターナリスティックという振る舞いは個人的には好きではないんだけれども、ある意味、人に多少干渉しパターナリスティックに振る舞うというのも権利として認められるところで、そこに衝突があるのかなと最近考えたりします。

木下喬弘
ありがとうございます。
こびナビの活動のトーン的にも多分そういう感じだと思います。



【2】それに対する反対意見紹介

ボストン大学公衆衛生大学院の学長がこれを書いたことに対して、Prof. Glanz という方が反対意見を書いています。

▼A Commentary on Dean Galea’s Note

出典: Boston School of Public health 2016/03/13

最初の記事を書いた学長は、反対意見を Viewpoint の項にまとめてくれてるからそっちも読んで欲しい、という感じで自分への反対意見を自分の記事に掲載しています。面白いですね。

この反対意見を見ると、要するにこの学長がパターナリステッィックすぎるということで、公衆衛生がそういう風なものだと思われたくない、という感じのことが書いてあります。

例えば、タバコを吸うと肺がんになりますと書いてもタバコを吸うとがんが減らなかったら、今度は生々しい肺が真っ黒の写真を載せてみたり、どんどん脅す方向にエスカレートしていくじゃないですか。

その結果、何を KPI(重要業績評価指標)、アウトカムとして見ているかというと、そういうラベルをしてタバコを吸った人が減ったかどうかを見て、その広告がよかったかどうかを評価しているわけです。公衆衛生ではだいたいそうです。

▼KPI(重要業績評価指標)とは

出典: ナレッジインサイト用語解説

本来の KPI は、その表示を見た人がタバコのリスクをちゃんと理解して意思決定したかどうかのはずなのに。つまり、その人のオートノミーが正しく保たれた状態で買うか買わないかを決めたという、その自己決定が最大化されるような広告だったかどうかがフィードバックになってないんですよね。

前田先生わかります?

前田陽平先生
わかりますよ。
ちゃんと情報を得た、処理したというところを成功と位置付けるべきだっていうことですよね。結果やめたかどうかが問題ではなく。

木下喬弘
そうです。
結果やめなかったら、どんどんやめさせる方向になるので、結局結論ありきやん、みたいな話です。雑に言うとそういうことになるわけですよ。

前田陽平先生
うん、わかります。
先生方のワクチン活動に喩えたら、ワクチンの情報がちゃんと伝わってるかどうかが大事であって、ワクチン接種率を上げることだけが目的ではないということですよね。

木下喬弘
そうですね。
それを目的とすること自体が、そもそも間違っているという立場です。


【3】緊急事態宣言が許容されるか否か

ここは COVID-19 の部屋なのでその話をさせていただきます.

日本における COVID-19 ワクチンについては、とりあえず2回は多くの方が打って、3回目はオートノミーも何もない状況で、ワクチンおよびワクチン接種にアクセスする環境がないという状況です。

オミクロンが感染拡大していく中で、ただの風邪という情報を正さないといけないかどうかは結構際どいことです。しかし、いわゆる普通感冒と同じ死亡率というのは明らかに誤情報なので、本当の意味でのオートノミーになってない、正しい知識をもとにした自己決定になってないと思うので、それは情報提供するとします。

では緊急事態宣言はやっていいかどうかとなると、かなりパターナリスティックな施策になるわけです。

どこまで許容されるのか、どうしたらいいのかという話になるわけですが、公衆衛生における許容されているパターナリズムからいくと、多分相当駄目な方に入ると思うんですよね。

緊急事態宣言が許されるのかどうかという話をしてみます。
せっかくなので谷口先生にお伺いしたいんですが、どうでしょう?

谷口俊文
緊急事態宣言をすべきかどうかということですか?

木下喬弘
緊急事態宣言をすれば感染者が減るのは確実……というのは微妙ですので、人流を減らせば感染者が減ることは事実じゃないですか。そこで緊急事態宣言を出して行動制限を強制することによって感染者が減るということを前提として、政府がそれをやっていいかどうかということです。

谷口俊文
これはすごく難しくて……。

オミクロンは重症者の数はすごく少ないですよね。
実際に出ていないわけではないんですが、少ないわけです。もちろん裏で重症にならないように(ハイリスクな方などを)全員拾って治療薬を入れているのもあると思いますが。

そろそろ感染者数だけではなく重症、中等症の数などで考えて、行動制限をするかどうかを決めていくのも1つ大切なのかなと思います。

僕自身は、今の時点ではいたずらに緊急事態宣言を発動すべきではないと考えていますが、オミクロンがどういう特徴があるのか、まだ実感としてつかめていないので、何とも言えなくて今すごくモヤモヤしている感じなんです。

もちろん文献的にはオミクロンに関してもいろいろ出ています。Kaiser Permanente(カイザーパーマネンテ、アメリカの三大健康保険システムの1つ)のデータなどもすごく綺麗に出ていて、死亡率がすごく低いということもわかっています。

しかし実際の患者さんを見ててオミクロンの入院も取り始めて、ワクチンを2回接種している健康な若者でも肺炎が出たりしてべクルリーを投与するケースも見ていて、本当に重症化しないのか?するのか?ようわからんなというところで、すごくモヤモヤしています。もうちょっと様子を見たいところです。

ということで考えがまとまらない状況です。

木下喬弘
それを谷口先生が書かれていまして。
重症化を予防する薬を使いまくってうまく回避していたらオミクロンは重症化しないと言われて、なんかそう言われると悲しいツイートしたら、「自分たちが頑張ってるって言いたいのか」というクソリプが飛んで来て、谷口先生本当かわいそうだなと思って見ていました(笑)

谷口俊文
いや、読解力なさすぎでしょう(笑)
インフルエンザと同じだからもうやめろというリプが飛んできたり、「コロナ脳」とかいうリストに入れられますね。

木下喬弘
お疲れ様です本当に。

科学的な根拠が定まっていない、オミクロンは本当に軽症なの?まだわからないというのは別の議論がありうるかなと思います。

とりあえず今アメリカで言われている程度の重症度だとして、もしくは重症度がどうであれ、行動制限を課すということが許されるのかどうかという話をしたいと思います。

せっかく入っていただいたので安川先生、どう思います?

安川康介
峰先生がおっしゃったように、感染症は1人だけの問題じゃないんですよね。
どんどん広がって、特に免疫が弱い方とか高齢者とか、感染した場合にリスクが高くなってしまうので、非常に難しい問題だと思います。公衆衛生の視点から考えれば(緊急事態宣言も)仕方がないのかなと思います。

これは新しい話ではなくて、例えば結核に感染した人は毎日あるところに行って薬を飲まなければいけないとか、隔離されなければいけないとか、感染性の強いものに対しては今までやってきたということがあります。

アメリカでもオミクロンが弱毒化し致死率がデルタに比べて低いと言われていますが、インフルエンザと比べられるレベルでは全くないんですよね。今平均して毎日80万人くらい感染して2000-3000人くらい亡くなっており、COVID-19全感染者数に対する致死率はざっくり言うと0.25%くらいです。

デルタは大体1.3%くらいでしたのでオミクロンの致死率は確かに低いんですが、それでも亡くなっている方はすごく多いです。

日本でも今後感染者が増えていけば、重症化したり亡くなってしまう方がたくさん出てくる可能性があるので、やはり場合によっては(緊急事態宣言も)仕方がないのかなと思っています。

木下喬弘
ありがとうございます。
私が敢えて今日の議論に反対する、つまり「公衆衛生というものはパターナリスティックではいけない」という意見に反対するとしたら、そもそも公衆衛生の中で、感染症というのはすごく特殊な分野なんですよね。

私は疫学をやっていたんですが、疫学をやってる人にとっても感染症疫学はちょっと別枠なんですよ。

がん、集中治療の影響、交通事故の影響でも何でもいいんですが、そういうものとはちょっと違って、感染症疫学には変な特徴があって、他人の曝露が自分の曝露に影響するんですよね。曝露が一定していないんですよ。

これはリスク比の時に遠藤先生とも話していたんですが。

1年間のうちに日本の中でがんになる人の数は、普通はそんなに変わらないじゃないですか。
ですが1年間のうちに日本の中で、例えばインフルエンザでもコロナでもいいのですが、感染症がどれだけ発生するかは全然一定じゃないんですよね。

何故かというと、感染症は人から人にうつるので、他人が予防することが自分の利益にもなるし、自分が予防することは他人にも利益があるからです。

感染症は公衆衛生の中でもめちゃくちゃ特殊な扱いなので、「タバコに生々しい肺が真っ黒の写真を載せることすらパターナリスティックすぎる」という議論を感染症の分野に持ってきてもいいのか?という議論があると思うんですね。

それが安川先生がおっしゃっていただいたことだと思います。

「若い人が飲み会をしていることで高齢者に感染が広がって結果亡くなる」という因果関係もあるでしょうし、ワクチンを3回打てばいいと思うかもしれませんが、免疫不全の方やワクチンを打ってもうまく抗体がつかない方が勿論いらっしゃるわけです。もっと言うと子どもはワクチンを打っていないわけで、じゃあ子どもがそれで死んだらどうすんねん、ということも問題になってきます。

そういう観点で、やはり緊急事態宣言を出すべきだと言われたら、私は諸手を挙げて賛成しているわけではありませんが、一定の合理性のある議論かなと思っています。
結局、「パターナリズム」と「他の人の健康を害するリスク」のどちらを許容するか、難しい問題になると思います。

もう1つ、パターナリズムが駄目だという話になると、1回目の緊急事態宣言から駄目だという話もあると思いますが、これには私は結構反対です。

これ以上緊急事態宣言を出すことに僕はどちらかというと反対ですが、これまでの緊急事態宣言は妥当だと思っています。

なぜなら、2020年3月の時点では、新型コロナウイルス感染症とはどんなもので、どうなるのかということは十分に正しく情報提供されていなかったような気がするんですよ。一方で、第6波になって、多くの人がコロナのことをそれなりに理解した今のこの状況で、「感染してもいい」と思って行動するのも、「感染したくない」と思って避けるのも、どちらもちゃんとした自己決定かなと思います。

そういった情報の行き届き具合も結構重要で、その情報を知った上でどう行動するか、ここからは個人の判断になるのは、そこそこ合理的なのかなと思っています。

何かコメントあります?

安川康介
特につけ加えることはないんですが、いろんな国がいろいろ試行錯誤しているなと思います。

例えばケベックではワクチンを受けていない方に税金みたいなものを払わせるという議論がありますし、フランスでもワクチン接種していなかったらかなり行動制限が変わる政策をとっています。

木下喬弘
フランスはひどいですよね。

安川康介
はい。
例えば、重症化したり集中治療が必要になる方はやはりワクチン未接種者が多く、その方たちにすごくコストがかかるわけですが、ワクチンを受けないことを選択した人の多大なコストをワクチンを接種した人が払うべきなのか?といった議論はいろんなところで起きています。

国がどのようにこの問題を対処するのか、いろんな国がいろんなことをやっていて、何が正しいのかわからないような状況だと思います。

木下喬弘
安川先生は内科をやっておられるので特にそうだと思いますが、リスクを低く見積もる人のリスク認知を変えることは、私は不可能だと思っています。

糖尿病になっていながらもタバコを吸い血管がボロボロになった人に、タバコを止めたほうがいいですよと言っても聞いてくれないこともあります。最終的に足が腐って落とさないといけない状況になるよと言っても聞かないんですよね。

安川康介
僕は何か望みがあるんじゃないかなと思って話し続けたいんですが、こうこういうことって、別にワクチンの話だけではないんですよね。
 
繰り返しアルコール中毒、離脱症状とかで入院される方、何回も診る方もいらっしゃいますし、インスリン使ってねと言っても全く使わなくて何度も入院される方もいます。医療現場では説明したとおりに服薬されずに症状を悪くされてしまう場面に遭遇することも少なくありません。

このようなことを医療現場ではアドヒアランスと言います。

▼アドヒアランスとは、コンプライアンスとの違い

出典: 日本ジェネリック製薬協会

ほっとけばいいというのは簡単なんですが、アドヒアランスがうまくいってないのは医療従事者のせいでもあるのかなと思ってるんですね。日々悩ましいところだと思って診療をしています。

木下喬弘
コンプライアンスと言ったら駄目でアドヒアランスと言うべきだという議論は、まさに今日の話に通じますね。

安川康介
そうなんです。
ノンコンプライアントという言葉もあるんですが、僕は好きじゃないんですよね。その人個人だけの責任に投げてしまっているような気がするので、やはり何かに対して、ワクチン接種や薬を飲まないことに関しても、医療従事者の責任もあると思うんですよね。

教育とか社会的な構造とか、いろいろと深い問題があるので、そういうところを全て無視して、個人が好き勝手にやっていると片づけるのは、僕は好きじゃないです。

だからアドヒアランスという言葉を使っています。

木下喬弘
ありがとうございます。
そうすると、パターナリスティックすぎるとか、医師が何兆円もするような施策を決めるな、こいつらに権力を持たすなと言って、また叩かれるわけですね。結構大変ですね我々も。

谷口先生、最後に何かありますか?

谷口俊文
すごく難しいなと思っています。
私たちの病院でも今、ワクチンを打っていない方で重症化して挿管されている患者さんがいますが、ワクチンを打っていない方に対する医療費がどんどんかかるというのは目に見えていると思うんですね。

これはタバコを吸っていて、糖尿でも全く治療しなくて、どんどん悪くなって心筋梗塞になったり、脳梗塞になってすごいお金がかかる構造と似ていますよね。

今 COVID-19 で悪くなっている方は公費で全て治療しているので、その人の懐はそこまでのダメージではないかもしれないけれど、将来的に健康被害(いわゆる後遺症)みたいなものがあれば医療費が結構かかると思います。

最近よく見る議論で、ワクチンを打っていない方の COVID-19 治療については公費を外した方がいいんじゃないかという議論をときどき見ますが、そういうことはできないと思ったところもあり、難しいなと思うんですよね。

木下喬弘
昔からありますよね。
透析患者の高額医療費を外せと言う人がいて、炎上したりしていましたよね。
ただ、何かいろいろ混ざっていて、全部がその人の責任じゃないっていう炎上と、その人の責任であったとしても医療費を国が出してあげるべきだという話がありました。

谷口俊文
そういうことをすべきじゃないと僕は思っているんですが、心情的に難しいところもありますよね。

木下喬弘
おっしゃる気持ちは非常によくわかりますが、なかなか難しい倫理的課題ということで、医療の分野も何が正しいのかを決めるのは結構難しいわけです。

敢えてこのトークに1つ結論をつけるとしたら。
ちゃんとした情報を得た上での自己決定をするための補助というのは、やってはいけないという論調が少ないようです。

つまり、どこかの国に行った前田先生が、標識を読めなくて困っていてそのまま橋を渡ろうとする時に、その標識には渡ると危ないよと書いてあるのを教えてあげるというのは、公衆衛生としてやるべきことだという解釈が多いと思いますので、そういう情報提供をこれからも続けていければということで、今日のトークを締めさせていただこうと思います。

これでよろしいですか、黑ちゃん。

黑川友哉
ありがとうございました。
今日は難しすぎですよ。リアタイまとめをするには。

木下喬弘
事前に URL をあげておけばよかったですね。

黑川友哉
Taka先生はいつだってそうなのよね。
リアタイまとめさせたくないような話題を突きつけてくるんですよね。
適当にまとめてみます。

木下喬弘
では今日のエッセイ、記事をツイートしておきますので、興味のある方は見ていただければと思います。

今日は、このあたりで終わりにさせていただこうと思います。
それでは日本の皆さま、よい1日をお過ごしください。

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